心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2005年12月26日(月) 近況報告

妻が退院してから2週間余りが経ちました。
入院生活が長かったせいか、腰の筋肉が弱って退院当日に腰痛を患い、ブロック注射をして母屋で寝込んでしまいました。最近は腰痛のほうは良くなりましたが、うつのほうは改善していないみたいで、「なんにもする気がしない」が口癖であります。
母屋の座敷に布団を敷いて、昼も寝て、夜も寝るという生活を続けています。

僕が休職した今年初めごろから3月まで保健室登校をした長女ですが、妻が入院を待っている9月ごろに再び保健室登校になりました。その後、妻の入院でどたばたして、実はそのことはすっかり忘れていたのですが、先日尋ねてみたら「9割以上は教室で授業を受けている」そうであります。親が必要以上に心配して、おたおたしなかったのが良かったのかもしれません。
でも、精神科通いも服薬も続いています。

次女はストレスが原因の難聴は治ったようですが、こんどは肩こりがひどくなったようで、パパに肩を揉んでもらうのを、お姉ちゃん以上に楽しみにしているようです。

義父は相変わらず「ぶつぶつ」と小言が絶えない人であります。義母は僕が洗濯を自分でするようになってから機嫌が良いです。

僕はといえば、相変わらず「午後から」勤務を続けていますが、仕事をまかされる量が増えるようになると、さすがにそれでは不都合が多くなってきました。年明けには午前中の勤務もある程度するようになるでしょう。

お正月は子供と3人で実家に二泊三日の帰省をしてくる予定です。例によって、(年賀状連動企画)三が日特別ホームページも準備ができております。


2005年12月25日(日) 寝る連休

3連休は「寝て、寝て、また寝て」しまいました。
12月初めごろから、仕事に行くために、ドリンク剤(ウコンの力というやつと、ショコラBB)を毎日常飲していました。僕の考えでは、ドリンク剤というのは、エネルギーを発生させる道具ではなく、枯渇しつつある体のエネルギーを搾り取る道具のような気がします。
飲んでいるときは体が動いて良いのですが、限界まで酷使された肉体と頭脳は、後で必ずそのぶんの休みを要求します。
飲み続けるのを止めれば体が動かなくなるのが怖いので、飲み続けるわけです。いつまでもドリンク剤に頼ってはいられないと分かっていながら飲み続けるのは、一種の依存なのかもしれません。なるべくマイルドなものを選ぶ努力をしているのですが、もっと基礎体力をつける努力をしたほうが正気なのかもしれません。

雑誌の編集後記なんかを読んでいると、20才の頃から毎日ハードなドリンク剤を2本飲み続けて十数年なんていうことが書いてあったりします。その職業の大変さはわかっているものの、いくらなんでもそれは頼りすぎなんではないかと思ったりするのであります。

ちなみにこのドリンク剤の味というのは「いかにも薬」という味のほうが売れるのだそうです。昔ある大手製薬メーカーが、バーテンダーに依頼して「美味な」(つまり上等なお酒みたいな味という意味であろうと思われる)ドリンク剤を開発し、発売してみたものの、ちっとも売れなかったそうであります。「酒で元気が出る」と思うのはアル中ぐらいなものでありましょうか。

この3日間は「COMの勉強」にあてるつもりで、380ページの教科書を会社から持って帰ってきました。残念ながら読めたのは38ページだけであります。若い頃はスポンジが水を吸うように知識を(無駄なものもたくさん)吸収できたものでありますが、記憶力は年と共に衰え、新しいことを学ぶのが苦痛になりつつあります。COMはすでに古い技術で、現在は.NETが主流であります。残念なことに自分は2周も遅れています。が、焦らずにゆっくりとやることにしましょう。

年が明けたら このイベント に参加したいと思っているのですが、体調が下降線をたどっているので、自信がだんだんなくなってきました。でもこういうときは例の合い言葉です。

「何事もなるようにしかならない」
そして
「神の配慮におまかせです」


2005年12月23日(金) 寒い一日

23日は頭痛、肩、背中、腰、足の痛みで起きられませんでした。
前日の夜、マッサージ機で揉んだせいで「張りかえし」がきていたのでしょう。それも猛烈な痛さで我慢できず、医者から処方されている鎮痛剤を飲んでまた寝ました。午後4時頃やっと起き出して、アイロンをかけ、たまっていたマンガ雑誌を読みました。
そして風呂に入って、子供たちを寝かしつけて、そしてまた自分も寝たのでした。
なんだか一日損をした気分です。


2005年12月22日(木) 大変な一日

午前中は精神科医へ。夜寝る前の薬を飲んでから10時間〜11時間ぐらいは眠いんですよという話をしました。症状の改善と共に、薬が効きすぎるほうに傾いてしまうのでしょうか。何ヶ月か前にセパゾン(クロキサゾラム)2mgを1mgに減らしたのですが、今度はそれをセパゾンの2/3ぐらいの強さの安定剤に変えてみましょうということになりました。
いつもは出してくれる「お薬情報」の紙をもらえなかったので、新しい安定剤がなんという名前なのか次回年明けの診察までわからないでしょう。
セパゾンの半減期は100時間。比較的代謝のゆっくりした薬ですから、はたしてこれを別の薬に変えることで、眠い時間が長すぎるという症状が改善するかどうかはわかりません。どちらかというと主治医が(アル中に継続投与するにはあまり好ましくない)安定剤を削りにかかったという要素のほうが強いのかもしれません。

ちょっと早いけれど12月の給料が支給され、年末調整の紙もやってきました。今年は休んでばかりいたので、給与支給額が控除額より100万円ほど低い(つまり納税額ゼロ)ということになりました。思わず「わはは」と笑って話題にしていると、年配の社員から「笑い事ではないだろう」とたしなめられてしまいました。
でも、AAにミーティングに出続けていると、どうしようもないことは暗い顔をして悩んでいるよりも、いっそのこと笑い飛ばしてしまった方が楽だということを学ぶのであります。
所得税を払わないのは12年ぶりぐらいでしょうか。確定申告の必要もなしです。

午後は半日延々と会議。
僕のようなぺーぺーは仕事の時間のうち1/3ぐらいが会議であるのがせいぜいですが、部長クラス以上になると仕事のほとんどが会議か面談であります。

夕方から忘年会。忘年会があるということは公式には一切知らされていません。社内の非公式な情報伝達網を使って広まっていた噂でありました。公式なルートで伝わってくる情報は、全体の3割ぐらいでしょうか。会社というもののやっかいなダイナミズムをこの年になって学びつつあります。

飲み助の多い会社であって、宴会は決して居心地の良い場所ではありません。でも、人的交流のためという名目で、ひとりあたり3000円が補助される(これも非公式で、机の上にいきなり現金がおいてあった)ので、逃げるわけにも行きません。

酔っぱらった年配の社員から、「君はもっと積極的に・・」うんぬんという説教をくらってしまうものの、僕は仕事中毒の面は持っていて、仕事に時間を捧げてしまう傾向はあっても、会社のために人生を捧げるつもりにはとうていなれないのであります。むろんそんなことは相手に悟られないようにと思っているのですが、きっと日頃の態度には出てしまっているのでしょう。

一次会が散会した後、前の会社から一緒の四人でカラオケへ。のどが痛くなるまで歌って解散。帰りに深夜までやっている健康ランドで風呂に入りました。セガトイズ製のマッサージ機とパラマウントベッド製のマッサージベッドで、400円を使って都合20分体を揉みほぐしました。

今週は本社出張があったりして、体が疲れていました。揉みほぐされているのは気持ちの良い者です。が、僕ももう若くはありません。翌日は筋肉の痛みに苦しむことになるのでした。

朝のニュース番組を見ながら睡眠。


2005年12月21日(水) 青春編みー後

どうも先月あたりから「地元じゃ負け知らず」なんていうフレーズが頭の中をリフレインしていて困ります。

まず郵便局で年賀状を出すついでに、書き損じのはがきを交換してもらいました。規定では「印面」(あの切ってみたいなのが印刷されているところ)が汚れているものは交換不可とされています。プリンターの上下逆さまに突っ込んでしまったミスの場合には、印面が汚れることはありませんが、表裏逆の場合はどうしたってそこが汚れてしまいます。8枚のうち2枚は交換してもらえないかなと思っていたのですが、全部交換してもらえました。
「手書きの場合にはだめなんですが、プリンターの場合にはどこに印刷しちゃうかコントロールできないので、印面が汚れているのもいいのです」と親切に教えてくれました。
「当選発表まで待たなくていいんですか?」とも聞かれました。そうか、ひょっとしたら書き損じのはがきでハワイ旅行があたる可能性もあるんだ。1月下旬にまた来るのも面倒なので、50円切手に交換してもらいました。

GoogleのサービスにGmailというのがあって、容量が2.5Gバイト与えてくれます。これはどれぐらいの容量かというと、メールをパソコンにダウンロードした後も削除しなくて放っておいても(当面のところは)メールボックスが一杯になったりしないということです。
いままでハードディスク・ディザスタで、受け取ったメールを何回かごそっと失っている身としては魅力的なサービスです(無料だし)。
が、これ実は「すでにGmailを使っている人から招待を受けないと加入できない」仕組みであります。いわゆるsponsorがいないとだめってやつです。
いままで、このスポンサー探しを延々としていたのですが、実は会社で隣に座っているやつがGmail使いだと判明し、さっそく招待メールを送らせました。

使いたい人には招待メールを送りますので、申しつけください。


2005年12月20日(火) 長野は寒いぞ

本社の近くのビジネスホテルが満室だったので、ちょっと離れているけれどLAN完備でネット接続無料のホテルに投宿したのでした。
暖房がよく効いていて、トイレはウォシュレットが装備されていて、なかなか快適でした。僕はビジネスホテルの浴衣が(薄ら寒くて)好きではないので、いつもパジャマ持参で旅行するのですが、今回はパジャマを忘れても浴衣で我慢できるほど、あったかい部屋でした。

でも、まあ朝は会社に近いホテルに限ります。慣れない土地というのは、距離感覚が分からなくていけません。本厚木のホテルから会社まで1時間ちかくかかりました。

午前中に中国人たちと打ち合わせをすませると、もうやることがなくなってしまいました。バーミヤンで一人で食事をして、町田から八王子、八王子からあずさ号で帰ってきました。
こちらの駅をおりたとたんに、寒さで縮みあがりました。

パソコン部屋の電気ヒータをつけたら、温度計が1度を示しました。4時間ほど暖房をつけっぱなしにしておいたのですが、12度までしか上がりませんでした。もう電気の暖房では限界かもしれません。

年賀状の印刷を終えました。今年はプリンターに上下逆さまに突っ込むミスを犯したりして、8枚も無駄にしてしまいました。そういえば書き損じのはがきを交換してくれるサービスがあるはずだと思って調べてみたら、ありました。
■使わなかったお年玉付年賀葉書についてに、手数料5円で別のものに交換してくれるとあります。

このページには、お年玉付き年賀はがきの商品の変遷が表になっています。僕が小学生のころは「折りたたみ式自転車」だったのですが、いまや「わくわくハワイ旅行」「国内旅行」「ノートパソコン」「DVDレコーダー+ホームシアターセット」とかになっているのであります。

ハワイに言ってみたいぞ(沖縄でも可)。


2005年12月19日(月) 厚木にて

こうしてビジネスホテルの鏡の前にノートパソコンを置いてタイプしていると、自分がすごく眠そうな顔をしているのが分かります。まあ、ここ半年というもの主に午後勤務で、11時とかに起きる日課であり、唯一の例外が本栖湖のステップセミナーに行ったときだけというぐらいです。

そういう人間が、朝5時に起きてちゃんとここまで移動してこれたというだけでも奇跡に近いのかもしれません。中華民族を相手にしていると、日本人というのは自己アピールが不得手で控えめで損をしているような気がしてなりません。ともかく彼らは夕方以降はunpaid workをするつもりはないようであり、おかげでこちらも定時+αで解放されました。まったく彼らがうらやましいです(皮肉ではないよ)。

予約したホテルの部屋に荷物を置いてからミーティングに出かけるつもりでいました。
が、ミーティング場のある駅は、ホテルの駅より手前でした。ホテルまで行って、また戻ってくるのは気が進みません。かといって、ノートパソコン一式が入った荷物をかかえて歩くのはもっと気が向きません。
(まあ、一回くらいミーティングを休んでもかまわないし)
という例の考えが頭の中に忍び寄ってきました。

でもミーティング場のある駅で降りました。なぜなのかはわかりません。駐車場が延々と広がる駅前を歩いていき、地図通りに二つめの公衆電話を目印に曲がります。目の前をお仲間とおぼしき女性が歩いていくので後をついていったら、案の定建物の外でたばこを吸っている集団に出合いました。

長野の標準からすれば、ミーティング会場はとても大きく、人数も多く90分で全員がしゃべることはとうてい無理であろうという規模でした。そして、そこにはなんと僕を待っていてくれた(?)人が何人かいました。木曜日の雑記に、ここに出現するかもしれないとは書いておきましたが、まさかと思いました。まったくホテルへ直行しなくて良かったです。そうしたら僕は嘘つきでありました。きっと神さまがミーティング場へと導いてくれたのでしょう。

ミーティングは眠い頭にも居心地がいい場所でした。

そして二次元バーコードのおかげで「日々雑記」はまた一人携帯電話の読者を獲得した(?)のでした。役に立つんだねぇ、バーコードって。

アフターミーティングはラーメン屋で夕食。Cさんごちそうさまでした。忘れずにいますから。ええ、人間親切にされたことは忘れないものです。

神さまはひょっとしたら僕のことを愛してくれているのじゃないかと時々思います。錯覚かもしれないけれど。誰にでもその人のことを愛してくれる存在があると考えた方が、いろんなことがすっきりするような気がするのであります。

こっちは長野よりずっと暖かいです。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加