心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年12月17日(土) Change Your Tires

やっと、そうやっとスタッドレスに交換しました。
もうノーマルタイヤはスリップサインが出てきている状態であることもわかりました。このまま春になってもスタッドレスのまま履きつぶして、サマータイヤのほうを新品に交換しないといけないでしょう。

先日ぶつけたバンパーに色を塗るために、オートバックスに行ってタッチアップを購入しました。前いた会社で一緒だった中国人に偶然会いました。FPD用の検査装置を作る会社にいるのだそうで、すっかり商売敵であります。いまやフラットパネルの製造装置の主戦場は中国に移りつつあります。中国語ができるというのはきっと彼に有利に働いているのでしょう。

タイヤの空気圧を調整するのが面倒なので、セルフのガソリンスタンドでやることにしました。しかしあいにく木曜日に満タンにしたばかりで給油するには早すぎます。さすがに給油せずにエア調整の設備だけ借りる度胸はなかったので、洗車をしました。拭き上げていたら雪が降ってきました。

外出したついでに、子供たちがパンを食べたいというので、いつも通勤の途中でみかける「ベーカリー・レストラン」なるものに入ってみることにしました。僕の通勤はお昼なので、昼食を食べるためとおぼしき人々が、気楽な姿で入っていくのを見ることができます。
僕の予想では、店頭に並んでいるパンを買って、それを座って食べるキャフェテリヤのようなものであろうと思われました。きっと店内はフランクな雰囲気なのだろうと。
しかし、入ってみるとそれはパン屋(焼いたパンを店頭売りしている)とレストランの複合したものでありました。
「食事ですか、喫茶ですか」と聞かれたので、とっさに「喫茶です」と答えたら、レストランの窓際の席に案内されてしまいました。ケーキとジュース3人前で2千円を超えてしまいました。とほほ。周りはデート中とおぼしき男女やら、和服をきっちりと着こなした老婦人たちが、談笑しています。そんな中、タイヤ交換の汚れが付いた服と、娘たちなんかはジャージ姿で、なんとも落ち着かない喫茶になってしまいました。

年賀状を印刷。寒いせいか赤のインクの出が悪く、一枚ごとに違った色合いになってしまいました。メーカーに苦情を言ったら、インクだけじゃなくて、ヘッドも定期的に交換してくださいと言われてしまいました。


2005年12月15日(木) こっちは短い

ひさしぶりに自分の生まれた病院へメッセージ。
アルコール依存症の診断基準のひとつに「酒をやめようという意欲の乏しさ」という項目があったりしますが、否認を続けているうちに、この「意欲」というのがだんだん乏しくなっていってしまうのも、病気の進行かなと思いました。

来週、月曜火曜と神奈川の本社に出張になります。泊まるホテルは小田急江ノ島線沿線なので、もし月曜の夕方に定時+αぐらいで解放されたら、こちらの会場 に行ってみようかと思います。クローバー厚木は女性が多いという噂なので、ちょっぴり期待していたりします(何をだ?)。
それにしても、何年か前の神奈川地区4分割の折りには、神奈川県央地区は2グループしかなくてという話だったのに、いま現在調べてみるとグループも増え、私鉄の駅ごととまではいかないものの、毎日通えるところにミーティングがあって、発展うらやましいかぎりです。


2005年12月14日(水) 10 years ago (13) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (13) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

10月11日に、IomegaのアウトレットでZIPドライブを買ったのですが、ちっとも届かないうえに、クレジットカードの課金だけはされてしまいました。Iomegaのほうにメールで苦情を言ってもなしのつぶてなので、クレジットカード会社のほうに電話をしました。
海外でのショッピングは「海外デスク」というところが担当なのですが、ここはちっともつながりません。やはりカードでのトラブルは国内より海外のほうが多いのでしょう。
リボ払いなどの受付をしている国内用のデスクに電話して、用件を話したら海外デスクに転送してくれました。用件も伝達されていて、二度説明する手間がなくて楽でした(これからはこの手段で行こう)。
あとはカード会社とオンラインショップの間で解決してくれるそうであります。
(ものはいらないから金を返してくれということです)。

さて、今日から一番最初のホームグループに戻ることになります。
湖の畔の教会でのミーティングに、僕もやっともどってこれたということです。
懐かしいことに、10年前に一緒にミーティングをやっていたACoAの○さん(女性)の顔が見えました。ここのACミーティングは人数が少ないので、AAミーティングに身を寄せているのだそうです。ちっとも老けていないような気がして、きっとACoAの女性って、年を取らない種族なのにちがいないと思った次第です。

峠を越えて帰ってくると、雪が降った後の圧雪凍結路になっていました。タイヤはノーマルでつるつるです。途中まではなんとか無事走ってきたのですが、T字路にオーバースピードでつっこんだおかげで一時停止できず、リアバンパーをガードレールにこすりつけてしまいました。ブレーキなんか踏んだのがいけなかった(いやタイヤを交換していないのがいけないのだ)。

さて、10年前。

ケアンズからジェット機で向かった先は、グレートバリア・リーフの中にある ハミルトン島 というリゾート島でした。

なぜそこを選んだのかというと、この島からほどちかい「ホワイトヘブンビーチ」という場所へ行ってみたかったからであります。白い・天国の・島と名付けられたそれは、真っ白なシリカ砂の幅広い浜が6キロにわたって続き、すぐ後ろは原生林という場所であります。写真で見るそのビーチは、空と海の青、原生林の緑、砂浜の白があいまって、まさに地上に現れた天国のようでありました。
アイドル歌手の映画だったかに「天国に一番近い島」というのがあった気がします。当時はインドネシアのバリ島なんかが人気であったり、旧フランス領のオセアニアの島も人気がありました。しかし僕は白人の国へ行ってみたかったのであります。

そしてなぜ天国にこだわったのか、それは何とはなしに、自分の寿命がもうすぐ尽きるような気がしていたからです。もし、そうすぐにアル中で死ぬことにならなくても、きっとこの後は落ちぶれ果てていくばかりで、海外どころか、国内の旅行すらままならなくなっていくんじゃないか。そんな予感がうっすらとありました。

死ぬ前に一度「天国のようなすてきな場所」に行ってみたいというのが、動機でした。

島で一番大きなホテルの、屋上の2階建てのスイートを借りました。宿泊に食事はセットになっていないので、3食とも島の中のどこかのレストランで食べなければなりません。僕は朝と昼にはビールを、夕食にはワインを一瓶つけるのでした。何しろ英語しか通じないので、新妻がそのことにどんなに文句をつけようとも、オーダーしてしまえばこっちのものでした。
そして「日本に戻ったら、もう飲まないから、この記念の旅行の間だけは、楽しくやらせてくれよ」というのが僕の決まり文句でした。

父の死から3週間、主治医の「緊急避難的処方」によって維持された断酒によって、僕の顔色もなんとか人間らしい色にもどっていました。しかし、一週間余りの旅行のあいだに、すっかり土気色へと戻ってしまったのであります。

新婚旅行だからと、36枚撮りのフィルムを10本以上撮影しました。その写真を整理したアルバムを見ると、僕の顔色が変わっていくのが克明に分かります。ふつう、そうしたアルバムは人に見せて自慢して迷惑がられるものでしょうが、我が家のアルバムは「恥ずかしくて人様にはお見せできないもの」に仕上がってしまいました。
そうやって人に見せずにしまっておいたところ、現在は行方不明になってしまっているのであります。

(この項、つづく)


2005年12月11日(日) 病院メッセージ

なんとか布団から体を引っぺがして起き、病院メッセージに行ってきました。僕の頭はぼうっとしていたのですが、若い仲間が司会を引き受けてくれたおかげで、スムーズに進みました。
それにしても、病院メッセージというのは何のためにやっているのか、いまだによく分からないところがあります。12番目のステップの活動と言うには、それほどステップの話はしていないような気がします。どちらかといえば、AAの広報活動をやっているようなものだと考えていますが。
なんにせよ、われわれは患者さんを説得に行っているわけでもなければ、勧誘に行っているわけでもありません。

眠くていけないので、病院からの帰りにどこかで温泉(入浴施設)にでも寄って、そこでひと風呂浴びてから昼寝でもしようかと思いました。タオルなどを買いに入った100円ショップの隣にリサイクルショップがあったので、入ってみました。エプソンのUSB接続のイメージスキャナーが609円だったので、思わず買ってしまいました。会社で使います。

どこかの風呂に入ろうと車を走らせていったのですが、風呂に入るよりも、ともかく先に寝たいぐらい眠くなってしまったので、車を止めて一眠りすることにしました。そして起きてみると、もう夕方です。あわてて高速道路を走って帰りました。

妻は退院したものの、2ヶ月もベッドに横になっていたおかげで筋肉がすっかり落ち、おまけに体重はまったく落ちず、もとから弱い腰をひねったところ、痛めてしまって家事どころではなく、母子3人でジジババの世話になっています。おかげで僕はまだ一人暮らしであります。アイロンをかけていると(どうしてアイロンをかけているとわかったんだろう?)、娘がやってきました。
そういえば今日は彼女の誕生日です。
「ケーキは用意してあるのか」と聞くと、誰も買いに行ってくれていないとのこと。時間は夜の7時半です。あわててケーキ屋に駆けつけると、幸いバースディ用のケーキがひとつ売れ残っていました。
ケーキを持って帰ると、次女がパパと一緒にお風呂にはいると言って待っていてくれました。病院からの帰りに入ってこなくて良かったです。風呂の中で次女のこりに凝った肩をもみほぐしてあげたら喜んでいました。

長女はケーキにろうそくを9本立ててご満悦です。彼女は僕がアルコホーリクであることも知らないし、パパがお酒を飲んでいた過去も知りません。何のために「AAだ」と言って出かけていってしまうのかも知りません。いつか説明する日が来るでしょう。その日が来ることを、僕は恐れなくなりました。

相変わらず生活は不安定だし、思い通りには生きていけません。でも、「子供たちに父親のお酒のことで心配をかけない」という願いは(今のところ)叶っています。

病院に行く前に、ヤマト運輸の営業所に寄って、昨日の地区委員会の議事録を代議員の人たちに発送していきました。ソーバー1ヶ月に満たない自分にスポンサーが投げかけた「自分のグループを立ち上げろ」という無理難題に助けを得るために、地区の集まりに出かけていったのが僕と委員会の関わりの始めでした。その後、グループの代表(?)として、はたまた委員会の何かの役割として、毎回ではないものの、委員会に出席することは、僕のAAプログラムの大事な一部分になってきました。
だが、少々長居が過ぎたような気がします。ここら辺でいったん身を引いて、他の人たちが決めたことを受け入れて従っていくということに慣れていった方がいいのでしょう。

言いっぱなしの聞きっぱなしでない委員会の席は、ミーティングと違って必ずしも心休まる場所ではなかったですが、いつも「愛と奉仕の輪」の中にいられた自分は幸せだったのでしょう。ともかく感謝であります。

さて、それはともかく自分も少し痩せなくては。


2005年12月10日(土) さよならZIP、さよなら地区委員会

郵便局に行ったついでにガソリンを入れました。
ガソリンの価格については、自分の周りでは、県外<県内・高速道路<一般道・セルフ<フルサービス・自宅付近<会社近辺という傾向が決まっているのですが、今日寄ったスタンドはフルサービスながら、高速道路のスタンドより安いというところであります。
ようするに競争が激しいところは、価格も安くなる傾向があるということでしょうか。

冬になると天気が良いときしか洗車ができません。寒いときに無理に洗車をすると、水が凍ってしまうからです。洗ったからと言ってまたすぐに汚れてしまうのですが、洗わないでいるとどんどん汚れてしまいます。洗車はいつもセルフのスタンドでやっているのですが、今日はフルのスタンドで頼みました。違いは水をきれいに拭き上げてくれるのと、車内に掃除機をかけてくれるところです。
手間を惜しんだあげくに、
「まだノーマルタイヤのままなの? つるつるじゃない」
と営業トークにまきこまれてしまいました。
僕はスタッドレスへの交換は天皇誕生日と決めていますし、前回の車でまだ溝がたっぷり残っているタイヤを買い換えてしまったので、まだ変えるつもりはないのであります。

ZIPドライブは諦めることにして、家電店で256MBのポータブルメモリを買いました。ほんとうはプロっぽくコンパクトフラッシュにしたかったのですが、値段が高かったので、安いUSBメモリになりました。

自宅へ帰って、パソコンからZIPドライブを抜き取りました。予備だとか、ノートPC用を入れると7〜8台ドライブがあるのですが、全部ネットオークションで売りに出すことにします。
長年使ったZIPメディアともこれでお別れです。
いろいろとマイナーなコンピューターメディアを集めては使ってみる「メディア愛好会」は最近は活動していないし、愛好会会長の看板も下ろさないといけないでしょう。

地区委員会についてはまた明日。
まだ夜は明けないけれど、起きているには遅すぎる(早すぎる)時間になってしまいました。


2005年12月07日(水) 女性の仲間の1年のバースディ・ミーティングでし...

女性の仲間の1年のバースディ・ミーティングでした。なごやかな雰囲気のミーティングでした。
彼女は活動範囲が広いので(僕なんかよりずーっと広いので)、遠くからも仲間がやってきました。
群馬からやってきた仲間に、「○.○.の家族から年賀欠礼の葉書をもらってさ、5月だって言うのに何も知らなかったからびっくりしたよ」と伝えたら、彼はその人の死を知りませんでした。「5月というと○○じゃなくて?」と言われてこっちもびっくりです。
「そのうち様子を見に行こうと思っていたんだけど、そうだったとはねぇ」
「啼鳥山荘のあのころのメンバーというと○.○.も去年亡くなったよ」
携帯電話の電話帳から一度に3人も削除することになるとは。
最近のAAは底が浅くなって、人が死ななくなった、なんてうそぶいていましたが、とんでもないです。
そして、やっぱり人の死に対してシンパシーを抱けない、冷徹な自分を発見するのでした(これは大きな欠点ですね)。

ある人が言っていました。「山岳会とAAには共通点がひとつある。それは人の死がありふれたニュースであることだ」。

バースディ・ミーティングの会場で、コーヒーをセルフサービスで入れながら立ち話をしただけで、それだけで終わってしまうのであります。そりゃその人のホームグループでは、しんみりとした話題にもなっただろうし、ミーティングの前には黙祷も行われたでしょう。でも僕らは「死んだ人のリスト」に彼らの名前を加えて、あとはまた同じことを繰り返していくだけなのであります。

アルコホーリクの平均寿命は55才とも52才とも言われます。「それは飲んでいればという条件付きだろう」という言葉が聞こえてきそうです。でも、日本人男性の平均寿命まで生きるアルコホーリクがどれだけいるのだろうかと思うのであります。

まさに「今日一日」、「毎日の執行猶予」なんだなあと思い直した次第です。
仲間に感謝。


2005年12月06日(火) 10 years ago (12) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (12) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

酒が切れると、言いようのない苦しさが体を襲い、酒が飲みたいという欲求が駆けめぐります。そんな状況の中、タクシーで駅まで行きました。新婚旅行に出発するためであります。
母と、妻の父母が駅前まで見送りに来てくれました。
僕は精一杯元気であるふりをしていましたが、心の中は近くのビールの自動販売機に駆け寄っていきたい気持ちで一杯でした。

駅の入り口へと歩いていく途中で、一人の老女が僕ら二人の前に現れました。彼女が差し出した紙には「カンパで全国を旅しています。どうかご協力をおねがいします」と書かれていました。どうやら耳が聞こえなくて、しゃべれないらしいのです。老女の差し出した箱に、僕は千円を入れようとしましたが、妻に止められてしました。
よく物語りに、旅たちにあたって老人が現れて旅の吉凶を占うという話があります。僕はこの老女が、この旅行の、いやこの結婚の行き先を占う運命の女神であるような、そんな幻想をもったのでした。だから、それを無視して前を通り過ぎてしまったのは、なんだか後々まで悔やまれるのでありました。

新宿まで移動する「あずさ」の中で、さらにそこから成田へ向かう「成田エクスプレス」の中で酒を飲んだのかどうか記憶にありません。ただ、僕はその中で寝ていますから、きっとビールでも飲んだのでしょう。前の晩は禁断症状で眠れませんでしたから、列車の中で眠っているということは、たぶん飲んでいるのです。

成田空港での長い待ち時間の後、夕方になって飛行機はオーストラリアのケアンズに向かって飛び立ちました。エアラインはカンタスというオーストラリアの会社です。日本人の乗務員はいるものの、数が少なく、主に英語が必要でした。

生まれてはじめて乗るジャンボジェット機のエコノミークラスは狭く、まるでケージに閉じ込められた鶏のような気分でした。その席で次の日の朝まですごさなければなりません。僕は早々に酔っ払って寝ることにしました。

機内食の配られる前も、後も、僕はキャビン・アテンダントにお酒のおかわりを要求し続けました。ビールのカン、ワインをコップで、ウィスキーの水割り。機内では「アポロ13」という映画をやっており、僕はまだ見ていないので楽しみにしていたのですが、酔いが回って筋が追えません。

やがて機内サービスも終わって、暗くなりました。寝るためなのでしょう。
だが、僕は酒が飲み足りなくてたまりませんでした。
しかたないので、カーテンのかげで座って休んでいるキャビン・アテンダントをみつけると、「ワインを一杯」要求しました。彼が冷蔵庫からワインのビンを取り出してくると、「一杯じゃ足りないから二杯くれ」と要求しました。

両手にワインの入ったプラスチックコップを持って、ご満悦で席に帰ってくる僕を、妻は「なんて恥ずかしいことをしているの! ほかにそんなことをするひとは誰もいないじゃないの」と言って責めました。しかし僕は、英語しか通じないアテンダント相手に2杯のワインを勝ち取ってきた喜びで「どうだすごいだろう」と自慢をして、まったくかみ合っていないのでした。

赤道上空では気流が荒いらしく、飛行機は大きく揺れて、目が覚めました。
もう一度眠ろうとするのですが、なかなか眠れません。うつらうつらとしているほかはありません。「ケアンズについたら、空港でビールを買って飲んでやろう」という意識だけがありました。

ケアンズの空港には早朝に到着しました。ここで国内線に乗り換えです。僕は国内線のコンコースを行ったり来たりして、ビールの自動販売機を探すのですが、どこにもありません。酒を自動販売機で売っている日本のほうが特殊なのだと知るのはもっと後のことであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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