心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年12月04日(日) 10 years ago (11) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (11) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

ひさしぶりに更新をしました。考えてみるとサーバー移転からこっちまったく更新していませんでした。熱意が薄れていると言われても仕方ないかもしれません。

さて10年前。

その日曜日はさすがに僕も早起きをしました。
結婚式を終えたら僕と母は別の家に帰ることになるので、別の車で出発することにしていました。自分の結婚式には着飾っていく必要はないので、身支度は短く終わりました。そしていつもの朝に出勤するのと同じように、僕は自分の車に乗り込もうとしましたが、なんだかその車が傾いているのであります。パンクしているのでありました。

「うーん、これは凶兆」

車で通勤しているとは言え、まだまだ初心者マークが取れたばかりでありました。パンクなんていう事態は初めてで、どうしていいのかわかりません。教習所で習った手順だと、スペアタイヤを引っ張り出してきて交換し、タイヤを修理できるところまで持って行くということでした。が、そんなことをしていたら、自分の式に遅れてしまいます。
しかし母は僕が小学生の頃から車に乗っているベテランであります。近くのガソリンスタンドに電話をかけると、「来るから」と言い残して一人先に出発してしまいました。スタンドからやってきたおじさんは、あっという間にジャッキアップを完了させるとタイヤを抜き取りました。ぺしゃんこのタイヤがエアで一気にふくらんだところへ石けん水を吹き付けます。やがて小指の先大のガラス破片を取り出しました。コルク抜きみたいな器具できれいに穴を開け直すと、そこへ暖まったゴム片を差し込みました。ゴムが冷えればタイヤと一体化して修理は完了です。

こうして予定よりずっと遅れて式場のホテルへ到着しました。皆が「遅いぞ」と僕のことを叱るのであります。「いや、タイヤがパンクして・・・」と言っても皆の怒りは収まりません。自分はちっとも悪くない天災みたいなものなのに、なぜこんなに悪者扱いされねばならないのか・・・。
妻(になる人)には美容師さんがついて、丹念に髪を整えています。いっぽう僕にはドライヤーを渡されて「新郎さんはご自分でおねがいします」と言われました。僕は、直毛の剛毛なので髪をブローしても1〜2時間で元に戻ってしまいます。なので、髪をセットするという習慣がありません。しかしさすがに式にぼさぼさ頭ではまずかろうと、洗面台を前に取り組んでみるのですが、ちっともうまくいきません。
しかたないので、「おねがいします」と美容師さんに頼んだら、あっというまに仕上がりました。しかし後で陰から「髪のセットを頼んでくる新婦って初めてよ」と言われる始末です。なんだかひどく恨みがましい気持ちになりました。

式はホテル内の神殿で行われました。三三九度で使われる酒を水に代えておいてくれないかという僕の願いは、新婦の父によってはねつけられていました。しかたないから(唇をつけて飲んだふりだけすればいいや)と思っていたのですが、実際に口を付けたら一口飲んでしまいました。

「さっき飲んでたでしょう。いいの?」

と妻になった人に責められました。「おめでたい席は特別さ。後は飲まない」と言ってその場をごまかしました。

披露宴では新郎新婦の席の下にバケツが置かれています。つがれる酒は片っ端からそこへ捨てていけばいいですよとホテルの人に勧められていたのですが、乾杯のシャンパンから僕はちびりちびりと飲み始めてしまいました。3週間前の父の葬式では、あれほどきびしい視線を注いでいた親戚の人たちも、この日ばかりは(仕方ない)とばかりにあきらめ顔です。

新郎側の招待席には、僕の大学時代の友人知人を招待しました。僕が自殺未遂で帰郷して以来会っていない人もいました。東京でのフリーランスの仕事は結局うまくいかなかったけれど、故郷に帰って家庭を構えて地道にがんばります、という格好をつけたかったわけであります。迷惑をかけた人ばかりでしたが、招待を断る人はおらず、みな来てくれました。そのテーブルはさながら同窓会のような雰囲気をかもしました。

披露宴が終わって、新郎新婦が招待客を見送るという段になりました。皆が一応笑顔を作って歩いていく中で、一人僕のところへやってきて怒った顔を見せた人がいました。それは僕の高校時代からの友人で、一緒に仕事もし、そして仕事でも金銭面でもとても迷惑をかけた相手でした。「お前は一生許さないからな」と彼は言うと、すっと去っていってしまいました。
僕は背中に冷や水をかけられたように、がっくりと気持ちが沈んでしまいました。ああ、このめでたい席で恨みの言葉を言わずにいられないほど、僕が彼にかけた迷惑は大きかったのか。すこしでも埋め合わせ(などという言葉は考えませんでしたが)になればなどと考えた自分の浅はかさを呪いたい気分でした。

式が終わって、着替えをすませて、トイレから出てくると、待っていた人は妻だけでした。
招待客の人々は早々に駅へと向かい、僕と妻のそれぞれの家族は親戚の人とそれぞれの家に向かっていました。待っていてくれる人は、それぞれの伴侶だけでした。結婚式はもっとにぎやかなものだと思っていたのですが、終わってみれば、ぽつんと二人が残っているばかりです。

「二人っきりになっちゃったね」

ホテルのいすに座りながら、お互いにそうつぶやいたのを覚えています。

新居であるアパートの一室に向かい、そこで翌日からの新婚旅行の準備を終えました。
式が終わって数時間経つと、僕の体の中のアルコールは切れ始め、猛烈な飲酒欲求がおそってきました。

「ビールを買いに行きたいんだが」という僕の言葉に、「おめでたい席だけだっていったでしょう」という妻の言葉が冷水をあびせました。

その晩、なかなか眠れないままに、(明日の良好が始まれば、それは非日常、また飲んだって許されるさ。いや絶対に飲んでやる)という気持ちで布団を抱いている僕がいるのでした。

(この項続く)


2005年12月02日(金) ホームページ作り(その2)

Yahoo!にすげなくされて、僕もちょっとしょげました。
世の中には、「Yahoo!に登録してもらうにはどうしたらいいか」ということを指南しているサイトもあります。そういったサイトをいくつか見て回って、とりあえずすぐできることをやってみることにしました。

まず第一に、ホームページ(トップページともいう)を見たときに、それが何のサイトなのか一目で分かるようにするということです。たしかに「心の家路」という名前からは、何のサイトなのかはっきりしてくれません。
そこでホームページに「アルコール依存症の個人体験から始まって、回復のための・・・」という文句を追加することにしました。これで、「心の家路」がアルコール依存症をテーマにしたサイトであることが、ある程度はっきりしてくれるはずです。
それから、この文章は、サイトをどこかに登録する人が、サイトの内容を紹介する紹介文を書く手助けになるということです。実際に、この文章のまま登録されている場所がいくつかあります。

二番目に、インタラクティブ(双方向)の要素が必要だと書かれていました。つまり、メールの受け口でも、掲示板でもいいから、サイトの作者に対して読者からレスンポンスを返せるようにすることが大切だとされていました。これは、掲示板もすでに設置済みだし、メールアドレスも公開しているので、とりあえずクリアしているはずです。

こうして細かな変更を加えただけで、再度Yahoo!に自己推薦をしてみました。
Yahoo!のディレクトリに推薦する場合には、それがどんなジャンルにふさわしいかも書き添えねばなりません。僕は、トップ > 健康と医学 > メンタルヘルス > 病気、症状 > 依存症 > アルコールというジャンルで申し込みをしました。

数日後、Yahoo!からメールが届いて、「心の家路」が登録されたことを伝えてくれました。ただ、登録先のジャンルは、僕の希望した「依存症>アルコール」ではなく、トップ > 地域情報 > 日本の地方、都道府県 > 信越 > 長野県 > 健康 > メンタルヘルス でありました。
いまもこのカテゴリには3つしか登録がありませんが、当時は二つで、先に登録されていたのはあをねこさんの「道しるべ」でした(なので、「心の家路」は「道しるべ」の弟サイトであると言っているわけです)。

サイトの内容が、地域の情報に偏っている場合は「地域情報」以下のカテゴリに登録するというのがYahoo!のポリシーだそうです。しかし、「地域情報」に登録されたのでは、長野県のメンタルヘルスに興味のある人しか検索の対象にしてもらえません。
Yahoo!に登録されたということで、とりあえずの目標は達成したものの、なんとか「健康と医学」のジャンルに登録してもらいたい。そう思ってYahoo!にジャンル替えを申請してみるのですが、返事は無視というつれない結果が何度か続くのでした。

たしかに当時の「心の家路」は「長野県内のAA情報」がもっともメインのコンテンツでした。それ以外のコンテンツを増やして、なんとかジャンル替えという目標ができました。

Yahoo!のゼネラルカテゴリに登録されるんだ!というのが、サイト更新のひとつの動機付けになっていましたから、そういう意味では「注目されたい」という願望がプラスに作用している面もあったと思います。

「リンク集の充実を目指しています」という文言も、メインのコンテンツのひとつはリンク集ですよ〜というアピールがこもっています。

さて、これぐらい長野県情報の比率をさげればいいだろう、と思ってYahoo!に申請をだしてみても、相変わらず却下続きです。

そのうちに、「Yahoo!のカテゴリの編集者は、Googleでの検索結果を参考にして、サイトをそこに登録するか決めている」という噂を耳にしました。たとえば、アルコール依存症のカテゴリに登録されたいのなら、Googleで「アルコール依存症」で検索したときに、20位〜30位ぐらいまでに入っていると良いというのです。

試しに、Googleで「アルコール依存症」を検索してみると、ようやく200番目ぐらいにやっと「心の家路」が登場する状態でした。

こうして僕の戦いの相手(?)はYahoo!からGoogleへと変わったのでありました。

(この項、ときどき続く)


2005年12月01日(木) ホームページ作り(その1)

ホームページ(最近はウェブサイトといっても通じないな)にしても、日記にしても、ブログにしても、掲示板にしても、つまるところ「自己表現」であるからには、より多くの人に見てもらいたいという希求が存在するでしょう。

会社の同僚相手の掲示板とか、学生時代の友人どうしのBBSとか、そういうクローズドなものもやっていますが、「心の家路」にしてもアクセスカウンターをつけているのは、どれぐらいの人に見てもらっているかを「僕自身が知りたい」からであります。

ホームページその他の作成の技法だとか、ネタだとかそういう話とは別に、「心の家路」でアクセス数を稼ぐためにやってきた話を(また)書いてみたいと思います。

「心の家路」の始まりは、長野県内のAAミーティングの案内でした。これは当時あをねこさんがACミーティングその他の案内をネット上で始められていて、「ACミーティングの案内がネット上にあるのに、AAのがないのはあかんな」という思いで始めたわけです。
ただ、AAのミーティング案内だけあっても、何がなんだかわからないでしょうから、個人の体験談とか依存症という病気の説明なんかを少し加えておきました。

最初は一日に数人の訪問者でしたが、二桁になる頃、Yahoo!に登録すべく申請を出しました。いまはYahoo!といっても、検索エンジンとして圧倒的な地位にあるわけじゃありませんが、当時はまだまだYahoo!の勢いは強く、Yahoo!のディレクトリに登録されているかどうかというのは、ある意味ホームページの良否を分けるとも言われていた時期でした。

Yahoo!への登録の申請はいまは ここのページ から行うようになっています。正確に言えば「サイトの推薦」なのですが、誰も推薦してくれないので「自己推薦」であります。

申請が通ってディレクトリに登録された場合には、数週間後にメールで連絡が来ますが、残念ながら選に漏れたという場合には、何も返事は来ません。

僕は「心の家路」を自己推薦したあと、何週間か待ちましたが、Yahoo!からはメールはまったく届かないのでありました。

(この項、ときどき続く)


2005年11月30日(水) 真っ赤なドキュメント

昨日上司にメールで送りつけたレポートは、案の定真っ赤な字でたくさんのコメントを付加されて突き返されました。やっぱり自分には協調性というものが不足しているなぁと実感させられる出来事でありました。

「AAのステップは理想を述べたもので、仕事をしていく上ではステップなんて応用できない。謙虚だの今日一日などと言っても世間では通用しない」というような意見を耳にすることがありますが、僕はそういう考え方には賛同できません。
たしかに仕事というものには、自分の利益を確保するために、他を押しのけねばならない側面があることは否定しません。でも、「自分さえよければよい」という行動に傾くと、結局自分の利益にはならないものであります。かといって、自己犠牲に傾けば、生活していくだけの金銭を獲得することすら困難になってしまうでしょう。
つまるところ、すべての事柄はつながっているのだということを意識しつつ、バランスの取れた行動を選択していくというが目標になるのでしょうが、それこそがステップの要求しているものだと思うのであります。

さて、先日日曜日に「サンタの○庫」でプリンターを購入しました。
ここのところ5年ばかり、裏紙印刷専用のプリンターにはキヤノン製を使ってきました。なぜキヤノン製を使っていたかというと、インクカートリッジの使い回しができるからです。リフィル(再充填)インクを使って、印刷コストを抑えようとすれば、インクカートリッジは、家にある何台かのプリンターで使い回しができたほうがいいにきまっています。

1990年代のキヤノン製プリンターは、プラスチック部品が多くて、コンパクトで軽くてよろしいのです。しかしその反面耐久性に乏しく、機械的に摩耗してしまうという壊れ方をしました。ただ中古品が安価に出回っていた(数百円で手に入った)おかげで、とっかえひっかえ使ってきたわけであります。

ところが最近になって、そうした古いプリンターが中古屋から姿を消してしまいました。けれど、同時代のエプソン製プリンターは、まだ店頭に飾られていて、今後のタマも十分にありそうです。

思えばキャノンにこだわったのはカートリッジの再利用が理由です。しかし、以前と比べて僕の印刷する紙の枚数はずっと減ってきました。以前は「画面で読むと肩がこるから」という理由でホームページもなんでもかんでも印刷してから読んでいました。メールを書くにしても、長い場合にはいったん印刷して推敲していたりしたものです。何百枚にもなるプログラムコードを印刷して、それを綴じて持ち歩いていたりしました。

でも最近は、カラーで構成されたページが増えてウェブページを印刷するとカラーインクを大量消費してくれるようになり、滅多に印刷しなくなりました。メールは書きっぱなしで送ります。最近は紙にプリントアウトされたコードを読んでいるプログラマーも見かけません。

というわけで、しばらく前にPM-670Cを500円(税込み)で、日曜日にはPM-760Cを2千円あまりで入手して、キヤノン製を置き換えることとなりました。いずれも別に買ったインクカートリッジのほうが高かったです。

キヤノン製と違って、エプソン製は金属部品が多く、ちょっと重くて大きいのが欠点ですが、機械体としてはしっかりしているので、今後何年もつきあっていけるのではないかと思っています。


2005年11月29日(火) 仕事に復帰

今日は仕事に行きました。
出社すると(午後から出社のくせに)さっそくメンバーを召集して会議を開始し、2時間の後に散会、その会議のレポートの下書きを全員にメールで送りつけて「今日中に目を通して返事をくれ」とコメントしておき、返事が返ってきたところでレポートを上司にメールで送信。ちょうど夕方になったので上司からの返事も待たずに帰ってしまいました。
こんなふうに自己中心的に仕事をしていると、きっといつか周りの誰からも相手にされなくなってしまうんだろうと思うのであります。
しかし、いまの自分には周りに気を配っている余裕がありません。

先週の金曜日にZIPディスクの中身が壊れました。このZIPディスクには、個人的なプログラムだとか、「心の家路」のHTMLファイルだとか、消えても死にはしないが、消えるととってもさびしくなるデータが詰まっています。
新しいディスクをフォーマットして、古いディスクからデータのサルベージをして、およそのデータがリカバリできたのが今日の夜です。さあ、できたデータをバックアップしておこうと思ったら、またZIPディスクの中身が壊れ、ここ数日の作業は水泡に帰しました。
どうやらZIPドライブが壊れているようで、つっこむディスク、つっこむディスク片っ端から壊してくれるようです。
もう前世紀の遺物であるZIPドライブとはお別れの時期が来たのかもしれません。
(そういえばアイオメガに注文したドライブはまだ届かないぞ)

代わりのメディアは何にしようかと悩むのであります。
USBメモリは安くて良いのですが、意外と取り回しが面倒なのと、小さすぎて紛失するという難点があります。iPod miniだとかナノだとか、あんなにちいさくてなくさないのか不思議であります。
無難なところではコンパクトフラッシュでしょうか。
会社の同僚に尋ねてみると、ノートパソコンをどこへ行くにも持ち歩いている人、ZIPからリムーバブルハードディスクに乗り換えた人、相変わらずフロッピーディスクで事足りている人、さまざまでした。

そういえば妻の退院の日付が決まりました。12月7日に内科の診察を受けて、そのまま一時退院してくるそうです。一時退院とは言っても、荷物は全部持って、ベッドを明け渡しての退院です。12日(月曜日)に精神科の外来を受診して、問題なければ正式に退院ということになるそうであります。

ただ、子供たちに「ごまちゃんの大冒険」を話して寝かせる習慣は、今後も続いていくのかも知れません。


2005年11月28日(月) 仕事を休み

仕事を休んでしまって、ついでにミーティングも休んでしまいました。

さて、子供のPHSですが、端末の値段は8,800円でした(税込み)。もちろん1円という端末も隣には並んでいたりするのですが、そういうのは月額基本料金が数千円するのであります。「安心だフォン」は月額料金が980円で、なおかつこれが2台目の契約なので、基本料金が400円値引きになります。しかも「無料通話分」という名前のミニマムチャージがなく、完全従量制であるところもお気に入りです。

ところで、仕事を休んだからには、布団で寝ているわけですが、ただ寝ていてもつまらないわけであります。テレビをつけてみても、見慣れないものばかりであまりおもしろくはありません。
しかたなしに、買ったまま読まずにたまっていた少年サンデーをまとめて読破しました。
マンガの週刊誌ですら、読まずにたまってしまう生活・・・なんとか考え直さないと。


2005年11月27日(日) 子供にPHS

「無限回廊」という名前の戦前戦後の猟奇殺人ばかりあつめたサイトを読んでいました。
そして、新聞を読めば、小学生が殺されたという事件がまた紙面を覆っています。
不審者の情報があったのに、詳細が父兄には知らされていなかったと学校や警察が指弾されています。曖昧な情報は不安をあおるだけで、役に立たないと言うことでしょうか。

実は長女次女の通う小学校周辺でも不審者騒ぎはあります。例えば「某ファミリー・レストランの周辺で、片手に人形、もう一方の手に包丁を持って、顔をマスクで覆っていた若い人物が発見された(男女は伏せられてます)」というような情報がまわってきます。

けっこう具体的なんだけれど、だからどうするという具体策がでるわけでもありません。

長女にPHSを持ってもらうことにしました。といっても、学校にケータイを持っていくのは禁止されているので、防犯には役に立たないかもしれません。

「安心だフォン」という電話は3カ所しかかけられない端末です。そのかわり基本使用料が980円で、通話料金は標準料金が適用されます。メールなどは3カ所以外にも自由に送れます。

しばらくは、このPHSのネタで書こうかな。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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