心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年03月20日(土) 対環境性

来月のオープンスピーカーズのチラシを病院だとか保健所だとかに送るために、封筒詰めをしていたらこんな時間になってしまいました。明日の朝起きる時間を考えると、睡眠不足決定です。長岡へは自動車ではなく、車で行きたいと思います。電車だと寝ていけますからね。

昨日設置したカウンターですが、やっぱりうまく動いていないですね。一つは「昨日の訪問者」が更新されてないし、「総数」も更新されていません。自分のところだとちゃんと動いているのだけど、環境が違うと動かないってのはプログラムの問題(バグ)の定番です。環境が変わっても問題なく動けるのは「強い」プログラムで、変化の影響を受けやすいのは「弱い」プログラムです。なんか人間に似ていますね。

今の会社を辞めたいとも思わないし、会社員を止めたいとも思いません。りーまんはやっぱ楽ですから。でも、今の会社が完全に傾いてしまったら、同じ程度の収入を確保しつつ転職するのは難しいだろうと思っています。かといって手取り十数万程度では、いくら生活レベルを落としても、家族を養っていくのは難しいです。妻もパートに出られる状態でもありません。彼女ともよく話し合った結果、失職した場合、ともかく就職活動をしてみるものの、給料面ではあまり妥協はしないで探すことにしました。そんなわがままを言っていては再就職はできないでしょうから、必然的に独立してフリーランスで仕事をしていくことになるのでしょう。
仕事にありつくまで営業を頑張んないといけないし、仕事をやり遂げても、手形で支払われると現金化まで時間がかかります。半年か一年は厳しい局面になるでしょう。
困ったものです。

栗本薫の「グインサーガ」を3冊ほど鞄に詰め込んで、明日はゆっくり電車で移動です。


2004年03月19日(金) 2本目のPerlプログラム完成

Perlの勉強も少し成果が出てきています。といっても身近ですぐに必要なプログラムもないので、「心の家路」にアクセスカウンターをつけてみました。200行ほどの短いプログラムが出来上がり、CGIとしてサーバー上で動作しております。ホームページに「本日の訪問者は○人」と表示されるようになりました。

このカウンターは同じ人が一日に二回訪れても二回カウントしないように工夫してあります。普通そのためには、ブラウザー(Internet Explorerとか)にCookieを食わせるのですが、そうすると一番アクセスの多いホームページをcgiにしなくてはならず、サーバー会社から文句を言われるのも嫌なのでやめました。アクセス元のIPアドレスと、ブラウザ情報、それからproxyを使っている場合にはその情報も組み合わせて識別しています。

一日に何回もアクセスしてくれる人がいて、それはそれで嬉しいのですが、いままでのカウンターだとそれもカウントしてしまいます。僕は何回のアクセスがあったかではなく、何人が覗きに来たかを知りたいのでした。まあ、もちろんコンピューターの前に誰が座っているのかは知りようがないし、昼に会社で見て夜に自宅で見る人は2人とカウントされてしまうわけですから、正確に数えることは無理なんです。でも、なるべく自分の望んだとおりになるというのが、プログラミングの楽しみです。

ダイアルアップ接続の人などは毎回IPアドレスが変わるので「別人」と判定されてしまうのですが、最近はダイアルアップ接続は少数派なんだと自分に言い聞かせることにします。

日曜日は新潟(長岡)の予定ですが、まだ電車で行くか、車を運転していくか決めていません。電車で行く場合でも、全工程普通電車なので切符の予約が要りません。だから、決定を先延ばしできてしまうんです。その準備と、オープンスピーカーズのチラシの発送準備は明日済ませてしまわなくては・・・。

僕の人生には10年という区切りが存在するようです。10年フリーランスで仕事をし(フリーターじゃないよ)、その後10年会社員をやって、さてそろそろまた変化の時期が来たようです。そう言えば飲んだくれていたのも10年余りだったですね。


2004年03月18日(木) 暗い側面

刑法39条には単純に「心神喪失者の行為は、罰しない」とだけ決められています。「心神喪失」てのがどんな状態かは法律では決められていないのだそうですが、戦前の判例によって「精神ノ障害ニ因リ物事ノ理非善悪ヲ弁識スル能力ナク、マタハコノ弁識ニシタガッテ行動スルノ能力ナキ状態」となっているのだそうです。

刑事事件の裁判なんかで精神鑑定が話題になりますが、あれは実は全体のごく一部に過ぎません。たいていは検察での簡易鑑定で責任能力なしということになれば、裁判をやってもどうせ無罪になるので、起訴猶予ということになります。以前、市内で殺人と思われる変死体が見つかったニュースがテレビ報道されたことがありましたが、翌朝以降新聞でもテレビでもそれを取り上げないということがありました。無罪の人間の犯罪を報道してしまえば、それは人権侵害ということになるのでしょうか。

普通の人が泥酔して「前の晩やったことを覚えていない」という状態で、心神喪失を理由に罰せられないということは、おそらくあまりないのでしょう。ところが、アルコール依存症の人の場合、病気の進行の具合によっては、少量の飲酒で意識障害に陥ることがあります(いわゆるブラック・アウト)。この状態で重大犯罪を犯しても、罪に問われない場合もままあるのでしょう(と曖昧にする)。
精神鑑定というのは、「今どうであるか」ではなくて「犯罪当時どうであったか」を問われるわけなので、しらふに戻った本人は責任能力ありありでも、罰されないというわけです。こうして、公にならない事件というのは結構あるんじゃないのかなと思ったりします。

ずいぶん前ですが、ある人が精神病院に入院していると聞いたので、面会に行ったのですが窓口で断れてしまいました。院長に許可を願ったのですが、それも返事がもらえません。閉鎖病棟の中にいる本人から伝聞で聞いた話では、あと何年間か出られないそうです。処置入院でも年数の目安が決まっている例は聞いたことがありません。アルコール依存症で何年も入院するなんて変だなぁと思ったことから、39条を思い出してしまいました。

まあ、仮にそんなことがあったとしても、先の変死体の事件とは時期が違いますから関係ないでしょう(念のため)。真相は本人に聞いてみるまでわかりませんが、それもあと何年か先の話です。

精神病院、しかも閉鎖病棟となれば、僕にとっても悪夢のような場所ですが(未体験)、刑務所経験者に言わせると「懲役に比べれば天国のようなもの」だそうです。


2004年03月17日(水) 長女の中耳炎

長女が滲出性中耳炎にかかったのは3年余り前でした。急性中耳炎がそのまま慢性に移行する形になり、中耳殻にたまった膿が鼓膜を圧迫するので、片耳が難聴になった状態が続いていました。耳管がつまっているのが根本的な原因なので、成長とともに収まるかもしれないと経過を見守ってきたのですが、一向に良くなる気配がありません。
耳管のかわりに、鼓膜に穴を開けるという手術を勧められたのですが、本人も嫌がるので保留していました。鼓膜に穴を開けてもすぐに閉じてしまうので、小さなパイプを差し込んで空気の出入り口を確保するわけです。当然水泳などは禁止、入浴も耳栓をしてということになります。
いつも通っている耳鼻科では、「鼓膜が青い色をしている」のが「少し水色に変わってきた」と言われていました。でもそれは医者の言葉であって、実際に耳の穴の中を見せてくれるわけじゃありません。セカンド・オピニオンを求めて別の耳鼻科へ行ってきました。ビデオテープ持参で、ファイバースコープの映像を録画してもらいました。
健康なほうの耳の奥は、「いかにも体内」という感じで真っ赤な表面をしています。中耳炎のほうの耳は「水色」どころではなくて真っ黒であり、内部から圧力がかかったように膨らんでおり、そして全体に変形していました。いかにも病変という映像です。
ともかく大学病院に紹介状を書いてもらうことにしました。

PerlでSSIの実験をしています。今まで使っていた HTTPD は、Apache との互換性に問題があるので、Apache 2.0に乗り換えました。
しかしどうやってもSSIが動いてくれません。参考書どおりに設定しているのに・・・。半日使って突き止めたことは、Apache 1.3だとうまく動くということです。どうやら仕様が変わったらしいです。

まず最初にアクセスカウンターをつくり、次に掲示板システム、最後が雑記の毎日更新システムを作るというところかな。


2004年03月16日(火) おたくとして、そしてプログラマーとして

映画「イノセンス」を見ました。郊外型シネコンというやつに初めて入ってみました。
数十人規模の小さな部屋がいくつか。ゆったりとした大きな椅子。不満があるとすればDTSになっていないことぐらいでしょうか。

画面は美しかったですが、「コンピューターアニメーションも定型化してきたなぁ」とため息が少し出たりしました。ストーリィについては語りませんが、背景情報を語らない進行は「ついて来れるやつだけ、ついて来い」と言わんばかりでした。主人公がどんな人物で、どんな組織に属していて、そして過去愛した女性が今どうなっているのか・・・。10年近く前の前作を見ていないと理解できない部分が多すぎるんじゃないかな。それと世界観は昔の作品「天子の卵」に似ていなくもないか。
十数人の観客の大半が、頭をかしげ、ぶつぶつ言いながら部屋を出て行ったのは、なんだかかわいそうでした。

月曜はとても疲れました。今日は偶然休みをもらっておいてよかったです。すべての悩みから開放されることを願うのは傲慢な態度だとありましたが、悩みの種(仕事の進退)からは一歩離れて客観的に見てみるだけの余裕を与えられたのは幸運でした。
しばらくは自らは動かず、静に構えるといったところかな。

記憶のためのメモ書き:
尊敬とは按摩に似ている。いつもされていると感じなくなるが、たまにされるとくすぐったい。


2004年03月14日(日) スポンサーと再会

睡眠不足のまま病院メッセージへ。8年前のこのときに、僕はこの病院に入院していました。泣きを入れて入院させてもらったはずなのに、もうこの時期には病院から出て行きたくて仕方なかったです。医者と揉めに揉めた末、自宅から車を持ってきて、病院からAAミーティングに通ってもよいことになり、そのために最初の外出日を待っている状態でした。断酒会の人は例会に参加する人を病院まで迎えに来てくれるのですが、僕は「断酒会ではダメなんだ、AAなんだ」と繰り返して、精神病院の入院患者に夜間施錠後に自分で自動車を運転して外出させるという破天荒な要求を押し通したのでした。

僕は「底をついて」いたのかもしれません。でもまだまだ下は深そうでした。僕は「これからどう生きていくか」の決断を迫られていました。それはこれまでと同じ生活を退院後も繰り返していくのか、それとも何かの努力をするのかという選択でした。日々が不安で、イライラしていました。ただ同時に入院していたAAメンバーの話に寄れば、「毎日ベッドに寝転がってマンガを読んでいた」そうですから、客観的に見れば結構気楽に入院生活をしていたのかもしれません。

スポンサーが病院メッセージの応援?に来てくれたおかげで、久しぶりに会うことができました。以前のメンバーの消息などの話をしました。「今年で12年ですか?」とたずねたら、「14年だよ」という返事でした。自分のバースディはなかなかやってこないけれど、人のバースディはどんどんやってきます。不思議なものです。
もう僕がスポンサーに相談の電話をすることもないし、「子供をつれて遊びに行く」という約束が果たされることもないのかもしれません。でも、スポンサーはずっと僕のスポンサーです。僕にとって「先行く仲間」と言えば彼のことです。

そういえば、病院に車を持ち込んで、最初にAAミーティングに行ったときに、まず彼に「スポンサーになってください」と頼んだのでした。あれが人生の転機だったのでしょう。


2004年03月13日(土) プロザック・ネーションはまだ見ない

『私は「うつ依存症」の女』(原題:プロザック・ネーション)という本が出ていて、僕の本棚にもずいぶん前から存在しているのですが、まったく読んでいません。この前、CDレンタルのお店に行ったら、ビデオが出ていました。知らないうちに映画になっていたのですね。押井守の映画「イノセンス」も公開中なのに、ひとりで見に行くのもつまらないので、まだ出かけていません(うつの状態が良くないせいもあるのですが)。

映画が斜陽産業といわれて久しいですが、それでも映画がなくならないのは、ビデオテープやDVDを売ったり貸したり、CS放送で流したりと売ることに余念がないからでしょうか。
出版もすでに斜陽産業なのかもしれません。出版点数ばっかり増えていて、売り上げは減る一方です。本屋の店先にはどんどん新刊が平積みされては、消えていきます。良い本を作ろうという気概がどこかへ消えてしまって、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる式のようです。ベストセラーは今や「マーケティングで作り出すもの」だそうですから。
小学生や中学生が読むマンガ雑誌もなくなってしまいました。アニメも半数は大人が起きている深夜に放送されています。あるアンケートによると今の子供たちは、あまりゲームをやらないらしいです。その理由は「ゲーム機を持っていないから」だそうです。もはやゲームも学生やひきこもりの大人たちの娯楽に変わってしまったのかもしれません。

子供たちの欲しいものの一番は、携帯電話だそうです。まあ、デバイスの向こうに人間がいるだけ良いことかもしれません。大人たちは本を読まずにディスプレイ画面を眺め、さびしい子供たちは話し相手を求める・・・などと時代を嘆くふりをしながら、いまごろ「カードキャプターさくら」をこつこつ見ていたりします。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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