心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年07月05日(金) 現実逃避

やらねばならない事がある。 すると別のことがどうしてもやりたくなる。
仕事でもよくあります。 そういうこと。
資料を書かねばいけないのに、ブックマークの整理を始めたり。
プログラムの見栄え(アイコンのデザインとか)に妙に凝ってみたり。
今夜も引き受けたボランティアの件を進めるためにパソコンを起動したのですが、ちょっと十数年前の体験を書き綴り始めたら、なぜか朝になっていました。
文章は少し寝かせたほうが、良くなるので、そのうちに収録しますね。
さっき新聞配達がやってきて、始発電車が窓の外を通っていきました。
土曜の朝。



2002年07月04日(木) ねむい

やっと社長が退院してきました。
といっても、退院前にやった検査の結果が出るのは来週ですから、初日からいきなり完全復帰というわけにもいきません。 難しい決断を迫られているので、替わって決断して欲しいわけなんですが、それはまだ僕の肩に乗っているのです。でも、考えてみると、今回の入院の一件の前までは、こうした決断はすべて他の人に下してもらっていたのだな、と気付いたりもしています。

副作用のひどかった(鼻血)伝統的な抗うつ薬を替えて、SSRIに変えている過渡期なのでどちらの薬の効力も今一歩、という感じで、かなり抑うつ状態でもあります。それでも、すこしは気楽になったかなぁ・・。

ミーティングにやってきている若いメンバーが、「飲みたくてたまらない」と電話をかけてきました。30分ほど話し込んだら、「ともかく飲むのは明日の朝まで延ばす」ってことになりました。翌朝どうなるのか知りませんが・・・。
まあ、私用電話を30分していても、問題の無い職場は大切にしたいものです(笑)。



2002年07月03日(水) あをねこさんの掲示板に書いた記事

がっかり

一応サイトに目を通してみました。作者 Mary Stevenson (Zangare) が、最初の FOOTPRINTS IN THE SAND を書いたのが1936年。その後追加があったようですが、本人は無償で、これを配っていたようです。(ベトナム戦争に従軍する兵士への手紙にも加えられたとあります)。歌手の Kathy Bee と出会い、その薦めにより著作権登録されたのが1984年。(アメリカの著作権は登録制。日本では著述と同時に権利が発生するんで登録はありません)。その後は Kathy と組んで、Anti-Child Abuse(子供の虐待反対かな?)の歌を作ったりしてます。

この間に Margaret Fishback Powers という人が作者とする同じ詩が出版されていました。 んでもって、他のサイトなども見ると、Mary と Margaret との間に、誰が本当の著者かを巡る論争が続いていたようです。で、Mary は 1999年に亡くなって、詩の管理は Kathy M. Hampton という人にまかせられたとなっています。おそらくは、このサイトはこの人が管理しているのでしょう。一応目的は「anonymous(よみ人知らず)とされているこの詩を、Mary Stevenson のものと世間に認知してもらうため」だそうです。本を売るのが目的に見えますが。

サイトの維持者の訴えもわかるのですが、anonymous としている人を「詐欺師」呼ばわりしているのをみたりすると、ちょっとげんなりです。ともかく、このサイトのオーナーにメールするのはやめにしました。「知らなきゃ良かった現実」というやつでしょうか。
ちなみに FOOTPRINTS で探すと、個人で日本語に訳したページが結構ヒットします。


2002年07月01日(月) WHY WE WERE CHOSEN

やっと、「不思議な力」の私訳を載せられました。
FOOTPRINTS IN THE SAND も収録したかったのですが、こちらは anonymous ではなく、Mary Stevenson (1922-1999) という人が作者のようです。詳しく調べてませんが、http://www.foot-print.com/ に細かな内容がありますんで、時間がある方は読んでください。僕としては『砂の上の足跡』は大好きな詩でもあります。それが載せられないのは残念。あと、手持ちの文章で copyright free のものというと、90 TOOLS FOR SOBRIETY(ソブラエティのための90の道具)ぐらいしかありません。さあ、趣味の翻訳は終わりにして、ボランティアに手をださないと。
社長も、今週一杯には退院してきそうです。


2002年06月29日(土) 御礼

昨年の長い夏休みの間に、「あをねこさん」のサイトの存在を知り、自分も似たようなことを始めてみようかと考えたのが、このサイトの始まりでした。10月にとりあえず、「さるさる」で日記を書き始め、1月に本サイトのオープン。この頃はフレーム形式でした(いままでフレームを使ったことが無かったので試してみたかっただけ)。その後すぐに、現在のレイアウトに落ち着きました。

自分のサイトがどれぐらい人に見られているのか、という数字は、Webマスターにとって最大の関心事でもあります。 そこで、ユニークなカウンター(同じ人が同じ日に複数回見ても多重カウントされない)を設置しました。ちなみに、このカウンターは、アクセス解析の機能もあり、どこから見に来ているか記録する機能もあるのですが、もちろんプライバシー保護のために、そうしたデータを保存することはありません。(その点だけは信用してください)。

最初の頃はリンク元といっても、「あをねこさん」のところばかりで、一日に数人が訪れれば多いほうで、ゼロという日もある閑散としたサイトでした。四月あたりからゆっくりと訪れる方が増え始めたのは、AAメンバーのKさんがオープンスピーカーズの時に、いろんなメンバーの方に紹介してくださったおかげでしょうか。

Referer(リンク元)の統計を見ると、最も多いのは「アル中の二郎さん」のリンク集からいらした方。次が名古屋のグループ「える」のページから、その次は「あをねこさん」のサイト。あとは、サーチエンジンの結果から来ている方もちらほら。最近では日に20〜30もの方が見にいらしてくださっているようで、更新の少ないWebマスターとしては恐縮な限りです。

このサイトのおかげで、いろんな方と知り合う機会が訪れました。 意外なチームに参加し、意外なsuggestion をもらったりしました。 このサイトの恩恵を受けているのは、ほかならぬWebマスター僕自身なのは、疑いありません。


2002年06月28日(金) いやあ、風邪でしたね。

木曜の朝、いつもより2時間早く起きたのは、単に調子が悪くて前の晩に、風呂も入らずに寝てしまったせいです。 「休んだほうが無難かな」という思いもあったのですが、その日は同僚の仕事の納品の日でもあり、心配な点もあったので、同行することにしました。案の定、トラブル続きで、立ちっぱなしで数時間を過ごしました。節々の痛みが「おそらく風邪のせい」だとは思っていたのですが、トラブルが解消し、帰ってこれたのは、やはり夜になってからでした。
体温計で計ってみると、二年ぶりの39度でした。 風邪薬を飲んで数時間寝ていたら、38度を切ってきたので、そこで安心して寝ました。 今朝も37度台だったので、ともかく予定通り休む、と会社に連絡を入れ、一日静養ということにしました。そんなわけで、とんだ3連休です。

熱にうなされる中で、過去のいろんな場面を追体験したと思うのですが、もう覚えていません。手足がしびれるので、妻にさすってもらったところ、左手首の傷を見つけられました。「結婚前に話してあったはずだが」、と前置きして、自殺未遂と命の恩人、救急病院と東京から長野に戻ってくるいきさつなどを話しました。救急病院に担ぎ込まれたのが確か夜8時半ころでしたでしょうか。 夜勤の医師が「30分前に寝入ったばっかりなのに」とこぼすのを聞きながら、すみません、すみません、と謝っていた自分を思い出しました。


2002年06月26日(水) 風邪か?

単なる睡眠不足か、それとも娘の風邪がうつったのか。
会社の机には体温計は置いてないし、もしあってもこういう場合は計らないことにしています。熱があったらあったで、問題が確認されるだけだし、ないならないで、問題が解決されるわけでもありません。 拘束時間帯が過ぎたので、とっとと帰ることにしました。布団を引いて寝、途中で「ごはんだよ」と起こされて、食べたのは覚えているのですが、気が付いたら朝になっていました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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