心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年04月22日(月) ありのまま願望の落とし穴

アスペルガー症候群(ASD)である狸穴猫(まみあなねこ)さんが、当事者の視点で書いている「アスペルガーライフblog」を時々読んでいます。

最近読んでいて「おおっ」と思ったのが、この二つのエントリ

定型者の自己イメージとASD者のありのまま願望
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-572.html
定型者の自己イメージとASD者のありのまま願望(2)
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-573.html

この二つのエントリに目を通して頂いた前提で話を勧めるのですが、エントリ中の図

定型発達者の自己表出構造

で、「根っこの自己」と表現されているのは、むき出しの本能のことでしょう。(この本能とは12ステップで言う本能で、人間の持つ様々な欲求・欲望のこと)。

その上に載せられている「切り替えられる自己」の多層(複数レイヤー)構造は、「社会性」というものでありましょう。

私たちはこの複数のレイヤーを、場面ごとに切り替えながら使っています。その切り替えはかなり自動的に行われているのであまり意識されません。職場、家庭、趣味のサークルなどで、それぞれ別のレイヤーを使い分けているでしょうし、同じ職場でも上司相手と部下相手では違うレイヤーを使うでしょう。

社会性について少し掘り下げてみます。以前、自閉症協会の会長さんの講演を聴いたことがありますが、その講演の中で会長さんは

「なぜこの部屋の中に歌を歌う人がいないのでしょう?」

と問いかけました。50人、100人と集まっていれば一人ぐらい歌を歌うヤツがいてもいいはずだ。・・・いや、そう言われても、僕がここで歌わないのは、講演を聞いている最中に歌い出して「変なヤツ、頭のおかしなヤツ」と思われたくないからです。それが社会性です。

僕だって、部屋で一人でご機嫌なときはふんふんと鼻歌ぐらい歌っているかも知れません。そのようにどのレイヤーを使うかは意識せず自動で切り替えられています。

僕らは苛立ちをモノにぶつけたくなるときがあります。イライラして椅子を蹴ったり、紙を破いたりしたくなる・・でも、そうしない理由は、自制心の足りない未熟なお子チャマだと思われたくないからです。

人には共存の本能があり、社会に属したいという欲求があります。人から認められるという承認欲求を満たさないと、私たちは生きていけないのです。だからこそ私たちは社会性を身につけます。上の図はそれを多層のレイヤー構造として表現しています。

発達障害を持つ人(中でも自閉的特性を持った人)は、シングルレイヤーと言って、このレイヤーが多層構造しておらず、単層(あるいはせいぜい数層)になっていて、しかも、そのレイヤーは意識的な努力によって維持されている、というのです。

シングルレイヤーの人でも共存の本能があるので、一人は淋しい。だから人付き合いに外に出かけていくのですが、ぐったり疲れたり、あるいは失敗して傷ついて帰ってくる・・・一人のほうが楽で良いけど、一人は淋しくて・・これの繰り返しが多いんじゃないかと思います。

定型発達の人は多層構造を無意識に維持しているがゆえに、「根っこの自己」との乖離は意識することはあまりありません。しかし、シングルレイヤーの人は、そのレイヤーを意識的に維持しているからこそ、乖離を強く意識する結果になるのではないか。だから、疲れない付き合いや社会参加を求めて「根っこの自己」を受け入れてくれる人間関係を求める。それが「ありのままの私を認めて欲しい」という希求につながるのではないか、という洞察が、上記のエントリの主張ではないかと思います。それには僕も同意します。

では、この「ありのままの私」が周囲に受け入れられる可能性があるかと言えば、答えはノーだと思います。「ありのままの私」とは社会性を伴わないむき出しの本能であり、そのままで行動すればわがままで未熟な存在と見なされてしまうため、他者と衝突することになり二次障害のうつでも引き起こすのがせいぜいだと考えられます。

だからと言って、レイヤー数を増やそう、とか思わずに、自分があまり無理せず維持できるレイヤーを維持しつつ、「変人枠」を活用して社会の中に活路を求めなさい、という話でありましょう。

ここで話は「アスペルガーライフblog」から離れます。

なぜ発達障害の人がAC(アダルトチルドレン)の文化にあこがれるのだろうか、それは彼らのシングルレイヤー特性が理由なのではないか、という話をします。

アダルトチルドレン(AC)とは、アルコール依存症の親の元で育った子(ただし成人したもの)の中に、社会に適応しながらも心の中に大きな不全感を持った人たちが目立ったことから生まれた概念です。

人間は誰しも「家庭」という一番小さな社会の中で「社会性」を子供の頃に身につけ始めます。それが社会性の一番の基盤をなします。しかし、アルコール依存症の親がいる家庭の場合、その「一番小さな社会」は世間のスタンダードとは大きく外れた基準がまかり通っています(つまり歪んでいる)。子供はその家庭に適応しなければ生き残れないので、その家庭の(歪んだ)スタンダードを身につけつつ大人になります。しかし、その社会性は、その子が大人になって出ていった一般社会では通用しません。そこで、適応に齟齬をきたしたり、過剰適応に至った結果、大きな不全感を抱くことになります。

AC概念は定型発達者を前提としているでしょう。社会性イコール前述の多層(レイヤー)構造です。ただ、そのレイヤーが現実に適していない、ということです。

ACは新しい社会性を身につける必要がある(その点では回復の手法はアル中と変わりない)のですが、そのためには、古い役に立たなくなったレイヤーを捨て、「ありのままの自分」をいったんは明確に意識する必要があるのだと思います。

赤子のような本能むき出しの自分を意識しつつ、新たな社会性を身につけていく(現実生活に適した多層構造を再獲得する)のが、ACの回復であり、まさに「回復と言うより成長」なのでしょう。ACというのは、分厚いレイヤーを構築する能力が元々あるわけですから、再獲得にも見込みがあります。

しかしここにシングルレイヤーの人が乗っかってしまうとどうなるか。彼らは「ありのままの自分を取り戻す」というアプローチに魅力を感じます。なぜならそれは単層レイヤーで社会適応に苦労してきた彼らにとって魅力的な出口に見えるだろうからです。

しかし、分厚いレイヤーを獲得する能力を持った元来のACとは違って、この自称ACのシングルレイヤーの人たちは、本能むき出しの状態に留まってしまうか、あるいはせいぜい再獲得できてシングルレイヤーに戻るぐらいです。結局「ありのままの自分を取り戻す」アプローチは、彼らにとって出口ではなく、むしろ社会性を減じてひきこもりや無業にしてしまう落とし穴になっているのじゃないでしょうか。

AC概念がアルコール依存症の子供に限られていた時代は、このようなミスマッチは少なかったのでしょうが、概念が機能不全家庭の子供にまで拡大されたことが、AC誤認を可能にしたと言えます。

それが僕がAC概念を使わなくなった理由の一つです。

ではシングルレイヤーの人には「ありのまま」アプローチの代わりにどんなアプローチが考えられるのか。僕はそんなに経験があるわけじゃありませんが、一つのことは言えると思います。

それは、上に書いたようにシングルレイヤーの人にも当然に共存の本能があることです。彼らは他者からの承認を強く求めています(その希求がありのまま指向となって現れているとも言える)。その承認欲求を満たすことが彼らが自己実現へ近づく道なのだと考えます。

具体的手段は、個別のケースごとに異なるでしょう。例を挙げれば、無業の人の場合には働くことが自己実現であり、承認欲求を満たす一つの手段です。一般雇用が可能なら普通に働けば良いし、場合によっては障害者雇用でも、時々バイトするぐらいでも良いのですが、働いて金銭を稼得することは、一般的に認められやすい、つまり承認を得やすいことですし、それが本人の自信や生きる喜びにつながっている例は多数あります。もちろん、働くことは多様な策の中の一つに過ぎないことは強調しておきます。被災地のがれきの片付けに行くことから充足を得る人だっているのですから。

他者の承認を求めるのは、人間の重要な欲求の一つであり、それを否定してはならないのです。しかし「ありのままの自分」が他者の無条件の承認を得ることはありません。赤ん坊ならいざ知らず、大人にはその可能性は与えられていません。「ありのままの私」は自分一人だけが認めてあげれば十分であるはずです。


2013年04月18日(木) 山麓閑話

ステップやアルコホリズムの話ばかりだと何なので、たまには違う話でも。

最近「円安」なのだそうです。1ドル100円近くになっています。ただ、年配の人は1ドル360円だった時代を憶えているでしょう。

対ドル為替レート(1950年以降)

これは、1950年以降の対ドル為替レートのグラフです(wikipediaより)。太平洋戦争敗戦後の1945年から1971年までは、1ドル=360円の固定相場制でした。その後1ドル=308円の時代を経て、1973年に変動相場制に移行しました。

その後しばらくは、1ドル=180円から300円弱を行ったり来たりします。これがざっと10年間続きました。

1985年のプラザ合意から2年後のルーブル合意までの間に、1ドル=120円まで円高が進行します。これは各国政府による協調介入で、意図的にドル安(円高)を実現するものでした。

それから2007年ぐらいまで約20年間は、100円から150円弱を行ったり来たりです。しかし2007年からは、政策によって円高がさらに進み、2011年に戦後最高値の1ドル=75円を記録。その後も70円台が続きました。

円高が進むということは、日本円の価値がドル換算で上がるということです。1ドル=80円とすると、円の価値は1ドル=360円時代の4倍になったということです。

例えば、時給720円で働いている人がいるとしましょう。1ドル=360円時代なら、ドル換算で時給2ドルです。それが1ドル=80円時代になると、時給が4倍になって時給8ドルです。円でもらっている額は変わらないのに、世界の基軸通貨であるドルではどんどん時給が上がっている計算になります。

給料をもらう側からすれば、日本円でもらう額が増えるわけではないので、特にうれしくありません。しかし、給料を払う側の企業からすればありがたくない話です。特に輸出企業の場合、国内の生産コストが上がるので、国際的な競争に不利になります(自社の製品が勝手に値上げされてしまうようなもの)。

輸出が減る一方で、海外のものが相対的に安くなるので輸入が増え、結果としてGDPの伸び率が悪くなって不景気になります。これが円高不況と呼ばれるものです。1971年以降、長期的に見れば、日本はどんどん円高へと進んできました。この40年間、日本の経済は円高不況との戦いの連続だったと言っても過言ではありません。

一般に、輸出産業の生産性は高く、輸入産業は低くなります。しかし、円高になり不況になると、輸出企業は海外に生産拠点を移してしまいます。実際日本では1980年代以降、自動車や電機の企業がどんどん工場を海外に移転させてきました。新規の投資も多くが海外に対して行われています。

これは生産効率の高い仕事が海外に流出し、効率の悪い仕事が国内に残るということです。効率が悪いとは、キツイ仕事を長時間しても給料が少ないということです。企業は競争に勝つために「効率化」を追求しました。特にバブル期以降、経済団体の発表する文章には効率化の文字が目立ちます。

そして働く従業員にも効率化が求められました。無駄な時間を使うな。のんびり仕事をするな、ということです。無駄の排除ということです。

効率化は企業が生き残るのに必要なことでした。そうでなければ国際競争に勝てず、国内の競争相手にも負けて、市場から撤退(つまり倒産)させられてしまうのですから。

ただ最近思うのは、効率化=非効率(無駄)の排除は、日本全体にとって良いことだったのだろうか、ということです。

どんどん効率化が行われてきた、ということは裏返せば、昔の日本の職場は余裕があった(無駄だらけだった)ということです。何十年か前の日本では「職場結婚」というのが多かったのですが、それには職場で若い男女が親しくなるだけ雑談できる余裕があり、周囲もそれを容認する労働環境だったということです。少子化と効率化は無関係ではありますまい。

また、効率化を求められても、効率よく働ける人たちばかりとは限りません。うまく働ける人たちは、不景気でそれなりの仕事を保ち続けることができるでしょう。しかし、効率の悪い人たちは、労働市場の脇に押しやられ、きつくて賃金の安い仕事をするか、する仕事がなくなってしまうかです。

低収入に対して自己責任論が横行するのは、アメリカからリバタリアニズムを押しつけられているからでしょう。(この一言だけでバッサリ切って片付ける)。

労働効率が悪くて市場から閉め出された人は、福祉政策の対象になります。ところが生活保護費を支給しようにも、原資となる税金を納める人たちが減っているのですから、国は赤字になります。最終的に増税するしかありません。また、企業が排除した人たちを、障害者雇用の特例子会社のような形で、法律で企業に背負わせる仕組みを拡充するしかなくなります。

非効率を排除して効率化を成し遂げたつもりでも、非効率さは消えてなくなることはなく、巡り巡って戻ってくる。効率化とは幻想なのです。非効率さが戻ってくると、さらに効率化の努力をする・・・悪循環です。

ここ数年、発達障害のことが取り上げられるようになってきたのは、2007年以降一層進んだ円高の影響もあるでしょう。究極の効率化を求められた企業から、何らかの非効率さ(発達特性)を抱えた人が排除され、そうした存在が目立ってきたことが関係しているはずです。発達特性を抱えた人が急に増えるはずもはく、昔から日本に存在していたはずです。それが非効率さの中で許容され、障害とは見なされていなかったのだと思います。

効率化は局所的な正解です。生き残らなければならない企業経営者が効率化を求めるのは当然です。しかし、効率化を社会全体の正義にしてはいけません。それは、国全体から見れば、支出の増大と増税による不景気をもたらすだろうからです。

非効率さを目の前から追い払うことはできますが、それは消え去りはせず、必ずどこかに存在し続けます。少なくとも、効率化が円高への処方箋にならなかったのは明らかです。


2013年04月03日(水) その力があなたの問題を解決する

日曜日は夕方からステップの勉強会をやりました(月イチでやっている)。その内容の振り返りなど。

ステップ1は「アルコールに対して無力」であることを認めるステップです。

アルコホーリクが1杯の酒を飲むと「渇望現象」が起こり、酒を適量にコントロールすることができなくなることが問題です。今のところ、これを根治できる治療法は見つかっていません。これは「解決できない問題」ですから、変えられないものとして受け入れるしかありません。

酒(や薬やギャンブル)を適度にコントロールできないのなら、きっぱりやめるしかない、ということです。

では、酒や薬やギャンブルをきっぱり断った人が、なぜ再び酒や薬やギャンブルに手を出すのか? それは、その時その人の頭の中で「今度こそうまくコントロールできる(うまく飲める)」という間違った考えを信じてしまうからだ、と説明されています。こちらの問題をビッグブックでは「強迫観念」と呼んでいます。

強迫観念とは「真実でないこと(ウソ)」を信じてしまうことです。断酒中の人は「私は今度こそうまく飲めるとは思っていない」、自分はウソを信じる人間ではない、と主張するでしょう。もちろんそのとおりです。飲めばどうなるか分かっているからこそ断酒が続きます。ところが、その同じ人が、いつかは今度こそうまく飲めるというウソを信じてしまう瞬間がやって来るのです。その時にはもう酒を退けることはできず、最初の一杯に手をだしてしまいます。

アルコホリズムの傾向がある人には、いつかはその時と機会が必ず訪れ、だから必ずまた飲む(p.61)、というのです。

飲めばどうなるか分かっていながら、自暴自棄の気持ちで「どうなってもかまわない」と酒に手を出す場合もあるでしょう。でも、飲酒したことを後になって必ず後悔するわけですから、「どうなってもかまわない」というのは真実ではなかった(ウソ)であることがわかります。

再飲酒(リラスプ)というのはそんなふうに起こるのです。つまり、今度こそ違う結果が起きるというウソを信じてしまうことです。これこそが私たちが抱える問題の核心(crux)だと言っています(p.51)。その強迫観念は人の力では解決できないため、アルコホーリクはアルコールに対して無力なのです。

渇望現象を理解すると「なんとか酒をコントロールしてうまく飲もう」という考えを捨て、酒をやめる努力をするほうへ切り替えることができます。強迫観念を理解すると「自分の力で酒をやめていく」という考えを捨てて、人間以外の力を頼るほうへ切り替えることができます。

さて、昨日の勉強会の主題は第4章でした。ビッグブックの p.66 にはこうあります。

「必要な力がないこと、それが問題だった。私たちは生きていくための力を見つけ出さなければならなかった。それは自分を超えた偉大な力でなくてはならないことがはっきりしている。けれどもその力をどこに、どうやって見つけ出すのか」

必要な力が無い=無力、ということです。普段は酒を飲めばどうなるか良く分かっていますから、意志の力が働いて断酒が続きます。しかし、いつか強迫観念に襲われる瞬間が来たとき、酒を退ける力はアルコホーリクにはありません。「そんなことは自分には起こらない」と信じるのは勝手ですが、そういう人はいざ再飲酒をした後で「魔が差した」とか「ついうっかり」という言い訳を自分にします。

「魔が差す」「うっかり」という言葉は、ウソを信じるという強迫観念の本質をよく表現しています。

自分に解決する力がないのなら、解決できる「力」をどこかに見つけ出さなくちゃなりません。

さて、その次の文章(p.66の最後の行)はとても大事な部分です。学校の先生が黒板を指して「ここテストに出るからな」と言うのと同じで、ここだけは押さえておけ! という部分です。

「それこそがこの本の主題である。この本の目的は、あなたが自分の問題を解決するのに必要な、あなたを超えた偉大な力を見つける手助けをすることである」

ビッグブックという本の主題は、私たちの強迫観念という問題を解決する自分より偉大な力を見つけることだ、と言っています。その偉大な力のことを、ある人は「ハイヤーパワー」と呼び、また「神」と呼ぶ人もいます。なんと呼ぼうとその人の自由です。ビッグブックは12ステップの解説書ですから、つまり12ステップはハイヤーパワー(あるいは神)を見つけるための手段だということです。

日本語の文章だと分かりにくいのですが、原文はこうなっています。

Its main object is to enable you to find a Power greater than yourself which will solve your problem.

「この本の目的は、あなたの問題を解決してくれる、あなたを超えた偉大な力を、あなたが見つける手助けをすることである」という意味です。

その力があなたの問題を解決する、と言っています。

問題を解決するのは私たちではなく、その力のほうです。その力の手助けによって自分で解決するとは言っていません。もちろん、私たちが何もしなくて、その「力」が勝手に強迫観念を退治してくれるわけではありません。私たちはステップ3から先に進み、棚卸しや埋め合わせなどをすることになります。その行動の結果、私たちに強迫観念を解決する力が備わるとは言っていません。私たちがやることをきちんとやれば、あとは神様側でなんとかしてくれる、ということです。

アルコホーリクは、途中から誰かに渡すことを嫌がるものです。始めた以上は、最後まで自分が主導権を握ってやりたがります。12ステップに取り組めば、最後には自分に問題解決の力が備わる、と考えたがります。

でも12ステップをやってもその「力」は自分に備わりません。その「力」に自分を預けることで、その力が自分に働きかけ、代わりに問題を解決してくれるのです。12ステップはその仕組みを実現するための手順です。

「AAミーティングに通い続ければ、仲間の支えで酒をやめ続けられます」というのは、実は無力を認めていないし、ステップ1も出来ていません。なぜならば、(自分以外の力を頼んでいるにしても)解決の主体はあくまで自分のままだからです。

ときどき「私はステップ1の無力を認めていますが、ステップ2はまだできていません」と言う人がいます。僕にいわせれば、そんな状態はありえません。ステップ1と2はひとつながりになっていて、途中で立ち止まったりできないのです。

というのは、ステップ1の無力を認めるということは、私たちには強迫観念という問題があって、いつ再飲酒してしまうかも分からない、という不安で耐え難い状態を認識する(認める)ことだからです。普通なら、とっとと問題を片付けて安心したいと思うものでしょうから、解決を求めて自動的にステップ2へ進みます。ステップ1と2の中間で踏みとどまる人などめったにいるものではありません。だから、そう発言する人はステップ1ができていないのだと思います。その人は「何かを認めた」のでしょうが、「無力は認めていない」のです。

ステップ1では「認める」という言葉が強調されます。だから、何かを認めただけで、ステップ1がこなせた気分になってしまうのでしょう。私たちは医者に「アルコール依存症だ」と診断を下されたとき、それを嫌いました。もう飲んではいけないと言われたときにも、それを拒絶しました。ミーティングに通いなさいといわれたときにも嫌がりました。

しかし、自分でいろいろ試してみて、拒んでいたことを受け入れ、自分の状態を認めることにしました。今は病気であることを認め、飲めないことを認め、そのためにAAもやっている、自分ながらよく認めてきたと思ってしまいます。けれどそれはステップ1の入り口に過ぎません。

ステップ1は、「誰のどんな手助けを得ても自分では解決できない問題を、私たちは抱えている」ということを認めるステップです。問題が分からなければ、解決することは難しいのです。

この問題を把握するために、何度も失敗(再飲酒)を繰り返さなければならなかった人たちもいます。

「アルコールは偉大な説得者だった。アルコールはとうとう私たちを打ち負かし、正しい状態に叩き込んでくれた。だがそれはうんざりする道のりだった」(p.70)

あくまで自分の力で解決したい人を、無理に説得する必要はありません。やがてアルコールが彼らを説得するでしょう。けれど、何度再飲酒を繰り返そうとも、問題を把握できずに死んでいってしまう人もいますし、説得されるまでに時間がかかりすぎて、いろいろ失ってしまう人もいます。

参考:問題飲酒者に共通の性格
http://neatthing.blog.fc2.com/blog-entry-955.html

(a)私たちはアルコホーリクであり、自分の人生が手に負えなくなったこと
(b)おそらくどのような人間の力も、私たちのアルコホリズムを解決できないこと
(c)神にはそれができ、求めるならばそうしてもらえること

AAミーティングで毎回これを読んでいるのに、ミーティングに出ている人ほど(仲間の力とか自分の力という)人間の力による解決を好んでステップ1の無力から遠ざかりがちなんです。とは言うものの、ミーティングに出なくても断酒が続いていると、ますます無力から遠ざかってしまうわけですが。

まあ、そういう話をしている勉強会なんです。


2013年03月27日(水) AA中の特別な二人

AAは、ビル・Wとボブ・Sという二人が始めたため、この二人は共同創始者(co-founder)と呼ばれています。この二人は「AAメンバーではなかった」とまで言われるほど、AAの中で特別な存在です。

AAは平等性や民主制を大事にする団体ですし、個人にスポットライトが当たることを嫌う団体でもあります。そのAAが、この二人だけは特別扱いしています。あちらの経験談を読んでいると、ビルとボブの写真がミーティング会場の壁に貼ってある・・なんて書いてあったりします(おおっと個人崇拝!)。それが咎められるわけでもないようです。

なぜこの二人が特別扱いされるようになったのか。

ビッグブックの「初版に寄せて」にはこうあります。

「私たちのほとんどはビジネスマンや専門分野の職についていて、そういうことになったら本職のほうがおろそかになりかねない。私たちのアルコホリズムとの取り組みは、あくまで副業の範囲であることをご理解いただきたい」(p.xvii)

第2章にもこんな文章があります。

「私たちはみな、これから示すような取り組みを実行するために、自由な時間の大半を費やすが、この活動だけに専念して時間を使うことができる幸運な者は何人もいない」(p.29)

ビッグブックが書かれた時点では、アルコホーリクと関わることを職業にしていたメンバーはほとんどいなかった、ということです。数少ない例外がビルでした。

第1章の「ビルの物語」にはこうあります。

「妻とぼくは、ほかのアルコホーリクたちが解決を見つけ出せるよう手助けしようという考えに熱中して、それに没頭した。昔の同僚のぼくに対する信用が全くなかった時だったから、一年半ほど仕事らしい仕事がなかったことは幸いだった」(p.23)

ビルの伝記映画を見ると、妻のロイスが働いて家計を支え、ビルはアルコホーリクを助けることに熱中している様子が描かれています。そうして、ビルはビッグブックを書き、AAのオフィスを構え、アルコホーリク財団(後の常任理事会)を組織していきます。ビルは(他のAAメンバーのように)ビジネスの世界に戻ることを願っており、実際チャレンジもしましたが、果たせずに「アルコホーリクと関わる」ことが彼の生涯の仕事となりました。

もう一人の共同創始者ボブ・Sも「アルコホーリクと関わる」ことを職業としました。「ドクター・ボブの悪夢」の冒頭にこうあります。

「彼は、他界する一九五〇年までAAのメッセージを五千人以上のアルコホーリクの男女に伝え、彼らへの医療費の請求のことは考えずに治療を施した」(p.241)

痔の手術が得意な外科医だった彼は、回復後はアルコホリズムの分野に身を投じ、患者に12ステップという治療を施しました。

始まったばかりの頃のAAは、あらゆる階層の人々を惹きつけたわけではなく、その対象は限られていました。白人で、教育程度が高く、元々は経済的にもそれなりに豊かだったのに、酒のせいで経済的にも社会的にも落ちぶれてしまった人たちでした。メンバーの多くが回復後は職業に復帰し、社会的地位を取り戻していった中で、ビルとボブの二人は、当時は偏見が強く病気だとすら思われていなかったアルコホーリクに関わることに職業生活を捧げていました。他のメンバーたちが、彼ら二人を特別扱いしたのは当然だったのではないでしょうか。

彼ら二人は、12のステップ・12の伝統というスピリチュアルな分野においても、またAAという団体の運営という現実的な側面においても、常にAA内の「権威」であり続けました。しかし二人とも人間である以上、寿命があります。二人の没後、誰がその権威を引き継げるのか? 彼らの代わりになれるAAメンバーがいるわけがありません。そこでビルが考えたのが、AAメンバーの中から選挙で選出される評議会制度です。

最初の評議会は1950年。これはドクター・ボブの死とほぼ入れ替わりでした。5年間の試行期間の後に、1955年に正式に評議会制度がスタートし、ビルは自身が持っていたすべての権威を評議会に引き継ぎました。それは間接的には、評議会の選出母体となる一つ一つのAAグループに権威が引き渡されたということであり、「グループ主権」とも言うべきAAの民主制度の完成でもありました。

その後はビルは「AAの顔」として登場することは事実上なくなり、1970年に没しています。

ビッグブックの文章もビルによって執筆されました。もちろん当時の他のメンバーの意見も大きく反映されていますが、大部分はビルによって書かれました。その後に出版された『12のステップと12の伝統』(12&12)もビルが書いたものですし、『AA成年に達する』もほとんどがビルによって書かれたものです。

つまり、AAのプログラムを解説した本はすべてビルが書いたもの、というわけです。

AAではビルの死後も新しい本が出されていますが、プログラムの解説本ではありません。"Pass It On"(未訳)はビルの伝記、『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』はボブの伝記。『今日を新たに』と『信じるようになった』はAAメンバーの経験の分かち合いの形式を取っています。『どうやって飲まないでいるか』は、12ステップについてはあまり触れられておらず、飲まないでいるためのtips集になっています。

(『どうやって飲まないでいるか』は、12ステップに興味はないが、酒をやめるためにAAの中で集積された生活上の知恵には関心があるという人にオススメです。最近Amazonで購入ができるようになりました)。

『どうやって飲まないでいるか』
http://www.amazon.co.jp/dp/4904927001/

後にも先にもビル・Wだけが、12ステップのテキストを書くことをAAメンバーに許してもらえた存在だった、ということでしょう。何十年も経過すれば、文章は古びてきます。しかし、AAのテキストは用語を現代風に改められることもなく、ほぼビルが書いたまま保たれています。

AAの英語の月刊誌 Grapevine でも、二人の共同創始者の書いた記事を翻訳しようとすると、翻訳結果の綿密なチェックが必要になり、他の一般のAAメンバーが書いた記事とは明らかに扱いが異なっています。

結局のところ、ビル・Wの死後は、AAプログラムを説明する本を書ける人は誰もいなくなったわけです。様々なAAメンバーがスタディ・ガイドを書いていますが、それらは「一人のAAメンバーの意見」として扱われるに過ぎず、「AA共同体を代表する意見」として権威を帯びて扱われることはありません。(ジョー・マキューもワリー・Pも自らに権威を帯びさせず、解釈の正統性をビッグブックに依拠しています)。

唯一評議会には、新しいAAの本を作る権限が与えられており、実際何冊か作られていますが、前述の通りいままでの経過を見る限り、真っ正面からAAプログラムを説明する新刊は作られていません。それどころか、ビルの文章をそのまま変えずに残すという決定をしています。アメリカの評議会ですらこんな具合ですから、日本の評議会が新しいステップの本を作ることは、難しいのではないかと思います。

ビルが、自らに与えられた権限、権威を喜んでいたとはとても思えません。彼は大変優れた人物だったでしょうが、人間としての限界もあり、まして彼はアルコホーリクだったのですから。何十万人にもふくれあがったAAをスピリチュアルに、また現実的に率いていく大きなプレッシャーを感じていたに違いありません。実際彼は重度のうつに陥っています。1955年にスタートした評議会に彼がすべての権限を渡した後には、そのうつはきれいに消え去ったと記録されています。

彼らは他の人が引き受けたがらない役割を引き受けました。それは共同創始者以外に引き受け手のいない役割でした。おそらく、ビル・Wやドクター・ボブのような特別な存在が、今後AAの中に登場することはないでしょう。であれば、この先もビルの文章をそのまま使っていくことになります。それはビッグブックが完ぺきな本だという意味ではなく、それを変えたり何かを加えることのできる人がいないからです。

確かにビッグブックには少々使いづらい点もありますが、今まで何十年にもわたって数多くの人の回復を手助けしてきた実績があります。その実績こそが大事です。アメリカのAAにはこんなスローガンもあるそうです。

If it ain't broke, don't fix it.

ビル・Wが特別な存在になるべくして生まれてきた人なのかどうか。おそらく彼はただのアル中だったのだと思います。ウィリアム・D・シルクワースによる疾病概念、カール・G・ユングによる霊的解決の示唆、そしてリチャード・ブックマンの行動原理。この三つの要素がビルの手元に揃ったのは、たまさかの偶然か、あるいは神の意志だったのか。その奇跡的なできごとが彼を特別な存在たらしめました。その後の数多くの回復は、この奇跡をコピーすることによって生まれました。それらの回復は個人個人にとっては人生に起きた奇跡だったかもしれませんが、全体からみればすでに平凡です。


2013年03月18日(月) ソブラエティのための道具 43

ソブラエティのための道具90 が更新されていない、というメールをいただきました。

確かに、最後に42番を更新したのはもう4年近く前です。せっかく半分近くまで来ているのですから、続きを書こうという気になりました。これからポツポツ書いていこうと思います。(んで、下書きをまず雑記に載せる)。

43) 新しい生活が「自分の手に負える」ことを喜びなさい。
Rejoice in the manageability of your new life.

アルコールは私たちの不安や心の痛みを(一時的にですが)和らげてくれました。しらふの生活は心地よいことばかりではなく、不快なこともたくさん待っていましたが、その不快なことを酒でごまかす作戦はもう使えませんでした。

ステップ1はこう言っています。

「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」

思い通りに生きていけなくなっていた(our lives had become unmanageable)。

この病気は「その人のやりたくないことをさせる病気」だと言います。私たちは、決して人に迷惑をかけたかったわけでもなく、人生や生活を壊したかったわけでもありませんでした。でも病気のせいで、いろいろなことを台無しにしてきました。

だから私たちは酒をきっぱりやめようとしました。でも、再飲酒が待っていました。飲むのは良くないと分かっていながらまた飲んでしまうのであれば、やはり思い通りに生きているとは言えません。

ビッグブックの87ページには

「私たちはアルコホーリクであり、自分の人生が手に負えなくなった」
(we were alcoholic and could not manage our own lives)

という文章があります。私たちの飲酒は自分の手に負えない状態でした。酒をコントロールして飲もうと悪戦苦闘しましたが、できませんでした。だから、酒をやめざるを得なくなりました。やめると決めたからには、二度と酒に手を出さないと自分に誓いましたが、また飲んでしまいました。私たちの酒の問題は解決不能に思えました。

ところが、酒の問題を「自分では解決できない」と受け入れたとき、解決への方向付け(導き)が与えられました。

人生の他の問題も同じでした。私たちが様々な問題を、自分の思ったとおりのやり方で解決しようと思うと、私たちの不安や心の痛みは増していきました。自分のやり方を諦め、ただ解決することを望んだとき、何かしらの解決がもたらされました(それは時には「変えられないものを受け入れる」という解決かもしれませんが)。

「AAのプログラムには逆説が多い」と言う人がいます。自分では解決できないと認めることが、アルコールの問題の解決につながります。同じように、酒を飲まなくても人生には様々な問題が起きてきますが、それを自分の望み通りに解決しようとしないことで、私たちの新しい生活は「手に負える」ようになります。

私たちは人生をうまく扱えるようになりました。それは自分の望み通りのやり方ではなかったかもしれませんが、ともあれ新しい生活が「自分の手に負えるもの」であることは、喜ばしいことではないでしょうか。なにせ飲んでいたあの頃は、私たちの人生はまったく自分の手に負えず、自分の望みとは反対のことばかり起きていたのですから。


2013年03月14日(木) 自分が助かりたければ・・・

ステップの話ばかりではなく、共同体の力についてのことも書いた方が良いでしょうね。

先日東京某所のAAミーティングに参加したところ、ソブラエティ二十数年というあるAAメンバーの姿をお見かけし、こちらから挨拶したところ「よう、ステップの専門家!」とからかわれてしまいました。

「専門家になったつもりはないんですが、まあでも、これは誰かがやらなくちゃならないことでしょうね」と答えたところ、「何でも最初にやる人間は大変だよ」と言われました。僕が最初というわけでもないのですが、なんとなく目立ってしまっているのかも知れません。

人間には未知のものに対する恐れがあります。だから人は、すでに知っていること、経験したことの範囲で考え行動しようとします。成果が出ているうちはそれでもかまわないのですが、悪い結果が出るようになっても、考えや行動を変えることはなかなかできないものです。それは、今までと違った考え、違った行動を取ることへの恐れがあるからです。ことわざに「知らぬ仏より馴染みの鬼」とあるとおりです。

恐れの反対は勇気です。新しいことに取り組むには勇気が必要です。だからこそ「変えていく勇気」を与えて下さいと神に祈るのではないでしょうか。

アルコールや薬物には私たちの不安を一時的に和らげる効果があります。だからアルコールや薬物に頼って生きてきた人間は、未知への不安が一層強く、考えや行動を変えづらくなっているのかもしれません。けれど、回復や成長を望むのなら、新しいことに取り組む勇気が私たちに必要だということになります。

さて話は変わって、昨年9月には北海道に行かせてもらい、せっかくの機会だからと札幌市内のAAミーティングに出させて頂きました。また先月は沖縄へ行き、やはり那覇市内のAAミーティングに行きました。(12ステップは僕をいろんなところへ連れて行ってくれます)。

僕は、日本に約900カ所あるというAA会場の全部に出たわけではありません。ごく一部だけです。その経験の範囲内で言えば、日本の北でも南でもAAにはある共通した傾向が見られます。

どこでもAAを維持している人たちがいます。彼らはAAグループを運営するために、ミーティング会場を開き、本やコーヒーを用意し、新しい人たちを迎え入れています。必要があればAAの広報活動もするし、病院に出向いて患者さん相手に話をしたりする。委員会などのAAを存続させていく活動にも時間を割いています。それだけでなく、新しくやってきた人たちのスポンサーを務めて12ステップを伝えることもしています。

なぜそんなことをするのか。それは、AAの回復のメッセージを伝えることで、新しい人たちがこの病気から回復するからです。

この人たちを「人を助ける側」と呼びましょう。助ける側の人たちは少数派です。その人たちがグループの1割なのか、3割なのか、それともたった一人なのか、割合はいろいろでも、グループの中ではたいてい少数派です。

ではその他の多数派はどんな人たちなのか。それは「自分が助かりたい」と思って来ている人たちです。この人たちの関心は、自分の苦しみや悩みに(あるいは楽しみに)向けられているようです。だから、グループの役割などもあまり引き受けたがりません。他の人が維持しているAAに「お客さん」として通うタイプです。

数ヶ月か数年、時間をおいて同じ会場に行ってみると、「助ける側」の人たちの顔ぶれはあまり変わっておらず、相変わらずAAを維持する負担を背負っています。一方、「自分が助かりたい人たち」は、顔ぶれががらりと変わっていることが多いのです。少し残っている人たちもおり、その中には「助ける側」に立場を変えた人もいますが、残りの大部分はすでにAAを去り、空いた場所を新しい人たちが埋めています。

AAを去って行った人たちはどうなるのか。AAを離れたからと行って、皆がすぐに再飲酒するわけではありません。ずっと酒をやめ続ける人たちもいます。しかし、5年、10年と経るうちに、飲まないでいられる人は少なくなっていきます。グラフにすればきれいな懸垂曲線を描くでしょう。飲んでしまった人たちは、またAAに戻ってくるか、他で世話になっているか、飲み続けているかなのでしょう。

もちろんAAを続けていても飲んでしまう人もいるし、離れても飲まないでいられる人もいます。だから一概には言えないのですが、概ねは「自分が助かりたかったら、人を助ける側になるのが良い」ということなのでしょう。

AAは自助グループだと言われます。self help とは自分で自分を助けるという意味です。これに対して「AAは self help ではない。help other なんだ」と言った人がいました。人を助けるのがAAです。私たちは人を助けることを通じて、自分を助けていきます。お互いに助け合うのがAAだ、とも言えます。

飲んでいた頃の私たちは、自分の苦しみや悩みにしか関心がありませんでした。俺のこの苦しみを分かって欲しい。私のこの悩みをどうしたらいいのか、ということばかり考えていました。つまるところ「自分のことしか関心がない」という状態だったアルコホーリクが、他の人を助けるために、他の人の悩みや苦しみに目を向けていく。どうやったら相手が背負っている荷物を軽くすることができるか。そのために自分にできることはないか。自己中心的なアルコホーリクが回復するためには、そういうことを考え、行動していく必要があるのだと思います。

私たちは人と関わる時に特に意固地になった、と12&12に書かれています(p.72)。人と関わることが苦手なアルコホーリクが人を助けようとするのだから、そううまく行くはずがありません。相手がこちらの思う通りに動いてくれたら物事はスムーズに運ぶのでしょうが、決してそうなりません。「助けてくれてありがとう」などと感謝されることも、まずないと思ったほうがよい。人を助ける活動の中で、私たちは(相手のではなく)自分の欠点に向き合わざるを得なくなります。

また、回復の道具である12ステップを手渡そうにも、自分がそれを携えていなければ、手渡すことができない。その当たり前のことにも気付いていきます。

人を助けようとしてもきっと失敗するでしょう。AAを始めたビル・Wでさえ、最初の6人には失敗したと書いています(AA p.139)。ドクター・ボブは7人目以降ということです。もしビルが最初の3人目ぐらいで諦めてやめていたら、AAは始まらなかったことになります。だから簡単に諦めるべきではありませんよね。

人のために活動すると、自分のことは少し犠牲にせざるを得ません。どれだけ自己犠牲が払えるかは人それぞれです。小さなことであっても、人の役に立つこともあります。

例えば、AAミーティングは回復が始まるところですが、参加者がゼロでは成り立たないのですから、ミーティングに参加するだけでも人助けになります。会場への行き帰りを含めれば少なくとも3時間ぐらいの時間は要します。ミーティングに行かなければ、その3時間は自分の好きに使えるのですから、毎週欠かさずその時間をミーティングに費やすのも「小さな自己犠牲」と言えるのではないでしょうか。

また、献金箱に数百円のお金を入れるのも、本来自分の好きに使えた金を人のために手放すのですから、小さな自己犠牲と言えるでしょう。AAはそのお金の積み重ねで維持されていることをお忘れなく。

もう少しできると思ったら、会場の椅子を並べたり掃除を手伝っても良いし、司会役を務めても良いでしょう。だんだんにできることは増えていくはずです。その中で、頑張っているのに誰も褒めて(認めて)くれなかったとか、自分だけ負担が重い気がするとか、いろいろ考え、その中で自分の様々な欠点と向き合っていくことになるでしょう。

ずっと続けても、結局誰も助けることができない・・ってこともあるかもしれません。でも良いではありませんか。誰も助けることができなかったとしても、「自分という一人の人間を助けることはできた」はずなのですから。その目的でAAに来たのじゃありませんでしたっけ?(尊敬や賞賛や感謝を獲得するためではないでしょう)。

だから、自分が助かりたければ、助ける側に回ることです。さあ勇気を。


2013年03月05日(火) 回復施設について

日本にはアディクションの回復施設が結構たくさんあります。僕もそのすべてを知っているわけではありませんが、数え上げれば100ちかく・・いや100ヶ所以上存在しているかもしれません。

日本の回復施設の起源は、日本でAAを始めた二人の神父が設立した「マック」という施設でしょう。大宮で始まったマックは、後に全国に広がります。アルコールの問題を扱っていたマックに対し、薬物の問題を扱うために作られたのが「ダルク」です。現在では、マックに薬物の人もいるし、ダルクにアルコールの人もいるので、両者の違いは明確ではなくなっています。この他にもたくさんの施設がありますが、その多くは源流をたどれば直接・間接にマック・ダルクの系譜につながります。

アルコールの問題に限れば、クリニックに通院することも、精神病院に入院することも可能です。また、AAや断酒会のようなグループも存在しています。なのになぜ、病院に入院するのではなく施設に入所する必要があるのか。またグループに通うのではなく、施設に通所する必要があるのか。

それを説明する前に、なぜ現在の日本のAAで施設の話題が嫌われているのかを説明する必要があるでしょう。

前述のように、日本でAAを始めた二人は、マックという施設も始めました。おかげで、始まりのころ日本のAAとマックは一体となっており、二つの名をつなげて「マックAA」あるいは「AAマック」という呼び名すら通用していたそうです。これが初期のAAの発展に大きく寄与したのは疑いありません。マックが全国に広がるとともに、AAも広がっていきました。各地でマックはAAの中心的存在として機能したはずです。

しかしながら、AAには「12の伝統」があり、その6番目でAAが治療施設を運営するのは良くないとされています。それはなぜか。12の伝統はすべて実際の経験に基づいて作たわけですが、アメリカのAAでは幾度かアルコールの専門病院を作ってみたそうですが、どれもうまくいきませんでした。施設を運営するには多額の資金が必要になりますが、そうした多額のお金はたいていAAグループをおかしな方向へ導いてしまうからです。

「AAは施設を運営しないほうが良い」ということになりました。しかし、あの有名なヘイゼルデンもAAメンバーが作った施設であることからもわかるように、施設はAAメンバーの必要に応じてできたものです。AAメンバーが施設の運営に関わらざるをえません。

そこで、AAメンバーが施設スタッフをやっていることが例えバレバレだったとしても、施設はあくまでAAとは別の団体としてAAの名を使わず、AAメンバーが施設スタッフとして活動しているときはAAメンバーの立場を使わず、逆も同じとする(「二つの帽子をかぶり分ける」)ことを要求しました。

(AAメンバーとして活動するときは施設スタッフではなく、施設スタッフとして活動するときにはAAメンバーではない)。

また伝統の3番は、AAグループがAA以外のものに従属することを戒めています。このようなことから、日本のAAがマックと一体となっていたことも問題視されました。

そこで、AAとマックを分離する運動が行われました。これはAAの側からすれば「マック排除運動」という様相でした。私たちは酒をほどほどに飲むことができず、とことん飲んでしまった人間です。アルコホーリクは白黒思考であり、行動も極端から極端に走ることが多いものです。このときも同様で、AAはそれまで一体だったマックを徹底的に排除することになりました。

結果として、AAの中でマックの「マ」の字も言いづらい状況になり、「ある施設」などとあいまいにぼやかした言い方がされたりしました。施設内のことをミーティングで話すと咎められ、施設スタッフだという理由だけでミーティングで話をさせてもらえず、AAの役割からも外されるということが起きていました。

今では排除運動も過去のものとなり、そうした行き過ぎは是正されつつあるものの、今でも施設の話題はAA内部では嫌われる傾向は残っています。

なぜあの時代に、あれほどまでに苛烈なマック排除運動が行われたのか。「そうしなければならないほど、マックの影響は大きかった」というのがその理由でしょう。それほどまでの排除を行わなければ、施設の影響を拭い去ることができないと考えられた。伝統3の重要性がわかる事例です。

それでもAAは、施設の影響から脱することができて良かったと言えます。日本のAA以外の12ステップグループには、施設との関係を断ち切れていないところもあります。グループとしての独立が今後の課題となっていくでしょうが、AAの経験はそれには痛みが伴うことを示しています。

参考
バック・ツー・ベーシックス騒動(その3)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20120412
バック・ツー・ベーシックス騒動(その4)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20120415

僕が酒をやめたころ、長野県内には回復施設はありませんでした。10年ほど前にダルクが誕生しましたが、AAの側にかなり強い拒絶反応が起きました。それは施設の必要性が十分理解されていなかったからでしょう。

施設を利用することなく、医療機関からグループにつながって酒をやめていった人には、施設の必要性は感じにくいものなのでしょう(僕もそうでしたし)。

施設の必要性というのは、言い換えれば「施設の良いところ」ということになりますが、良い点の一つは「基本的な生活習慣が身につく」ということです。

基本的な生活習慣とは何か。それは、毎日規則正しい生活をすること(起きる時間、寝る時間)。規則正しく三度の食事をする。洗顔・歯磨き・入浴して体を清潔に保つ。洗濯や掃除やごみ捨てなど、身の回りの清潔を保つこと。干した洗濯物をたたむとか、自炊するとか。

意外とこうした基本的な生活ができない人が多いのです。自分ではできるつもりでいても、実は同居者が代行している場合が多く、飲酒が原因で家族を失うと、身辺自立ができなくて困窮することも珍しくありません。

被虐待児や発達障害が原因で親による養育が困難な子供を預かる施設の人に聞いたことがあります。特別な養育をするのではなく、暖かい食事、清潔な服など、そうした基本的な生活の面倒を見ることで、子供たちの精神状態は見違えるほど変わるのだそうです。(そうしてせっかく良くなっても、親元に戻すと生活が乱れて元に戻っちゃうのもよくある話)。できることは自分でやらせることが大事で、中学生くらいの子供が、自分の服を洗濯して干してたたんでいたりするのは、今の世の中からすればちょっと可哀想ではあるのですが、それが自立の第一歩でもある、という話でした。

アディクションの施設も同じことです。ただ利用者は基本的に大人ですから、自分でできることは自分でするようにするわけですが。

せっかく酒をやめていても、寝る時間・起きる時間のリズムが崩れていたり、食事を食べたり食べなかったり、入浴や歯磨きをサボりがちで、部屋はごみが散乱して異臭を放っているようでは、精神状態も向上せず、質の良いソブラエティは望めません。仕事に就く(経済的自立)の前に、身辺の自立からです。

家族を失ったことを契機にソブラエティが崩れる(再飲酒)ケースでは、喪失の悲しみが原因とされることが多いのですが、実は身辺の面倒を見てくれる人を失った影響だったりします。(年老いて妻に先立たれたダンナさんはかなり大変なようで)。

集団生活で「自由が利かない」ことを理由に施設利用を嫌う人もいますが、勝手気ままにしていたら生活習慣は身につかないのですから、こればかりは致し方ない。

これは入所型の施設の場合で、通所型(デイケア)の場合には基本的な生活習慣が身についていることが前提です。そうでなければ通所が続けられません。通所が続けられないようなら、入所型施設に移ることを考えることになるのでしょう。

他の利点として「回復に集中できる」ことが挙げられます。AAのようなグループ(共同体)が一人ひとりのメンバーを支える力はとても強いもので、断酒の維持に役立ちます。しかし、毎日ミーティングに通っていても、仲間と接していられるのは一日のうちの限られた時間に過ぎません。酒や薬というのは、一人でいる時間に忍び寄ってくるものです。長時間仲間と一緒にいることになる施設利用は、まず酒や薬を断つという、回復の基盤を作るのに役立ちます。

だから、なかなか酒をきっぱり断てず再飲酒の繰り返し、だからといって入院ばかりしていられない、という人には施設利用を勧めることになります。(依存対象からの物理的隔離だけでは根本的な解決にはなりませんが、上に書いたように回復の基盤作りに役立ちます)。

そして多くの施設では「12ステップ」を回復のプログラムとして取り入れているのも利点と言えます。アメリカの施設でも12ステップをプログラムの中心に据えるところが多いそうです。12ステップを使ったプログラムについて州政府の認可が得られ、保険が適用できるのであれば、それを「治療(treatment)」と呼んで良いのだそうです。ですので、同じプログラムがある施設では「治療」、認可の取れていない別の施設では「回復」と呼ばれていると聞きました。

(日本では12ステップが有効な治療手段として認められるに至っていないので、治療と呼ぶのはやや時期尚早かもしれません)

残念なことに、日本の施設で12ステップ全体を提供しているのは少数派です。多くはステップ1・2・3を中心に、利用期間中にステップ4・5の棚卸しまで済ませる、というパターンです。これはマックがそのようなプログラムを組んでいた影響によるものと考えられます。(現在では12ステップ全体を行うところも徐々に増えています)。

日本のAA共同体では12ステップが弱体化してきました。12ステップに取り組むメンバーの比率は下がり、ミーティングの中で12ステップのことが分かち合われることが減っています。弱体化が起きた原因はさまざまあると思いますが、そのひとつはマックとの分離もあるでしょう。

12ステップの前半に偏ったプログラムとは言え、施設は12ステップを回復プログラムの柱に据え、スタッフは毎日それを利用者に提供するのを仕事にしています。スタッフから12ステップを受け取った利用者は、アフターケアとしてAA(やNAなど)に通い続け、やがてグループの中で新しい人に12ステップを伝えるようになっていきます。つまり施設スタッフという職業家の存在が、AA共同体への12ステップの供給源になっていたものと考えられます。しかし、共同体と施設との分離が起き、しかもしれが必要以上に厳密に行われた結果、AA共同体は12ステップの供給源を失ってしまったのではないでしょうか。

分離後のAAの中でスポンサーシップが隆盛し、12ステップが一対一で伝えられていけばうまくいったのでしょう。でもそうなりませんでした。「ステップをやるもやらないも自由」「ステップはどう解釈してもかまわない」というのはそうなのですが、それを口実にステップに取り組む人は減っていきました。今、日本のAAはステップをやる団体ではなく、ミーティングをやる団体になってしまっています(そりゃミーティングは必要だけどね)。

ビッグブックをテキスト(教科書)として12ステップ全体に取り組む運動が目立ってきたのは2003年ごろでした。あれから10年。運動の担い手から気になる言葉を聞くようになりました。「俺たちがAA共同体のなかでいくらがんばってみても、これ(弱体化)は食い止められないのじゃないか」。まあ、弱音を吐きたくなる気持ちも分からなくもない。一度失った生活習慣を取り戻すのが簡単でないように、共同体が失いかけたプログラムを取り戻すのは簡単ではないのかもしれません。

僕も視野の広い人ではないので、以前は(AA共同体がしっかりしていれば)施設は不要だと考えていました。だから、過去のこのサイトのリンク集には施設へのリンクはまったく張られていませんでした。しかし、AA共同体には限界があることを知り、施設の現状をいろいろと見聞きする中で、その必要性を認めるように考えが変わっていきました。

本来的には、AA共同体の中で12ステップ全体を伝えるスポンサーシップが普及するのが本筋です。しかし、そのような理想は簡単には実現できません。東京近辺でビッグブックの12ステップのセミナーでも開こうものなら、ちょっと驚くぐらいの人数が集まります。しかし、スポンサーシップが提供できるメンバーは限られていて、爆発的な普及は見込めません。

もう一度施設に12ステップの供給源としての役割を期待する声があるのは知っています。もし、そうなるとするなら、「ステップ1・2・3の繰り返し」という偏りを正して、12ステップ全体を提供してほしいものです。まあ、施設は「AA外部の問題」なので、メンバーとしてとやかく言うべきではないものなのでしょう。

そもそもAAがしっかりしていれば、施設の必要性はもっと薄れるとは思います。仮にAAがしっかりしていたとしても、それでも施設の必要性は残ることでしょうが。


2013年02月18日(月) ロ・ロ・ロ・ロシアン

まだまだ若いつもりでいても、今年は僕も知命を迎えます。

若い頃に比べれば、いろいろな能力が衰えていきます。老いというのは長い下り坂をゆっくり降りていくようなものでしょうか。もちろん脳だって老化していくのです。

アルコール依存症は進行性の病だと言います。最初は酒量をコントロールできていたものが、次第にコントロールを失い、しまいには酒浸りの生活になってしまいます。(ビッグブックではコントロール喪失に対して「渇望現象」という言葉を使っています)。

失われたコントロールを取り戻すことはできない、というのがこの病気の特徴です。

しばらく酒をやめていれば、また昔のように普通に飲めるようになるのじゃないか、と考える人もいます。しかし、そうはなりません。ビッグブックのp.48にも、30才で酒をやめ25年間断酒した男が、再び飲み始めてあっという間に元の飲んだくれに戻ってしまった話が載っています。

もちろん、再飲酒したらすぐに飲んだくれに戻るとは限りません。しばらくの間は飲酒をコントロールして楽しめる場合もあります。僕の最後の再飲酒の時には1日はコントロールできました。もっと長く、何日か、あるいは何週間かトラブルなく酒を飲める人もいます。コントロールを取り戻した状態を何年間も維持できた経験を持つ人もいます。

彼らはその間は「アルコール依存症が治った」と感じたり、あるいは「そもそも依存症じゃなかったのに、自分も周りの人も大げさに考えすぎていたのだ」と考えます。

しかし、いつかはコントロールが失われトラブルの日々が戻ってきます。

「私たちも、自分はコントロールを取り戻したと思ったことがあった。けれど、そのちょっとした、あまり長くない中休みのあとには、必ずもっとひどい状態がやってきた」(p.46)

だから、依存症が治ったとか、コントロールが取り戻せた、という話を聞いても、「ああそうですか、それは良かったですね」と言っておくほかありません。酒を楽しんでいる状態で酒をやめたいと思う人はいません。その間は別の人に時間を割いていた方が賢明です。

酒をやめていても、この病気は進行すると考える人たちもいます。僕もその一人です。酒を長い期間やめた後で飲み出すと、元の酷い飲んだくれに戻るのではなく、もっと酷い状態になってしまう、ということです。

酒を飲むことで、アルコールが肉体(特に脳)に影響を与えて病気が進行していく・・と考えるなら、飲んでいないのに病気が進行するとは信じられないかも知れません。しかし、時間をおいて飲み始めたら、以前よりもっと酷い状態になってしまった、という経験は多く語られています。

この「飲んでいないのに依存症が進行する」理由を説明してくれるのが、加齢による脳の老化です。記憶力や演繹力と同じように、アルコールをコントロールする力も脳の能力のひとつであり、老化によって衰えうるものです。

病気が進行すれば、それだけ酒をやめるのが大変になり、より多くの努力が必要になります。

何年か酒をやめている人間は意識しなければならないことがあります。もし次に酒を飲んだとき、この前やめた時と同じ努力で再びやめられる、とは限らないということです。次はもっと大変な努力が必要になる可能性が高い。その意欲を持てずに断酒達成を諦めてしまうかもしれません。

それだけ今回のソブラエティは貴重だということです。「今度飲んだら死ぬかも知れない」。再飲酒したからって必ず死ぬとは限りませんが、次はやめられずに死ぬまで飲み続ける羽目にならないとも限らない。なにせ、老いから逃れられる人はいないのですから。

(再飲酒はロシアンルーレットと同じ)。

飲まない生活を何年か続けていれば、自分が飲まないでいられるのが当たり前に感じられてしまいます。だから、それを維持する努力を怠りがちです。今のソブラエティを大事にしましょう。もう一度やめられるとは限らないのですから。


2013年02月14日(木) 神聖モテモテ論

12ステップやらAAの話ばかりではつまらないので、たまには趣向の違う話を書いてみましょうか。明日はバレンタインデーだし(関係ないか)。

近年、婚活が流行っているのだそうです。婚活パーティとかネットの婚活サイトなどの婚活産業も盛んです。昔だったら、親戚や近所にお節介なおばさんがいて、頼みもしないのに見合い話を持ってきてくれたものです。(若かりし僕の所にもいろんな話が来ました)。

しかし、そのようなお節介おばさんも絶滅危惧種になったようで、滅多に見かけなくなりました(そのうちレッドデータブックに載るかも知れません)。その代わりに婚活産業が隆盛したのは(介護ばかりではなく)婚活も社会化が進んだということでしょうか。

婚活によって、すんなり相手をゲットする人もいれば、なかなか成功しない人もいます。「なぜ私の婚活はうまくいかないのか」という疑問にはどう答えれば良いのか。

貴様がなんでもてないかというと、貴様だからだ。

というファーザー様のお答えで済ますわけにもいきません。

話は変わりますが、以前に勤めていた会社が倒産し、やむなく就職活動で面接を受けたのですが、そのときある採用担当者がこんな事を言っていました。

「企業にとっての採用(求職者にとっての就職)は、結婚に似ている」

企業がどんなに「この人を採用したい」と思っても、その人が求人に応募してくれなければ採用できない。求職者にとっても、どんなに「この会社に就職したい」と願っても、会社が承諾してくれなければ就職できません。

この話は、相思相愛になることの難しさを述べているだけではなく、もうひとつ意味があります。求職者はどの企業の求人にも応募できる自由があるのに、採用する側は応募した人という限られた選択肢の中から選ばざるを得ない、その窮屈さを述べています。二重の意味で結婚(とか恋愛)に似ているのです。

動物の多くは「女性選択(female selection)」です。これは、雄が雌に求愛を行い、雌は自分に求愛してくれた雄の中から一番良さそうな相手を選んでつがいを作るという仕組みです。雄は求愛の際に、様々なアピールをして自分を選んでもらおうとします。クジャクは立派な尾羽を広げ、ヤマドリは大きな巣を作ります。この他にもきれいな声で鳴いたり、エサを差し出したり、ダンスを踊ったりと涙ぐましい努力が行われます。

雄の求愛を受け入れるかどうか、その相手と交尾するかどうか。それは雌側に選択権があります。人間とて例外ではありません。「セックスさせてくれよ〜」という男の要求にオーケーするかどうかは女性の権利となっており、相手が嫌だと言っているのに無理矢理やってしまうと、強姦として非難を受けることになります。それは人間の法によるものですが、その根拠を突き詰めれば、人間の雌ばかりでなく動物全般の雌が持つ選択権に行き着くことになります。

なぜ女性選択が成り立つのか。それは雄と雌の繁殖コストの違いで説明されます。繁殖するために雌は妊娠・出産・子育てという大きな負担がかかり、その間は次の繁殖が制限されます。一方雄の側は、精子をばらまくだけで繁殖が可能だし、そもそも自分のパートナーが育てている子が自分の子かどうか確かめられません(人間は科学によってその検査を可能にしましたが、自然界では無理です)。

その結果、雄は雌に求愛して周り、雌は自分に求愛してくれた雄の中から相手を選ぶ、という仕組みができあがったと考えられます。先ほどの採用担当者の言葉を借りれば、男性=求職者、女性=企業、というわけです。(最近は肉食系女子も多いから男女逆でも良いでしょうけど)。

参考:性淘汰の原因
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%B7%98%E6%B1%B0#.E6.80.A7.E6.B7.98.E6.B1.B0.E3.81.AE.E5.8E.9F.E5.9B.A0

どうやったらたくさんの異性にモテるか・・は知りません。でもパートナーを一人つかまえたいという話ならば、「婚活は就職活動と同じ」ではないかと思います。自分を採用してくれる会社にあたるまで、ひたすら応募し続けるしか他に方法はないのじゃないか。婚活も同じです。

しかし、それはメゲる方法かも知れません。あるAAメンバーは、就職活動で100社以上に落ち、その頃はさすがにメゲていました(100社目に落ちたときはスポンサーが飯をおごってくれたそうです)。でも終いにはちゃんと採用されました。別のAAメンバーは数十回見合いをし、断られ続けたものの、最後には幸せな結婚をしたと聞いています。

それにしても応募したくなるような企業、じゃなかった求愛したくなるような異性がいないんだよ、とお嘆きの人もいるかもしれません。それは仕方ないことでしょう。ハタチで婚活する人は滅多にいません。たいてい35才、40才を超えてからの婚活です。その頃には、釣り合う年齢の相手はたいてい片付いており、市場に残っているのは残り物です。残り物は嫌だと言ったって、自分がその残り物なのだから仕方ない。

初婚の人は男でも女でも自分より若い相手を求めるそうです。それは結婚生活を経験していないので精神年齢が若いからでしょうか。自分では若いつもりでいても、肉体の加齢は避けられません。若い人から見ればおじさん・おばさんですから、年齢以外の魅力がたくさんなければ難しいでしょうね。

俺は若い娘じゃなきゃダメだとも言わないし、高望みもしていないのに、なぜか婚活に成功しない、という人は何かが足りないのではないかと思います。個別に何が足りないのかは分かりませんが。

企業経営には「ロマン・我慢・そろばん」の三つが必要だそうです。この言葉を最初に言ったのが誰なのかハッキリしません(経営の神様と呼ばれた松下幸之助ですかね)。

還暦を超えて婚活を開始したIさんは、「この年齢になって初めて、残りの人生をすべてかけても良いと思えることに出会いました」と現在取り組んでいる仕事?のことをメールに書き、それを読んで「この人なら」と思った女性が今の奥様だそうです。やはりロマンを語れなければ人はついてこないか。

しかしロマンを語ってばかりで努力できない人も困りますから「我慢」も必要ですし、経済もついてこないと生活できませんから「そろばん」も必要でしょう。

こう考えてくると、婚活が面倒くさいと考える人がいるのもうなずけます。そもそも結婚というのが面倒くさいものですし、我慢も必要だしお金もかかります。それは恋愛も同じ。

昔は結婚しないと一人前の大人とは見なされない風潮がありました。また、国全体が貧しくて、なるべく共同生活をしなければ生活が成り立たない事情もありました。しかし、結婚を仕向ける社会的圧力が減り、自分一人分の生活費を稼いでコンビニ飯で生活できる世の中になって、面倒くさい結婚(とか恋愛)に取り組む人が減ったのは仕方ないことなのかも知れません。

というわけで、どうやったらモテモテになれるかという話はまるでないまま、このエントリはおしまいです。


2013年02月03日(日) 解決したいと思えるようになりたい段階

知り合いのAAメンバーがmixiでこんなエントリを紹介していたので、高速バスで移動中に読んでいました。

うつ病 「心」と「現実」の混同は誤り
拠りどころ喪失が大きな要因に
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2550

加藤諦三という人が正統派?の心理学者なのかどうかは知りません。この人のすごいところは、ずっとラジオの人生相談を続けてきたことです。

僕は「量はやがて質になる」ということを信じています。理屈ばっかり言っていても役に立ちません。場数を踏むことが大切で、たくさん経験を積めば、その中から何らかの法則性を見いだすこともできるだろう、という考えです。(もちろん量を質に変えるにはそれなりのセンスも必要でしょうけど)。

4ページ目、「ラジオで人生相談をしていますが、悩んでいる人たちは解決を求めているのではなく、苦しんでいる姿を伝えるために電話をかけて来ることが多い」という話が一番頷けました。

私は悩んでいる、苦しんでいると言う人はたくさんいます。(実はそれが言えずにいる人も多く、言えるだけでもたいしたものなのですが、それは別の話で)。悩んでいると言うからには、その悩みが解決した方が良いと考えているのでしょう。

それに対して「このような解決方法がありますよ」と言っても、「じゃあ、さっそくそれをやってみます」という人ばかりではありません。むしろ、何もせずに今までどおりのことを続け、ふたたび同じ相談を持ち込んでくる人のほうがずっと多いのです。

なぜその人たちは、解決方法を拒むのか。それは、その解決方法が、自分の側に何らかの労力が必要だったり、自分を変える努力が必要だったりするからなのだと思います。

文中にうつの例が挙げられています。うつ病の本質は憎しみの表れ、というのはよくある話です。

憎しみは12ステップの用語では恨みです。憎しみを持っている人は、だいたいこう考えています。「自分にはたいした落ち度はない。悪いのは相手であって、相手が態度を改めれば問題は解決する」と。相手を変えることに成功することもありますが、現実にはそれが難しいことも多い。そうなると、その人の中で問題は解決不能になってしまいます。なぜなら、その人は労力を割いたり、自分を変えるつもりがないからです。

例えば僕が駐車場に戻ってみたら、駐めて置いた車の窓ガラスが何者かにたたき割られ、中の金品が盗まれていたとします。その時に「僕には何も落ち度はない。悪いのは犯人なのだから、犯人が金品を返し、車を修理して僕に帰してくれるべきだ。それまで僕は何もしないぞ!」と言っていても何も解決しません。僕がしなければならないことは、警察に届け、保険会社に連絡し、車を修理工場に預けることなどなどです。

そうした被害に遭うことは理不尽なことだし、そのおかげで余計な手間もかかります。でも、理不尽なことが起きない人生なんてありません。理不尽な目に遭うたびに、誰かを憎んで、うつになったり酒を飲んでいたりしても、自分が余計損をするだけです。

うつ病で環境調整するのだって、職場を変えることも本人にとっては余計な手間で、その手間を拒めば解決は遠のくわけです。

人は悩みや苦しみを打ち明けて、話を聞いてもらうだけで楽になることもあります。身近に話を聞いてくれる人がいるのは大きな幸せだと思います。人はそうやって、話を聞いてもらって楽になる、ということを学習してしまうのかもしれません。

そして、ふたたび苦しみが募ると、同じように話をして楽になろうとします。仮に誰かが解決策を示してくれたとしても、それを拒んで同じことを繰り返している。苦しんでいるのですが、解決策は求めていない。

自力で酒をやめようとして、何年かおきに飲酒を繰り返すアル中の姿にどこか似ている気がします。ビッグブックに "He wants to want to stop" という言葉があります。自分は「酒をやめたい」と思っているつもりでも、実はまだその段階に至っておらず実情は「酒をやめたいと思えるようになりたい」という段階です(そういう人でも、口では酒をやめたいと言います)。

同じように、自分では「悩みや苦しみの解決を求めている」というつもりでも、まだその前段階という人も少なくありません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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