心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2005年07月03日(日) 申立書

障害者年金の申立書というのを書いています。これは医者の書いてくれる診断書とは別に、「自分ではこうである」というのを書く必要があるのであります。
前回やっつけ仕事で書いて、かかっているクリニックのソーシャルワーカーさんに預けておいたのですが、「これでは話にならない」と言われて書き直しとなりました。

裁定者は、診断書と申立書だけから判定するわけだから、申立書の記述が不十分ならば申請が通らなくても不思議はないのだそうです。東京ですでに年金を手にしている知り合いに電話してアドバイスを求めたところ、
「診断書と整合性が取れること」
「仕事や私生活に支障をきたしていることが文面から読み取れること」
「欄からあふれるぐらいに克明にびっしりと書くこと」
という例をあげてくれました。

僕としても金は欲しいです。でも年金で暮らせる訳じゃないので、どうしても申請が通らないと困るというわけでもありません。しかし、これまでずいぶん手間ヒマも金もかかっています。ここで手を抜いたがために通らなかったとしたら、間抜けな話であります。

そこで僕は書きました。手書きは苦手なので、ワープロでA4版に5枚。これを東京の知り合いにFAXして添削してもらって、手直しして再度FAXして・・・第3稿まで作りました。しかし、申請書はワープロで出すわけにはいきません。もちろんA3版の打てるプリンターを所有していればそれも考えたかもしれませんが、ワープロで出す時点で「実務能力高そう」な印象を与える不利もあるでしょう。
まあともかく、申請書のコピーに下書きとしてボールペンで細かい字を半日書きました。手元が暗いので980円で蛍光灯まで買ってきました。

こんなにたくさん字を書いたのは、大学時代のレポート提出か、コミ○ットで売った同人誌の原稿以来でありましょうか。20年以上ワープロを使い続け、ラブレターでさえワープロで出して「あなたの手元にはこのファイルが残っているのね」などと言われた自分でありますから、すっかり字が汚くなって、ミミズがのたくったような字が並びました。
そしてとても疲れました。

とりあえず月曜にまたこれをソーシャルワーカーさんに見てもらいに提出に行き、今週中には申請をすませたいところです。

これから障害者年金を申請する人がこのページを読んでいるかどうかはわかりませんが、参考までにいままでにかかった経費を並べてみましょう。診断書などは健康保険の適用外なので、各医療機関が独自の値段をつけています。これより高いことも安いこともあるでしょう。

まず、東京で最初にかかったクリニックの受診状況証明書(いわゆる初診証明)3,000円。診断書が遡及申請のための1枚が8,400円。事後重症のための1枚が5,000円。戸籍謄本が450円。住民票が300円。妻の所得証明が二通で600円。このほかに各医療機関に問い合わせの手紙や、返信用封筒の切手、現金書留で送金の手数料などが計数百円でしょうか。
合計で一万五千円強かな。
診断書はもっと高い医療機関もあるそうなので、安く済んだほうなのかもしれません。
アルコール依存症という病名では通らないし、うつ病でもなかなか通らないと聞きます。一万五千円をどぶに捨てているのかもしれませんが、なにもしないではいられず、内にこもった怒りをどこかにぶつける場所が欲しかったのが本当のところなのかもしれません。

最後に請求書という事務的な書類を書く(というかこの書類が主で、他が副なんだけど)のですが、いままで勤めた会社の住所を書く欄があります(厚生年金)。10年前、20年前となると、さすがに記憶も曖昧です。

生まれて初めて勤めた会社は地味ながらもまだ存在していました(でも住所は変わっているので今日電話します)。そこからスピンアウトした人たちが作った会社は、しばらくは泣かず飛ばすだったので、消息も調べなかったのですが、調べてみると資本金も億単位となり、昨年野球界をにぎわせた会社とも絡んで大きくなっていました。ホームページ上の取締役たちの顔は、記憶より老けたけれど立派そうであります。
一方、昨年8月に僕が無職だった頃、埋め合わせのチャンスでもと思って訪れた会社は、もうその場所からなくなっていました。どこか家賃の安いところに引っ越したかなと思っていたのですが、某掲示板のログでは2000年か2001年に倒産しているという噂でした。

どうしようもない飲んだくれの僕の面倒を見てくれた人たち。でも、前者よりも後者に埋め合わせのチャンスをください、と思ってしまうのはなぜでしょう。

そういえばこの休職期間中に、一度は親友と呼んだ同級生の死も知りました。彼もビル・ゲイツより成功したいひとりでした。

技術屋の僕には、どんな社長が成功して、どんな社長が失敗するのか、本当のところはわかりません。ただひとつ確かなことは、物事は変わり続けていて、決して元には戻らないということです。そんな世の中で変わらずにいようとすれば、すぐに泳ぎ疲れて沈んでしまいます。僕自身も変わり続けていて、そして「決して元には戻らない」ということなのでありましょう。


2005年07月01日(金) ノートパソコン続き

パソコンネタはわかんねーから書くなという話も出ていますが、他にネタがないので書くことにします。

6月10日の日記でお別れを書いたノートパソコンですが、実はまだウチにあるのであります。いちどネットオークションに出品したのですが、入札が入る前にキャンセルしてしまいました(入札後にキャンセルすると違約金を取られる)。

どうしようかと思ったかというと、もう一度修理にチャレンジしてみようと思ったわけであります。ジャンパーとばしで。

プリント基板の上に細い線が半田付けされていることを見ることがあります。これは基板の設計ミスや修理のために、基板上の回路とは別に回路を作る必要がある場合に、後から追加された配線で、これをジャンパーと言います。ジャンパー線が飛んでいる基板は、なにかしらの理由があってジャンパーが飛んでいるわけですから「いわくつき」であるとも言えます。
2本や3本ぐらいならまだしも、十数本もジャンパーが飛んでいたりすると、元の基板の設計に相当の問題があったと想像がつくわけであります。

ジャンパー線を飛ばすという作業は、大変細かい作業なので、半田作業に習熟した人でないとできません。当然僕のような、サンデー・ソルダー・ボンダーにはできっこない技術であるわけです。でもやってみることにしました。

そして見事に失敗し、失敗の余波を食らってハードディスクを一台壊しました。それが今週の水曜日であります。趣味なんだから失敗したって失うものは時間とわずかな金銭だけのはずなんですが・・・、なんだか必要以上に落ち込んでしまいました。

そして水曜日はソーシャルワーカーさんに、年金の申立書にだめ出しをされた日でもありました。なんだか学生時代に提出したレポートを教授に突き返され、「再提出」と冷たく宣告されたことを思い起こしました。

ノートパソコンはふたたびオークションに出品され、今度はすかさず入札者が現れました。これで、このノートパソコンとのお別れは決まりました。

そこで登場したのが、さらに古いノートパソコンである Compaq Contura Aero 4/25 であります。愛称は「こんちゅら様」であります。486SX 25MHz・メモリ12MBというスペックで動作するのはWindows 95か古いLinuxぐらいであります。とりあえず、Windows 95のインストールにチャレンジして先ほど成功しました。

これから申立書をゆっくりと書こうと思います。


2005年06月30日(木) 生活リズム

どうもよくない生活のリズムが形成されてしまいました。

とりあえず午前中に起きて活動は開始するのであります。洗顔、コーヒー、メールチェック。そのうちお昼になるので食事、服薬、歯磨き、ひげそり。午後の時間はゆるりと過ぎていきます。

ところが、夕方になると眠くなってしまいます。どうしようもない眠気に襲われてついつい寝てしまい、夜中になって起き出して諸事を片づけるのであります。

このように毎日2回寝て、2回起きるという生活がもう10日ちかく続いています。おかげで月曜日はミーティングを休んでしまいましたし、水曜日はホームグループのミーティングまではなんとかBOX-916を持ってたどり着いたものの、ずっと机に突っ伏して寝ていて、皆に不審に思われたりもしました。

医者に相談したところ、「仕事に行くようになれば、起きていざるを得ないわけだから、なんとかなるでしょう。逆に言えば、それだけ体に無理をするわけで、復職が勧められる状態ではないのですけどね」という話でありました。

母に相談したところ、「別にお前が仕事に戻っても仕事なんてないだろう。寝ていたってかまわないじゃないか。それに帰りに眠ければ車の中で寝てくればいい」という、いつもながらの突き放した回答でありました。

今夜も午後8時までがんばったのですが、座布団の上で寝てしまい。起きると午前1時。それから風呂に入ってこれを書いています。

せっかく減ってきた体重ですが、最近下げ止まりです。睡眠薬を飲んで効いてくると食欲がでてしまい、寝る前にポテトチップ一袋とか、トースト2枚とか食べてしまうのが原因です(夜食とは別にだよ)。これも医者に相談したところ、ロラメットの副作用ではないかということで、現在2錠飲んでいるのを1錠に減らすことにしました。
夕方は睡眠薬など無くても眠れるので、そろそろロラメットもやめてしまいたいところなのですが、完全にやめてしまうのは復職という壁を乗り越えてからになるでしょう。

障害者年金用の診断書がようやく出来てきました。ところが、自分でかく申立書の記入がぜんぜんなってなくて、これでは申請は通らないだろうとソーシャルワーカーさんに言われてしまいました。というわけで申立書は一から書き直しであります。

イチゴの季節には雨が少ないと嘆いていたのですが、最近は雨が多いです。いつの間にか梅雨になったのでしょう。
7月になり、カレンダーが「モンテカルロラリーのセレモニアル・ゴールの風景」に変わりました。みんなF1には興味があってもWRCには興味がないようであります。不祥事の後、ミツビシが撤退してしまって、日本からの参戦がスバルだけになったのはたしかに詰まらないことでありますが。
年齢もいつの間にか42才になりました。
掲示板のほうは盛り上がっているようでうれしいです。管理人の投稿が主を占めるなんていう状況は僕の理想とするところではないのでうれしいです。

ああ体がだるい。


2005年06月28日(火) ネズミーズ

最近ハムスターの元気がありません。
まあたぶん暑すぎるのでしょう。
いままでだったら、夜はおがくずの中に穴を掘って、その中にうずくまっていたのですが、「ハムスターハウス」という商品名のプラスチックの箱(最初はハムスターが愛用していたのですが、中にヒマワリの種の殻を貯めるので、掃除が面倒で長女が屋根を取ってしまって以来、屋根無し)の中で寝ています。たぶん風通しが良いのでしょう。

ロボロフスキー・ハムスターは暑さに弱いのかもしれません。いや、ロボは飼っている人が少ないので、店から買ってきた時点でかなりお年を召していた可能性はあります。

2代目モルモットの「モルモ」ちゃんのほうは、初代の「ハムちゃん」よりずっとおとなしくて、ケージの中から「出せ出せ」とアピールしたりしませんし、出してあげてもその場にうずくまったままで動こうとしません。臆病なのでしょうか。
人の手を噛むということもなく、手に乗せていても、じっとしています。
愛玩用に品種改良されたものなのかもしれませんね。

さっき水槽を見に行ったら、メダカは二匹のまま変化ありませんでした。片方は去年の5月だか6月に買ったものの生き残りです。長寿記録を立ててもらいたいものです。

長女がもらってきた「カブトムシの幼虫」は、いつのまにかカビが生えた物体に変わり果てていました。子供の頃も、よく天然のものを見つけてきたけれど、飼育に成功したことはありませんでした。

さて、今日は寝ずに、ミーティングに行かなければ。


2005年06月27日(月) 店じまいへ

さて、5月から続けてきた「副業」でありますが、もう新規仕入れは(よほどのお値打ち品以外は)行わないことにしました。部屋の中に在庫がうずたかく積もってきたからです。帳簿上の資産を、ちゃんと現金という流動資産に変えるためには、仕入れの手間を削減するしかなくなってきたのであります。あと復職まで3週間で、どれだけ在庫の山を減らせるかであります。

復職後も(本当は副業禁止なんですが)、こつこつ続けていこうとは思っています。でも、正直言って「熱気が冷めちゃった」という気持ちもあります。最初の頃は、何もわからずに無手勝流で始めるわけです。失敗を積み重ね、調査研究をし、経験を積んでくると、いろんなことが見えてくるようになります。その代わり「新しいことの発見」というのも減ってきてしまいます。まあ学習高原に達したという言い方もできるかもしれません。

こうなるとなんとなく「つまんなくなっちゃう」のであります。
いろいろ小難しい言葉を重ねていますが、平たく言うと「飽きちゃった」のです。
僕は熱中しにくいですが、飽きる方は飽きっぽいです。
たとえば、土曜の夜明けにコンビニに競馬新聞を買いに行くほど凝った競馬の在宅投票ですら「口座の維持のためにたまに義務的にするため」というほどの飽きっぷりです。

それに最近いきなり暑くなってきました。暑いと僕の扱っている部品はいろいろと不都合がでます。冷却ファンで冷やしたりしているのですが、一番良いのは外気温が下がってくれること。涼しい明け方に作業をしていたりします。すると生活のリズムがすっかり崩れてしまうわけであります。

今日もミーティングの日だったのですが、夕方どうしても眠くて起きられず、いつも病院に迎えに行っている患者さんのことは電話をかけて断って、座布団の上で寝ていました。
「こんなことではダメだな」
とつくづく思ったのであります。

Today, my live have been unmanageable であったのであります。
細かな金銭へのこだわりを捨て、復職へ向けて生活のリズムをしっかりとしたものにしていかないと、まさに狂人の状態で推移してしまうわけであります。

ああ、あち。あち。

7月30日 AA長野地区オープンスピーカーズミーティングのお知らせ を追加しました。


2005年06月26日(日) 紛失

郵便貯金通帳をふたつもっています。「ぱ・る・る」という普通預金の通帳です。
以前はいくらでも作れたので、何冊も持っていたのですが、最近はなんだか知りませんが「ひとり2冊まで」と決められて、統合させられてしまいました。
「国際ボランティア募金つき」という利息の中から勝手に募金が天引きされるオプションが付いたのが一冊と、それなしのが一冊です。実は片方は、AAの地区委員会の会計用に使われています。

自分が会計役をやった時に、とりあえず委員会の金を現金で手元に置くのが嫌だったので、郵便局の通帳にしました。なぜ郵便局かというと、JSO宛にせよセントラル・オフィス宛にせよ、支払いは郵便振替になっている場合が多く、局へ行く方が、銀行の支店に行くより便利だからです。

口座名は「AA長野地区委員会」で作ることにしました。郵便局員は、申込書を見て「これは団体ですね」と言い、「何か約款のようなものはありませんか?」と聞かれました。僕はこまってしまったのですが、たまたま鞄の中に入っていたミーティング・ハンドブックの最後のページの「AAの12の伝統」を差し出しました。
「これ、コピーしてもいいですかね」と言うと局員は後ろに引っ込んで、コピーを取ると、委員会の名前で通帳を作ってくれました。ただ、住所と連絡人がないといけないので、それを僕の名前にしておきました。なので、一応は「僕の通帳」ということになっているのですが、通帳もはんこも僕のところにはありません。
ついでに振り込み口座も作っておきました。
いまでは、団体としてきちんとした約款がないと団体名での通帳は作れないようです。

もう一冊の通帳は、僕の手元にあって、主にネットオークションの決済用に使われています。以前にも書いたように、オークションの送料を口座に振り込んでもらって、実際の送料は財布から支払っていると、そのぶん貯金しているのと同じ効果がでてしまいます。
そこで、送料分の金額だけ、ときどき引き下ろしています。

実は通帳とカードを一緒に管理しています。郵便口座の場合には、通帳と暗証番号だけで引き下ろしもできるので、カードを持っている意味はありません。ただ局員に勧められるままに作っただけです。なので、通帳の袋のなかに一緒にカードも入っています。

先日局へ寄ったついでに、通帳で数千円を引き下ろし、家に帰って確かめると、袋の中にカードがありません。おそらくATMの前で落としてしまったのでしょう。
僕はとるものもとりあえず郵便局へとって返すと、ATMの周囲を探しましたがカードは落ちていませんでした。誰かに拾われてしまったのでしょうか。

しかたないので、局員に「カード落としちゃったんですけど」と言うと、局長が出てきて「亡失届けを出してくれ」と言いました。僕はカードを無くしたままだと気持ち悪いので、とりあえずカードを無効にするために届けを出すことにしました。
はんこを持参し忘れたのですが、代わりに運転免許証を見せればそれで良いといいます。

どうせカードは使わないから再発行はしてもらわないつもりでいました。
ところが「再発行料千円をください」と言うではないですか。カードはいらないというのですが、亡失の届けと再発行の届けは不可分のものだというのです。あげくに「届出書にはんこをついてもらわないと困る」と言い出すではありませんか。遅くとも明日の午前中までに、はんこを持参してもらいたいというのが彼の言い分でした。

おいおいおいおい。話がちげーじゃねぇか。はんこはいらないんじゃなかったのか。俺は家が近いからいいけんども、これが遠くから来ているヤツだったりしたら、どうなるんだ、かわいそうだと思わないのかぁ、あんあん。という言葉はとりあえず飲み込んで、いったん家に帰った僕でありました。

再度局へと向かう車の中で、まあ穏便に不満を述べ立ててやろうと、通り一遍の文句は考えたのですが、付いてみると局長は来客中でありました。かといって、一緒にATMの周りを探してくれたかわいい女子局員に言うべき事柄とも思えません。
しかたないのでその日はそのまま引き下がりました。

しかし、夕方電話がかかってきて、明日、はんこを持って再度訪問して欲しいというのであります。僕が住所の欄によけいなことまで書いたので、通帳に書いてある住所と違ってしまい、これでは書類が通らない。そのため訂正印を押しに来て欲しいというわけです。

局長は来客中であったのですが、わざわざ席を外してわびに来てくれました。この場合、どっちが悪いのでありましょうか。道路のこちら半分とは何でしょうか。ともかく、キッチンペーパーをおみやげにもらって帰りました。

そんなことがあった先週でありました。


2005年06月25日(土) 棚卸し表

僕は商家に生まれ育ったわけでもないし、商学高校に行ったわけでもありません。
実際として商売にたずさわったことがないので「在庫管理」というのは、頭の中の概念でしかありませんでした。

勤務している会社にも、棚卸しという作業はありますが、同じものが複数あること自体がまれなので、整理棚に部品が「ある・ない」程度の管理しかしたことがありませんでした。

5月から副業で、とある種類のコンピューター部品の不良品を仕入れ、修理し、それを販売するというのを始めました。もとは不良品なので、普通の人は手は出しませんが、いわゆるマニアの人は修理上がり品を買って少しでも安くあげることに喜びを見いだすものです。しかも、「一週間だけだけど保証」をつけて、だめだったら金は返すとしたところが、信用を得たのか売る方は順調であります。

仕入れる作業は結構面倒です。毎日のように宅急便や郵便局員が来ます。修理の作業も時間がかかります。売る作業も面倒です。
すぐに順調に動作をし始めて、テストをパスして売られていくものもあります。逆に、なかなか修理上がりにならなくて、手間ばっかりかかるものもあります。いつの間にか、僕のパソコン部屋には、部品がうずたかく積み上がり、管理もままならなくなりました。

そこで表を作ることにしました。品番・仕入れ値・状況・売値・・・。
そうするといろんなことに気付いてくるようになります。
「このシリーズのものは、利益がよく出る」
「このシリーズのものは、不良在庫ばかりがたまってしまう」

売り物にならない(修理のあがらない)在庫は、置いておくと場所を取るだけ無駄だし、手間をかけると時間の無駄です。こうした不良品は、500円でも100円でもいいから、売れる値段で不良品としてふたたび市場に流してしまった方が、結局は得です。そしてそういうものにはもう手を出さない。

逆に良いものは、どんどん仕入れていけば、利益へと結びつきます。

「きちんと棚卸しをしない商売はすぐに倒産する」とAAの本にも書かれています。なるほどそういうものなんだと、最近になってようやく理解した次第であります。いまはこの副業の「棚卸し表」を更新するのが日課になっています。

さて、自分の中で良いものと悪いものを分けるためにも、やっぱり表にする必要があるのでしょう。そして良いものはどんどんと仕入れ、悪いものはどんどん処分価格で捨てていくのでありましょう。「毎日の棚卸し」という言葉もやっと実感できました。
しかし、こっちのほうの表はなかなか取り組めていないというのが実情であります。


2005年06月23日(木) 通院

一日遅れの通院。
とりあえず7月19日から仕事に復帰することになったことを報告すると、「くれぐれも無理をしないでくださいね」という言葉をもらいました。
この一週間、生活のリズムがまるでなっていなくて、いつ起きて、いつ寝ているのか、明日のことは自分でもわからないという状態だったのですが、そうしたことは報告する間もなく診察終了してしまいました。
カルテに様々な書類が挟んであったので、やっと年金用の診断書を書いてくれる気になったのかもしれません。もともとはこの先生の発案で申請することにしたのだから、どうしたって診断書は書いてもらわないと困るんですけど・・・となかなか言い出しにくくて困っていただけに、ちょっとほっとしました。この診断書と、あと妻の非課税証明書を市役所で取ってくれば書類は整うことになります。

副業のために、パソコン3〜4台が24時間稼働しています。
昼間はもちろん、夜中も12時ぐらいまでは、寒暖計の赤い棒がの30℃より上に行っています。あまりに暑いので、上着は着ていられないのですが、かといって下着姿でいるのもみっともないので、短パンを買うことにしました。

いわゆるランニングパンツ。最近ではレーシングパンツというのでしょうか。これがスポーツ用品店に行っても、「お取り寄せになります」というような状態なので、いっそのことネットオークションで買うことにしました。
どうせ人前ではく訳じゃないので、色などはなんでもいいのですが、サイズがS/L/O/XOとあって、LにするかOにするか悩んでしまいました。見栄を張ってLを選んでみましたが・・・。
落札代金500円+送料210円+送金手数料52円であります。

金曜にはとどくそうなので、楽しみに待っています。


2005年06月21日(火) お誕生日

お誕生日おめでとうございます。
というメールを何通もいただきました。
実際には誕生日でも何でもありません。

よくネットなどで、アンケートを採っている場合があります。その場合に必要もないのに「生年月日」を記入する欄が付いている場合があります。メーカーのユーザー登録のページなどにも「生年月日」の欄があったりします。こういうのに馬鹿正直に個人情報を記入する人の気が知れません(たとえばうちの妻とかがそうですが)。

記入欄を設ける側としては、記入者の年齢を知りたいのでしょう。だったら、ダイレクトに年齢を尋ねても言い訳ですが、その場合には蓄積したデータベースは年月の経過とともに古くなり、年齢も曖昧になります。しかし生年月日で押さえておけば、対象者がいま現在何才なのかは簡単に計算することが出来て便利です。

しかし、世の中には個人情報の蓄積(と販売)を商売にしている会社もたくさんあるわけで、そうした会社には、僕が先日エイデンで160GBのハードディスクをクレジットカードで買ったこともバレバレでわかっているわけであります。
そうしたところに、こんなところやあんなところへ登録していることまで蓄積されてはたまったものではありません。

そこで、嘘っこの生年月日を記入することにしました。
最初のうちはまったくでたらめの年月日を記入していました。たとえば1901年生まれだとか、1998年生まれだとか・・・。しかし、サイトによってはパスワードを発行してくれるところがあり、そのパスワードの再発行に生年月日の記入を要求してくる場合があります。そんなときに、僕ははたと困ってしまうのでありました。

そこで、定番の生年月日を作ることにしました。それが今日であります。もちろん年のほうもサバを読んでいて「申年」生まれになっております(何才サバ読んでるでしょう)。

あるところでは、身分証明書のコピーを送れと言ってきたところがありました。困ったあげくにスキャナーとフォトショップでがんばりましたけど。

正直になるプログラムとはまったく逆の話ですみません。


2005年06月19日(日) 断眠

どうしても朝寝て午後起きる生活が補正できないので、後ろにずらすことにしました。
これはうつ病の治療についてきちんと説明している本なら載っているんじゃないかと思います。
朝起きる時間を早くするために、夜寝る時間を早くする。ごく当たり前のことですが、睡眠障害を薬で解消している場合には、うまくいかない場合が多いです。薬を飲んでもよく眠れず、結局朝起きられないということになります。
そこで、前倒しするのではなく、後ろへずらすという方法をとります。
朝寝ているなら、がんばって昼まで起きていて、昼から寝るようにします。こうして新しい睡眠サイクルを安定させます(固定といいます)。そして寝る時間を、今度は夕方からにして固定、そして普通の寝る時間にずらして固定、とやっていきます。

僕の場合にはロラメット(ロルメタゼパム)を服用しています。短期型の睡眠薬で、酩酊感は感じません。いままで服用した中では比較的自然な眠りに近い感じです。

日曜日の朝、そのまま昼まで起きていることに決めました。そこで「夜寝る前の薬」を服用して寝るつもりだったのですが、欲を出して「一気に夕方まで持って行こう」としました。
気が付いたら3時間寝ていました。
夕方からスーパー銭湯に行きまして、睡眠不足による激しい頭痛を和らげました。
夜10時。子供を寝かしつけるために、隣りに横になりました。
気が付いたら2時間寝ていました。

(なんだ、薬がなくても眠れるようになってきてるじゃないか)

どうせなら、この休職期間中に睡眠薬も切るようにすればよかったと今さらながらに思います。仕事が始まってしまうと、車の運転をしなければならないので、安定した睡眠が欠かせず、なかなか「不眠を乗り越えて」というわけにもいきません。

でも、24時間酒浸りを何年も続けて、すっかり壊してしまった僕の頭の中の睡眠中枢も、酒をやめ続けたおかげで、いつのまにか自然な眠りをもたらすこと「も」できるようになったということですね。少し感動しました。

結局途中で寝てしまったんで、なかなか普通の時間に固定することはできませんでしたが、今日は午前10時に起きました。月曜のミーティングに毎週参加するのも、あと3回になってしまいました。

提出し忘れたレポートを追加しました。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加