ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2003年12月01日(月) アドレス帳 朝8時起床、9時出社、会議、電話、見積書、昼食、掃除、メールの返事を書く、のっぺりとした午後、ノートパソコンのOSもXPにする、夕方に待っていたメールが届く。花丸うどん。AAミーティング、テーマは「酒」。今夜は画像編集関係のソフトインストールなど。
今回のミスで失ってしまったデータの中で、特に痛いのは「アドレス帳」でしょう。7月の段階のは残っているのですが、その後に連絡を受けたメールの変更やらFAX番号の変更が反映されていません。ここのところ2〜3年で、メールアドレスを気軽に変える人が増えてきました。
理由のひとつには、迷惑メールを助長してパケット代で大もうけをしていた携帯電話会社が、さすがに世間の非難を交わしきれず、かといって通信量が減るのも嫌だからという理由で、メールアドレスを変更し放題にしたのがあるでしょう。電話会社には一円の得にもならないワン切りのほうは、たった数ヶ月で撲滅に近い状態にまで押さえ込んだのとは、とても対照的です。いまや、携帯電話のメールアドレスは使い捨てになってしまいました。
もうひとつは、一時期はインターネット死刑まで受けたhotmailをMSが買い取って、こちらも使い捨て感覚のメールサービスを始めちゃったのが原因でしょうか。以前ならhotmailでメールを差し出そうものなら、「良識を疑う」という返事をもらったり、悪くすると相手のサーバーが受信拒否をされたり、さんざんだったのですが、いまやhotmailだからと言って差別されることもなくなりました。お金を払わない代わりに、多少の迷惑メールの受信さえ我慢すれば、メールアカウントがいくつでも取得できるのです。MSはhotmailのユーザー二十億人とか言ってますが、実数は何人であることやら。
時代は変わるものです。アドレス帳と「お気に入り」とメール仕分けルールのバックアップは自動的に毎日取るようにしたほうがいいかな。
2003年11月30日(日) ほ〜ら ほ〜ら日記にあんなことを書くから・・・。
金曜の夜寝る前に「今日の最後の作業」と思って、仮想CD-ROMドライバーの新しい版をインストールしていました。ハードディスクにCD-ROMのイメージを丸々保存しておいて、あたかももう一台CD-ROMがあるかのように見せかけるソフトです。インストーラーは順調に実行を続け・・・そして画面がいきなり真っ暗になりました。
再起動してみると、Unknown Driver Errorとメッセージが出るだけで、対処のサジェッションは「最近インストールしたハードかソフトがあるなら取り除きなさい」という趣旨でした。ハードなら引っこ抜くことが可能ですが、ソフトのほうはともかくWindowsが無事起動してもらわないと話になりません。セーフモードでも起動しないことを確認して、あきらめてバックアップからリストアすることにしました。ラベルには「2003-JUL」と書いてありました。ああ良かった、今月はじめにバックアップしてるじゃん。
JULとは7月のことであって、11月はNOVであると気づいたのはリストアしてしまった後でした。しまった、そうと気づいていたら、無理にでも復旧を計ったのに・・・。4ヶ月の間にはハードも変更したし、プロバイダーも変わりました。そういう面倒なことを考えると、「そろそろWindows XPに移ったほうが良いのではないか」と悪魔がささやきました。
XPがインストールし終わったのが土曜日の朝でした。昼から起きて、夕方まで順調に各種ソフトのインストールが進みました・・・が、国内製某ウィルス対策ソフトを入れた直後に、起動後15秒すると固まってしまうパソコンになってしまいました。それが、「ついでにこれも2003から2004に変えちゃえ」と熟考せずに決めたのが原因だったと判明したのはもう深夜でした(If it ain't broke, don't fix it)。
今日は地区委員会+ミーティングに朝から一日を費やしました。地区委員会の棚卸し、というテーマでした。委員会(前身も含めて)に7年出席を続けて、やっと「委員会とはどうあるべきか」がつかめてきたところです。理想には程遠いけど、まずできることから着実にやっていくということでしょうか。
温泉に入って帰ってきたらとても眠くて、寝てしまい、先ほど起きたところです。Officeソフトをいれ、また問題が起きたのでウィルス対策は米国製ソフトに入れ替えが終わったところです。今週一週間は、各種ソフトのインストールで毎晩がつぶれてしまうのでしょう。
教訓:バックアップは定期的に。寝る前に余計な作業はしない。
2003年11月28日(金) 災害は忘れた頃にやってくるか? 僕のパソコンのハードディスクの中で、一番古いデータは1996年ごろのものです。当時、Windows 95が出たので、パソコンの組み立てに初挑戦しました。以後4回ほど新しいパソコンに移ったのですが、データはいつもそっくり新しいパソコンに移してきました。だから、96年以降のデータはほとんど残っているのです。
逆にそれ以前のデータというのは、ほとんど残っていません。資料用に残してあったExcelのファイルがいくつかあるだけで、その日付も93年とかが最古です。不確かな記憶では、生まれて初めて10MB(メガバイト)のハードディスクを買ったのが86年か87年だと思うのですが、その後10年間というものは、不要になったデータはどんどん捨てていたのです。
ディスケットに保存していてはいたと思うのですが、酒を飲んでばかりいたので、机の中のディスクにはカビが生え、産卵したディスクには何が入っているのか判らなくなってしまい、すべて捨てるはめになりました。
パソコン通信のログとかも捨てていたので、当時受け取ったメールはすべて捨ててしまったわけです。
惜しみ惜しみ使っていたハードディスクの空間も、時代とともに広く安くなっていきました。最初に買ったディスクの1万倍の容量のディスクが10分の1の値段で買えるこの頃です。特に削除する理由がなければ、ファイルはそのまま残してありますから、どうでもいいようなメールや画像データまで全部取ってあります。
でも、実は「全部」じゃないんですよね。3年前にハードディスクの操作を誤って、一番大事なデータが集中して入っている領域を消してしまいました。最後に取ったバックアップは9ヶ月前で、その間に作ったWordやExcelのデータは取り戻せませんでした。これを個人的に「失われた9ヶ月」と呼んでいます。
その後は、毎月第一日曜日はデータバックアップの日と決めて、データ破壊という災害に備えていたのですが・・・。喉もと過ぎればなんとやら、地震対策と同じで、すっかりその習慣もなくなってしまいました。
2003年11月27日(木) ホームグループのミーティング いつもなんとなく気持ち悪いし、軽い吐き気します。鼻水はそんなに出ないのですが、鼻から喉になにかぬるぬるしたものが下ってきて嫌な感じです。経験からすると、これは鼻の奥が炎症になっているのでしょう。季節の変化に体がついていけていない証拠です。
今日はミーティングがあってとても助かりました。体調の不良のほかにも、家族も体調が悪かったり、仕事も今一歩不調な状態が続いていて、イライラが募っていたのです。おまけに睡眠不足の頭痛が重なって、何もかもが効率が悪くなっていたのでした。
じゃあ、そんな話をミーティングでしてストレスのはけ口にしているかというと、そうでもなくて、別に過去の経験を話しただけだし、仲間も現状や過去を話してくれただけです。いつもどおりのミーティングがあっただけでした。
でも、その当たり前の光景が、僕の心の中のとげを解かしてくれたのでしょう。そういう不思議な力がミーティングにはあります。それはスピリチュアルな家族の団欒なのかもしれません。
会場をお借りしている公民館の人のご好意で、来年から「定期的に使う団体」に入れてもらいました。これで、隔週の会場の確保がより確実にできるようなったわけです。再来年からは毎週やるようにしたいし、月に一回はビギナーズミーティングをやってみたいな、と思っています。ま、鬼が笑うかな。
2003年11月25日(火) 日常でたまるものと掃除の関係 昨日の月曜日は祝日で近くのAAミーティングがお休みだったので、別の会場へ行くつもりだったのですが、夕方から眠くなって寝てしまいました。東京へ行ってしまった仲間のための一年の色紙を預かっているので、それを別のグループへ返すためにも、その会場へ行くことにしました。(東京は東京で色紙が回っているという話です)。
医者へは2週間にいっぺん通っていて、火曜が通院日です。ちょうど火曜日の朝に薬がなくなるのです。普段は前の週の木曜あたりに通院して、薬の数に余裕を持たせているのですが、ここのところギリギリの綱渡りが続いています。来週は忘れずに木曜に通院しなくては。飲んでいる薬の副作用(鼻血と口渇)がひどいので、量を減らしてもらいました。
実際には、薬なんて飲まなくても平気で何週間か、何ヶ月か無事に暮らしていけるでしょう。しかし、いつかはうつの時期がやってきます。それも何もしないでうずくまっていれば、通り過ぎていくのでしょう。でも、現実の生活では「うつの時期は何もしないでやり過ごす」というわけにも行かないし、通り過ぎるのを待ってもいられません。うつが重くなってから薬を飲み始めても、効き始めるまで2〜3週間ぐらいはかかります。
だから薬は、どちらかといえば「予防」のために飲んでいるわけです。うつにならないように、なっても重くならないように、早く回復するように。仕事しなくても生きていけるなら、たぶん薬はいらない。でも、仕事のせいでうつになってる部分もあるかな。やっぱりワーカホリックなのかも。
仕事に飽きたので、机の片づけをしました。必要なものと不要なものに分けて、不要なものは捨てていくだけ。ステップ4に似ていますね。生き方の大掃除をするというのがステップ4〜9なんだそうです。ちなみに、机の上は必要なものはほとんど残らずに片付きました。
生き方のほうはそうは簡単ではないです。夕方には雨が上がったのですが、標高が高い場所では霧が出て、視界が確保できません。前を行く車のテールランプを見失ってしまったら、記憶と白いラインだけが頼りでした。雲のない場所では、冬の星座が空を賑やかしていました。ミーティングのテーマは「伝統11」。さすがに何を話していいのか戸惑いました。
帰りにガソリンスタンドで給油。いくらハイオクとはいえリッター120円は全国最高水準なのでは? セルフのスタンドだと5円は安いので、そちらを選びました。50リッターだとすると差は250円。250円余計に支払って窓を拭いてもらう価値はないかな。僕はタバコは止めたし、ゴミもたまらないし。
2003年11月24日(月) 好む好まざるを問わず休日は過ぎていく 昨日は妻と子供たちは柔道の大会を見学に行って来たのですが、そこで市内の美術館・博物館のフリーパス券をもらってきてくれました。今月末までの有効期限なので、とりあえず市内に昨年できたばかりの大きな美術館に行くことにしました。たぶん、タダ券がなければ一生行かないでしょうから。家族でお出かけです。
市内中心部に大きく残っていた空き地(駐車場だった)をつぶして作った美術館です。僕にはなぜこの地方都市に新しく美術館が必要なのかさっぱり理解できません。大きな建物を作って、その中に何を収めようというのでしょう。せっかく年に一回は有名な指揮者がオペラを振りにやってきてくれるんだから、オペラハウスでも作ればいいのに。
さて、美術館に行ってみると、なんだか知らないけれど駐車場が混んでいました。受付へ行ってみると、企画展で「モネと印象派の画家たち」をやっているという話でした。せっかくだから、500円払って見ることにしました。子供たちはすぐに飽きてしまったけれど、印象派の色の美しさと、それから白内障を患って次第に物の形に似ることから離れ、ぐるぐる渦まきになっていくモネの筆致に見入りました。子供たちにとっては常設展の草間彌生と根付の展示が面白かったようです。飽きた子供を抱っこしたり、根付を間近に見せるためにおんぶしたり・・・なんだか肉体労働で疲れてしまいました。地元の現代美術展をやっていたのもラッキーだったかな。でも、金を払って常設展だけしかやっていなかったら、僕なら怒っちゃう値段でした。
3日間の連休も、自分のやりたかったことはほとんど進まずに終わろうとしています。書き物もほとんど書けなかったし。でも、まあ仕事があって休みがあるだけ、ありがたいと思ったほうがいいのでしょうか。「サラリーマン年収300万円台の経済学」とかいう本が売れているとか。
2003年11月23日(日) またまた東京 最近では東京への移動手段はもっぱら高速バスです。やっぱり値段が安いからです。
いつもは朝一番のバスに乗っていくのですが、今日は9時すぎのバスでした。朝一番だと、まだ駅前の居酒屋が開いていて、中から眠たげな笑い声が聞こえてきたりするのですが、日曜でも9時過ぎともなると昼間活動する人たちで混みあっています。いつもは到着予定時刻より10分ほど早く新宿へ着くのですが、今日は途中から渋滞になってしまいました。窓側の席に座ると、窓から冷気が降りてきて、肩が冷えてしまいました。季節が変わっていくのを感じます。
委員会はいつもどおり時間切れタイムアウトであります。もっとも、何時間かけたって足りたということはありません。
委員会終了後に吉野家で昼食。新宿西口のヨドバシカメラで時間をつぶしているうちに、ついついDVD-ROMドライブなど購入してしまいました。途中のサービスエリアで、暖かいものでも食べようと思ったのですが、連休のせいか混みすぎていて、時間が足りませんでした。かわりに、バスが終点についたところで、ラーメン屋さんに寄って帰りました。家に帰ると妻がカレーを煮ていて、夕食は済ませてきたと言ったら叱られました。
「どうしてAAだと朝起きられるのに、仕事だと起きられないのだろうねぇ」
多分僕は仕事が嫌いなんです。
2003年11月21日(金) 半端な個人主義者たち 誰にでもこんな議論を吹っかけているわけじゃないのですが、「日本のAAは半端な個人主義者の集まりになってしまっている」という話を時々しています。
AAのプログラムは「徹底した」個人主義を求めています。「AAは自由(な場所)である」という言葉がそれを象徴しています。AAほど個人の自由を認めているところはないでしょう。利己的であっても構わないのです。そうでありながら、私たちは懲罰という仕組みを持っていないし、必要ともしていません。なぜなら、皆が自分の利益ばかりを追求していけば、オンラインのコミューニティであれ、AAのグループであれ、簡単に崩壊してしまうからです。そして、私たちは一人だけでは回復することはできません。結果として、アルコールによる死が私たちを待っているのです。
自分の利害を追求することは、つきつめれば、AAというコミューニティの安定と成長を求めていくということに他ならないのです。個人の意義は社会の利益に優先するという個人主義と、全体の福利は個人の福利より優先するという「伝統一」の間には何の齟齬もないのです。
中途半端な個人主義の弊害は、実はAAにあまり関与しようとしないメンバーよりも、多くの時間(=金銭)をAAに費やしている人々によって起こされていることが多いのです(断定的)。より深くコミットすれば、集団の中でより大きな影響力を獲得しうるのはAAとて例外ではありません。そして彼らは、自分が大きな影響力を行使していることに自覚がない。いや、自覚はあるのかもしれない。あるのかもしれないが、その行使を「個人の自由」として正当化してしまっている。ソブラエティの長さや、サービス機構のなかの位置によって与えられた影響力が、自分の自由な意見や自由な行動を大きく制限することを認めようとしない。逆に、本来そうした影響力を行使しなければならないときには、いきなり偽りの謙虚さを発揮する。
なぜこうなってしまうのか? というような話をしていると、例えばマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をひいて、日本にはそもそも個人主義の土壌がないから、そこへAAのような仕組みを入れてもなかなか根付かないという話をする人もいます。ちなみに僕はウェーバーなんて読んだことはありませんが。
みんな、現状を愁てはいるのですが、どうしたらよいのか、という名案はないものです。
2003年11月20日(木) 不安になるのは信仰が足りないのか? 朝いったん起きて会社に電話を入れ、休むことを伝えて、午前中は寝ていました。
朝刊を読みながら食事を済ませると、何をしたらいいのかなかなか決断がつかなかったので、昨日の日記の例にあげた携帯電話のメモリ編集をすることにしました。PIMソフトの情報も更新しました。あまりパソコンのCRTばかり見ているのも良くなかろうと、テレビをみることにしました。ツタヤで借りてまだ見ていない「ルパン三世カリオストロの城」を途中まで見たら眠くなったので、夕方までまた寝ました。
夕方から病院メッセージへ。悪いことに雨が降り出してきました。市内を早く抜けようと住宅地のわき道へ入ったのですが、途中で曲がるところを間違えたみたいで、山地の上にあるゴルフ場へつながる道へ迷い込んでしまいました。以前地図で見たときには、その道は山の反対側までつながっていました。そして、それはメッセージへ向う病院と同じ方向だったのです。「その記憶は正しいのか」「ひょっとして行き止まりになってしまうのではないか」「引き返していたら遅れてしまう」。松の葉を散らしたスリッピーな下り坂を降りていくと、無事に国道に出ました。
テーマは「行動に移す」。
せっかく仕事を休んでいたのに、メールチェックをしたら仕事のメールアカウントに納期トラブルのメールが2本も入っていました。すっかり休日をエンジョイした気分だったのに、明日の仕事のことを考えるとブルーになってしまうのです。メールなんか目を通すんじゃなかった、ちぇ。
2003年11月19日(水) 1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ いろいろと、やら「ねばならない」こともあれば、「やりたい」こともあります。何に取り組んでも中途半端な状態が続いていました。ごく些細なことにイライラするわけです。
例えば、そろそろ携帯電話のメモリ編集をしたいのですが、それだけのことだって始めれば1時間くらいはかかってしまうものです。でも忙しいからそれをやらないでいると、いざ電話をかけたいときに相手の電話番号が携帯電話に入っていなかったり、古いのだったり・・・。そうなると、どこに番号を記録しておいたのか探さないといけなくて、それで1時間使ってしまったりするわけです。
このイライラが焦燥感に変わると、うつの前駆症状です。そして案の定、朝起きてみると、すっかり「仕事したくない病」にかかっているのでした。こんなときは、ギアをローにいれて「会社に出勤した時点で今日の仕事はお終い」と目標設定を低くひくーくします。定時になったらすばやく職場を離脱して、コンビニで甘いものを買って帰り、それを食べたら、昼間ずっとしたかったこと=布団で寝ることをします。明日の朝起きた時点で、今朝より悪くなっているようだったら、(幸い仕事もヒマだし)休んでしまうことにしましょう。
もともと自分はそんなに能力が高いほうではないのです。そりゃ、ちょっとがんばった時には、そこそこの能力を発揮して見せることもあるのですが、そんなのは風で言えば瞬間最大風速みたいなものです。ずーっとがんばり続けられる前提で自分を評価すると、どうしたって過大評価になってしまいます。1/f(えふぶんのいち)で揺らいでいるのが僕の能力です。
まあ、世の中は平均的な能力を持続できて、しかもある一定以下には落ちないタイプ。つまり信頼性の高いタイプが高く評価される仕組みになっています。僕だって部下にはそういうタイプが欲しいです。
でも、自分はそういうタイプではないし、無理にそれを演じることはできません。
まあ、等身大の自分の姿というのは、正確な預金残高と同じで、あまり心地よいものではないのだけれど、幻想に酔うと、結局苦しいのは自分です。
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()