心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年01月07日(月) 今日のテーマは「ターニングポイント」

仕事は、一日中会議でうんざり。
オープンミーティングでした。9ヶ月の仲間がふたりいます。6ヶ月までは、プラスチック製のメダル(トークンという)なんですが、9ヶ月からはブロンズに変わります。というか、6ヶ月までもブロンズのメダルはあるんですが、消費量が多いので、トークンで代替してるわけです。
正月明けのミーティングは緊張します。やっぱり年末年始はリスキーな時期だし、そこでのスリップが原因で、2月ごろは病院も患者さんで溢れます。だから、今日来ない仲間がいると、かなり「どうかな?」という心配がでてきます。
そういえば、大学病院から先生が若い方をふたりほど連れて見えました。前回はもふたりほど連れてこられました。正直言って、経験豊富な医師が、いまさらAAのミーティングにやってきて、何の意図があるのか、図りかねていました。でも、やっと少し判りました。だいたい、アルコール依存症というのは人気の無い分野であること。だから、依存症のことを学んでいない医師が多いこと。そんな話をしていただきました。二人の若い方は医学生で、「なんで連れてこられたか最初はわからなかった」とおっしゃっていましたが、自助グループという手法があるってことを知っていただいただけでも、それは素晴らしいことでしょう。医師は医師の立場で、努力してくださっているんですね。

ねむいです。


2002年01月05日(土) 委員会

いつもながら、委員会は疲れます。
今日は雪でしたから、あまり多くのグループが集まらないのでは? でも、結局全グループがそろいました。委員会が始まる前は、いつもながら和やかな雰囲気につつまれています。でも、委員会が始まると・・・・あるメンバー曰く「どんなに揉める会社の会議だって、こんなに辛らつな言葉の応報はあり得ない」。やはりアルコホーリクは感情の病気です。みな真剣なのは確かです。感情的になりすぎて、酷い言葉が出てくるというのとは違います。でも、「自分の考えのほうが正しい」という思い込みをベースに、思い通りにならない苛立ちが吐かせる言葉は、辛らつという形容を超えることもしばしば。とくに、集まった献金をどう使うかという話になると、すんなり決まるような場合なんてめったにありません。
それでも、初の女性議長が、獅子奮迅で多数の議題を定刻の90分で消化してくれました。ミーティングのテーマに「謙虚」とかが選ばれるのには、立派な理由があるのです。今年一年書記を勤めさせていただきますが、それも議事録を取っていれば、黙っていられるだろうという考えなんですが、いざ自分も関係ある議題になると、議事録なんてほっておいて、口角泡を飛ばしていたりします。
9時を過ぎると、降って解けた雪が凍り、面白いように道が滑りました。心が疲れ、いらいらしています。全体サービスへの参加なんて、つくづく損な役回りだななんて思ったりします。「みんな病気だよ」とつぶやいてみたり。でも、僕がこうして帰宅して風呂に入り、モルモットを運動させた後に、くつろいでパソコンの前に座っている間も、凍てついた帰路を急いでいる仲間もいるのです。彼女が家に着くころには日付が変わっているでしょう。
それを思い出すと、自分だってひどい感情の病気持ちだって気がついたりするのです。



2002年01月04日(金) 走れ!

今日は平日です。でも不景気なんで僕はお休みです。
つまり、公共機関や病院は開いていて、僕には自由な時間が与えられているというめったに無いチャンスなのです。仲間とも、「4日は広報活動」と打ち合わせていたのですが、起きたら昼でした。
慌ててお昼を食べ、ポスターの原稿をイライラしながらプリントし、家を飛び出しました。
1時半。コピー印刷屋さんで、ミーティング会場地図を刷り、AAのポスターのほうは、A4をA3に拡大コピーしてもらいます。この時点で仲間に電話・・・留守でした。携帯なら捕まったのに、と後で責められました。
2時半。最初の病院は、お付き合いの長いSWさんとすぐ会えました。ポスターも快く引き受けてくださって、病棟と外来の両方に張っていただけるそうです。感謝。
2番目は保健所。酒害相談担当の保健婦さんは変わっていました。地図を喜んでいただけました。一ヶ所に長く居られません。
次の病院に向かう前に、まったくお付き合いの無い病院の前を通りました。いきなり駐車場に車を停め、窓口に「AAというアルコール依存症の患者会の者です。ケースワーカーの方に面談をお願いしたいのですが、10分ほど時間を割いていただけないでしょうか?」 この際、表現の正確さは置いといて、判りやすい表現にしてみました。会社の営業の人の「飛び込み」ってこういう感覚でしょうか? 会っていただけました。患者さんに紹介して良いか、一度ミーティングに出てみたい。それは当然ですね。大歓迎です。やっほう。3時半。
次もお付き合いの長い病院。担当の方が変わっていました。これも貴重な情報。4時。
次は半年前にいきなり訪問した病院。もうポスター貼ってくれるかどうか関係なく2枚づつ渡しちゃいます。もうお任せ。4時45分。
近くにあとひとつ病院があります。ダメ元で行ってみました。5時5分前。会っていただけました。驚いたことは、CW/SWの方ばかりでなく、先生方にも自助グループの存在というのが認知されていることでしょうか。医療関係者の皆様の努力もありましょう。精神保健センターや保健所の方の活動。AAのサービス機構。断酒会の方の努力。頭が下がります。
夜電話したら仲間に怒られました「約束したのに・・・」。大丈夫、大学病院と市役所はあなたのために取ってあるよん。ポスターも地図も残ってるし。



2002年01月01日(火) お雑煮+ミーティング

隣の県の県庁所在地のミーティングに参加しました。
お雑煮を作ってくれるという話に釣れられて・・・僕が初めてAAのミーティングに出だした頃、その会場のチェアマンが、その隣の県のミーティングまで毎回出かけていることを知りました。僕が病院からAAに Coming Back してくる頃には、隣の県のAAも成長を始めて、二つの会場の間はメンバーが活発に行き来する状態になりました。おかげで僕も沢山の仲間の話に触れることができて、とても助かりました。彼らは時には、もうひとつ峠を越えて、僕のホームグループの会場にも顔を何度も出してくれたりしました。人数の少ない会場には、遠来の客はとても嬉しいものです。
僕も、「いつかは彼らの会場に行くね」と誓って以来数年、一回も行くことはありませんでした。彼らが会場を増やし、グループを増やしていく過程は聞こえてきてもいました。また、順風もあれば、逆風もあることも、二つの県に共通のこともあります。
きのう仲間から、その会場が元日の晩に開くという話を聞いたとき、迷いなく決めました。「行こう」と。
懐かしい顔に出会えました。新しい人たちとも会えました。顔を見なかった人たちにはそれなりの事情があるのでしょう。再会を喜び、握手をし、世間話をするでもなく、またの再会を誓うわけでもなく、別れて帰ってきました。
お雑煮以外、何も特別でない、普通のミーティング。今日一日。


2001年12月28日(金) 今年最後のミーティング

今年最後のミーティングに出席しました。
年末年始を挟んで、3週間も間隔が空くのは良くないだろう、という周囲のグループからの提案もあって、月曜を金曜に移してのミーティングでした。時間帯がイレギュラーであることもあってか、出席者は4人。でも、今年は一人で始まったんだから、かなりうれしい数字と考えるべきですね。
「今日集まった仲間は、『ほんとの仲間』だなって気がする」と誰かが言っていました。
ACグループのミーティングと重なっていて、懐かしい顔を見ることができたりしました。

20011226
まだ治っていません

木曜のミーティングには結局間に合いませんでした。東名⇒中央道⇒長野道とかなり飛ばしたのですが、結局会場では最後のスピーカーになってしまいました。
で、風邪のほうですが、まだ治っていません。
気管支炎になっているみたいで、咳が止まりません。月曜はホームグループのミーティングが(祝日で会場が閉まってるので)休みだったぶん、火曜の隣のグループのミーティングに出るつもりだったのに、結局家に帰って寝てしまいました。
この雪辱は来年の元日のミーティングにて晴らしたいと思います。



2001年12月17日(月) 風邪ひきました

台湾に出かける前に、ちょっと喉がゴロゴロするなぁとは思っていました。
家族全員で、ゼホゼホ咳をしていたので、感染力の強いカゼじゃないかな、と思ったり。台北の日中の気温は18〜20℃ぐらいなのに、どこでもエアコンで冷やして、その中で皆さん半袖で仕事してます。信州は寒いといっても、普段は暖房の聞いた二十数度の中にいるわけですし、「どうせ向こうは暖かいから」という理由で薄着でいった僕らは「寒い」を連発していました。
それでも、咳も治って快適だったのですが、日本に帰ってきたら、今度は外気温が数度です。温度差にやられて、すっかりカゼを引いてしまいました。まあ、咳をしすぎてガラガラ声になっている以外は、それほど深刻な状況ではないのです。
しかし、最も人に「しんどそう」と思ってもらえる状態でもあります。

仕事が長引いて、ミーティングに30分以上遅れてしまいました。
バスケットが無くても、時間になれば、そこに居る仲間がミーティングを始めてくれていました。僕が話してミーティングが終わり、ビジネスミーティングで、メダルを幾つか買うことを決定し(9ヶ月以降はブロンズのメダルになるんで、単価が高いのです)。水曜・木曜と、また出張になりそうで、木曜の晩の病院でのミーティングへの参加がちょっと間に合わないかもしれないです。困ったな。



2001年12月14日(金) 台北

3度目の台北でした。
今回は仕事の打ち合わせだけでしたので、2泊3日というあわただしいスケジュールでした。10月に買ったノートPCには、iPassConnect も GRIC も仕込んであるので、現地からのダイアルアップには何の不安もありません。仕事もこのまますんなり行けば、受注できる見込みです。そして、そうなるとまた来春には、1週間以上台北に滞在することになるでしょう。そうなると、できれば台北のAAミーティングに出てみたくなるものです。
ホテルの電話からダイアルアップして、ニューヨークのGSO公式サイト http://www.aa.org/からたどると、各国のサービスオフィスへのリンク or 電話番号にたどり着けるのですが、残念ながら Taiwan も China も見つかりませんでした。どうやら、こちらには「AAのミーティングが無い」か「あってもサービス機構がないので連絡不能」のどちらかということになります。いずれにせよ、例えミーティングがあったとしても、それがどこで行われいるか、僕には知る手段がないことになります。
お土産に買って帰った「杏仁茶」「烏龍茶ケーキ」ともに、家族にはとても不興でした。



2001年12月11日(火) いろいろ

12月に入っていろいろありました。転勤族の仲間がやってきて、バースディミーティングが行われたり(メダルが間に合いませんでした、というか忘れてた)、閉鎖された会場を誰が再開するか、委員会でゴチャゴチャあったり・・・
県内のミーティングの地図が出来上がったので、とりあえず主治医のところへ持っていきました。「ああ、それは良かった」と言っていただけましたが、逆にいうとそれは「今まで必要があったのに、それが存在しなかった」という問題点が浮き彫りにされる言葉なわけで誇らしいというより、恥ずかしい話です。

年末までに、もし半日ぐらい休みがとれれば、各医療機関を回って、できるだけ配りたいところです。が、あまり理想を高く持つと、始めるのが億劫になるので、「郵送でも可」てことにしときましょう。

来年にオープンスピーカーズミーティングの輪番になるグループが、それを辞退した場合に僕のグループで立候補するという心積もりでいましたが、そのグループが引き受ける方向で話が進んでいるようで一安心です。ただ、代わりに一泊の「夏の集い」を再開しないかと来年の議長から打診されました。あと、広報用に月刊のペラを出せないか、これも打診がありました。

熱心だった隣の県のメンバーが、会場を閉めてAAを離れていった、と聞いたのはショックでした。



2001年11月30日(金) 年末年始

自分のグループの年末年始のミーティングスケジュールは、すでに確定済みです。
病院でのミーティングは、仲間内で相談した結果、正月3日は休ませてもらうことで決まりました(まあ病院側との調整は必要ですが)。以前三が日にミーティングをやったこともあったのですが、お正月なんで皆さん外泊していて誰もいなかったりします。教会以外の施設を使っている会場は、年末年始はほとんどお休みになります。
そこに魔が潜んでいるのも確かで、お酒に接する機会が増えるこの休みにスリップする例も数多くあります。忘年会・新年会もあったりして。年末年始の教会でのミーティングは沢山人が集まることも多くて、たまにしか会えない仲間の顔が見られるチャンスでもあるんですが。


2001年11月26日(月) 関係者来訪

ミーティングにいきなり(でもないか)関係者の方々が見えられました。
「関係者」というのもAA用語でしょうね。医療・福祉関係の専門職の方をまとめてこう呼びます。今回いらしたのは、病院のドクターから学生まで含めて4名の方。こういう事態は久しぶりなんで、結構緊張しました。ミーティングの終わりにコメントを頂きました。
医療の側から見ると、依存症の回復失敗例しか見ることができません。それはそうでしょう。順調にソブラエティにたどり着いた仲間は、あまり通院したりしないのが現実で、医者の前に顔を出すのは、依存を断ち切れない例が大多数なわけですから。そうした状況の中で、回復への希望を維持しつづけるのは難しく、時には無力感に悩まされるという話も伝え聞いたことがあります。
自助グループに顔を出すと、そこには回復に取り組んでいる人間の姿が見えるわけです。今回頂いたコメントも、そうしたニュアンスを帯びていたかもしれません。そういえば、入院のときに世話になった先生に手紙を書こうと思いながら、何年も過ぎてしまいました。スポンサーにも手紙も書いていません。
ああ、そういえば年賀状の季節ですね。僕の出す年賀状のほとんどは、AAのメンバーあてです。残りの少数は大学時代の友人と、親戚ぐらい。
AAがなかったら僕はだいぶ孤独でしょうね。



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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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