心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年03月06日(土) 安易に共感しない

病気を英語の頭文字で呼ぶことが増えています。例えば後天的免疫不全症候群はAIDSです。EDは「いーことができない」の略ではなく、勃起不全。最近眼科の壁にAGAというポスターが貼ってあったので、眼科の新しい病気かと思ったら「男性性脱毛症」でした。ハゲも眼科で治る時代らしいです。

DSM-5ではアルコール依存症が「アルコール使用障害(Alcohol-Use Disorder)」と名前が変わります。これも頭文字を取ってAUDと書かれるようになるのでしょうか。

ミーティングで「AUDのひいらぎです」とかアイデンティファイしたら間抜けな感じですが、そう言う人たちが増えればきっと慣れてしまうでしょう。

さて本題。

さて、スポンシーと話をしていて気をつけているのは、安易に共感しない、安易に同情しない、安易に慰めない、安易に癒さない、ということです。つまり、共感せず、同情せず、慰めず、癒さず、ということです。

スポンシーは何かしら傷ついているから相談してくるわけです。あるいは不安になったり(恐れ)、恨みを持ったりするからこそ、スポンサーにそのことを相談してくるわけです。

その時に、スポンシーの味方になって、スポンシーを傷つけた相手を非難すれば、スポンシーは安心するでしょう。「あなたは悪くない」と言ってあげれば、落ち込みから浮上してくるかも知れません。

けれど、それを繰り返していれば、スポンシーはあなたに「嫌なことがあったときに話を聞いてくれる良い友だち」以上のことは期待しなくなり、いざあなたがその役目から降りたときには、裏切られたと感じるでしょう。

それではスポンシーが自分で問題を乗り越える力を獲得できずに終わってしまいます。回復ではなく悪化の手助けです。

心に悩みや葛藤を抱えたまま生きることは、決して悪いことではありません。悩み続けていれば、心はいずれその悩みを乗り越える道を見つけるものです。前向きにそれに向き合っていくことにするか、変えられないものとして受容するかはともかくとして、何らかの道を見つけます。

スポンシーはそういう「自分で問題を乗り越える力」がずいぶん弱くなっているので、別の手段に頼ろうとします。それが例えば酒、ギャンブル、異性であったりします。嫌なことがあると、不眠のために処方された睡眠薬を夕方飲んで寝てしまう人もいます。薬の依存になっていなくても、嫌なことを乗り越えるために気持ちよくなる薬が欠かせない人は、いつまでたっても同じ程度の悩みで音を上げています。

やめたばかりのスポンシーは、本当に些細なことで悩むものです。細かなことで悩まず易々と乗り越えていけるようになって欲しいと願うならば、やはり安易な癒しは与えないことでしょう。

悩みとはゴミのようなものであり、心に悩みがあるとは、心という部屋の中に悩みというゴミがたくさん散らかっている状態です。健康な復元力があれば、いずれ心の中が整理され掃除されて、悩みと折り合いがついていくものです。この自然な復元力が失われているようであれば、「棚卸し」という積極的な行動によって整理整頓をうながすべきです。

一時的な効果しかない慰めを与えるより、永続的な効果のある12のステップへ導くのがスポンサーの役割だ、という当たり前の話でした。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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