心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年10月14日(水) 一人が苦手

僕の勤め先は、もともと12人が所属する事務所でした(内2人は本社に転属中)。今年の春までに5人辞めていきました。理由は独立起業・転職・非正規切り。

今年春に不景気のあおりをくらって事務所が閉鎖になり、残った5人は在宅勤務になりました。僕もその一人です。機材を自宅に持って帰り、会社との連絡は支給された携帯電話とメール。ほかの社員に会うのは月に一回の本社での会議のみです。

たまに客先で同僚と会うことはあっても、普段は一人で仕事をしています。もともと一人が得意な人なら良いのでしょうが、皆がそうとも限りません。見落としがちなことですが、「人付き合いが苦手」=「一人が得意」とは限らないのです。

一人が得意な同僚もいます。彼は長年付き合った恋人と別れてしまい「週末デートしなくてすむのは楽でいいよ」と言いながら、仕事もプライベートもマイペースで楽しんでいます。

僕は一人は苦手です。人付き合いは苦手ですが、一人はもっと苦手なのです。人間関係に疲れて一人になりたいと思うことはしばしばですが、一人でいるとどんどんマイナス思考になって苦しくなります。一匹で飼っていると、淋しくて死んじゃうウサギみたいなものかもしれません。

明日は本社で会議です。同じ在宅勤務の同僚が辞めることになり、彼の仕事の引き継ぎが必要になりました。

その彼はもとより在宅勤務が希望でした。仕事は自宅でできる種類でしたから、実現の可能性は十分あったのですが、彼自身が「自分だけ在宅になると、周囲にどう思われるか気になる」と言って、希望を叶えずにきました。それがこの春から会社の都合で皆が一斉に在宅勤務です。彼にとって、誰にはばかることなく大手を振って在宅ができるわけですから、願ったり叶ったりだろうと皆が思っていました。

けれど彼は半年でうつを再発させ、仕事が続行不能になって自ら退職を申し出たのです。皆がそれを知り、思いとどまってもらおうと画策を始めた頃には、すでに社長の裁可が降りた後でした。

彼は一流大学を出て、一流企業?に勤めていたものの、うつを発症して退職した過去があります。その後、僕が酒をやめて勤めていたたった数人の会社に、彼が就職してきました。実は高校の同学年だったのですが、僕は彼のことをまったく憶えていませんでした。同じうつ病どうし、あっちが休んだりこっちが休んだりの時期もありました。

彼は人と一緒にやるのは苦手だと言っていましたが、だから一人が得意とは限りません。彼の退職の話を聞いたとき、在宅になり一人にならなかったら、彼も持ちこたえたろうに残念だと思いました。

僕もうつで辛い時期がありました。特に土日と休んだ後は、月曜日に仕事に行くの大変でした。けれど、当時は月曜のAAミーティングの責任を負っていたので、辛かろうともミーティング会場を開けて、司会をしなくてはなりません。僕が逃げ出せばグループは自然消滅しかねない状況でした。

その逃げ出せない状況が、僕にはとても良かったのでしょう。月曜に仕事を休んでAAにだけ行くと、何を言われるかわかりません。なので、調子が悪かろうと無理無理月曜の朝は仕事に行きました。ぐったり疲れてもさらにミーティング。そうして人と接しているのが、僕のうつにはプラスになりました。

月曜が祝日(つまり3連休)の時は、その会場は休みになります。すると僕は仕事もAAも休めて楽でいいのですが、その後決まって調子を崩すのです。人間関係のストレスでうつになっているはずが、人間関係がないとさらにうつが悪くなるのです。それは僕が「一人が苦手」を意味するのでしょう。

本当にうつが悪くて飯も食えない文字も読めない状況なら、無理に人と接するのはいけないのでしょうが、少し良くなってきたら人と一緒に何かしないとうつは良くならない、というのが僕の信念です。

辞めていく彼にもAAみたいな場所があれば良かったのに、と思ったりします。

僕の業界では独立起業する人は珍しくありません。それできちんと食っていける人には自己管理がきちんとできる人たちです。自分をたるませすぎず、締め上げすぎず、ちょうどよいペースで仕事ができる人たちです。つまりそれは組織の中で仕事をする能力と同じです。会社の中で仕事ができる人は、独立して会社を興しても仕事ができる・・・考えてみれば当たり前の話ですね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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