心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年09月09日(水) 飲酒欲求について

酒をやめていて「飲酒欲求がなくなった」と言う人がいます。

おそらくその人の言う「飲酒欲求」とは、AAの基本テキストで言う craving(渇望)のことなのでしょう。compulsion(強迫性)という言葉を使うグループもあります。
それは、抑えがたい強い欲望、という意味です。

僕は初めて参加したAAグループで、ある女性のメンバーが「酒をやめて半年経ったときに、自分が酒のことを考えていない瞬間があることに気づいた」と話しているのを聞き、自分も酒をやめ続ければ飲みたい欲望から解放される時がくると思えて、ほっとした記憶があります。
つまり、その頃は目覚めているあいだじゅう(いや寝ている時も)酒への渇望に支配され続けていたのです。

「酒は遠ざかる」とAAのスポンサーに言われたとおり、月日が経つに連れて渇望は下火になっていきました。おそらくゼロにはなっていないのでしょうが、意識されないレベルになっています。だから、「飲酒欲求」(実は渇望)を気にしているすべての人に「それはいずれ消えるから心配するな」と伝えたいです。

ただ、渇望がなくなったから安心はできません。もともとAAのプログラムは渇望を解決するものではなく、もう一つ obsession (飲酒への囚われ)を解決するためのものです。

ある程度時間が経ってから再飲酒した人の話を聞いてみましょう。彼らは「強い渇望に屈して酒に手を出してしまった」わけではありません。「まったく気にせずに」あるいは「飲んでもかまわないと思って」飲み始めます。
過去に精神病院に入ったり職や家族を失った経験を、その時に100%忘れてしまったわけではありません。過去の体験はぼやけているものの、きちんと憶えています。けれど、それが酒へのブレーキにはなってくれません。

それは油断とも違います。きちんと働いているはずの理性が「飲んでもかまわない」という判断を下す、これが囚われです。その瞬間狂気に支配されるわけです。

一度酒に囚われた人間のほとんどは、どれだけ長い間酒をやめようとも、この囚われから無条件の自由を得ることはできないようです。

だから、「飲酒欲求」がなくなってもちっとも安心できません。別の意味の飲酒欲求に一生支配されていくのですから。だから無力なのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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