心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年05月21日(木) 脳の病気(その3)

53.3Kg, 9.8%

脆弱性を抱えてしまった私たちは、それにどうやって対処していったらよいか、という話。

いったん、脆弱性の話を離れて、精神・身体・知的の障害者についての話に転じてみます。

障害者を特別の施設に閉じこめておくのではなく、社会で(自宅で)暮らせるようにすることをノーマライゼーションと言います。特別扱いをやめて、当たり前にしようという意味です。

ただ、このノーマライゼーションとは、障害者に対して健常人と同じ能力を期待し、同じ待遇を約束しているわけではありません。能力に制限があることが障害なのですから、その現実から目をそらすわけにはいかないのです。例えば仕事や住む場所が自由というわけにはいかなくて、何らかの制限を受けることは仕方のないことです。

本人や家族が「障害を受け入れる」ということは、無理無理に頑張って普通人と同じ結果を出そうとするのではなく、制限があることを納得して受容することです。また、社会が障害者を受け入れるということは、そうした制限のある人を社会の一員として受容することです。

こうした人は、社会にとっては(言葉は悪いですが)足手まといになります。その非効率を受け入れることが文明社会だろうと思います。強い人、健康な人だけで構成されていれば社会は最高の効率で動くでしょう。効率のために弱者を排除するというのであれば、それは弱肉強食の論理であり、文明を持たない動物と同等の、人間らしさを失った社会になってしまいます。

さて、臓器に脆弱性を抱えた人は、(たとえ障害者に分類されるほど重いハンディキャップを背負っていなくとも)同じことが言えると思います。

ハンディキャップの重さや種類が違っていたとしても、何らかの制限を受けていることに違いはない・・・というところで、さらに次回に続いてしまいます。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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