心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年02月24日(火) 大学の思い出

夕/牛丼並(吉野屋380)
夜/チキンラーメンミニ
計測無し

コンビニ弁当が400円以下になってきた昨今、牛丼380円の価格訴求力は弱まった感じがします。こうしてデフレが始まっていくのでしょうか。

僕が上京したのは1982年。アパートではなく、下宿でした。大学から電車で10分、そこからバスで10分。徒歩5分。なんでそんな不便な場所になったかというと、アパート探しが3月30日になってしまい、良い物件が無くなっていたからです。

低所得者向けの学生寮には入れるはずだとか、そうでなくてもアパート探しは合格発表の後でなどと言っているうちに、そんな日付になってしまったのでした。

下宿なのですが、食事の賄いはすでにやめてしまっていて自炊。広さは4畳半で、トイレと炊事場は共同。風呂は銭湯。仕送り6万円のうち2万円がその家賃。奨学金をもらいましたが、購入したパソコンの月賦にあてられました。パソコン本体と白黒モニタとプリンターと5インチのフロッピードライブで70万円を超しました。

タバコを諦めてフロッピーディスク購入、昼食を抜いて文庫本購入、という感じでした。

下宿は某六大学の野球部の練習場に近く、その部員の人たちが多数でした。あと中央大の法学部の人たち、なぜか青学。同じ市内にある僕の大学の人は誰もいませんでした。

仕送りじゃ足りないのでソフト開発のアルバイトをはじめ、いつの間にかそちらが本業になり、そして今でも本業であります。大学に何を学びに行ったのかよくわかりません。

とにかく留年や中途退学の多い学科で、毎年1割ほどの学生が脱落していき、4年で卒業するのは5割余り。現在は若干改善されているようですけど。

今から考えると「卒業できない条件」ばかりそろっていたような気もします。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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