心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年01月07日(水) 努力信仰の落とし穴

夕/牛トロ角煮丼(すき家)
夜/カップ焼きそば
53.2Kg, 13.5%
朝/コーヒー・ロールパン×1・チーズ・ヨーグルト・サラダミックス

ニュース検索にもひっかかっていますが、
「カウンセリングから見えてくるストレスと暴力」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090106/181978/
ここに「僕はこんなに彼女を愛しているのに、なぜ言うことを聞かないんだ」という言葉が出てきます。

仕事は上意下達で動いています。これは会社組織を離れて請負をやっても変わりません。指示に従う(言うことを聞く)のが仕事の一部です。言うことを聞かされるのは不満につながりますし、またいったん部下を持てば「部下が言うことを聞かない」のが悩みになります。だいたい「10言って1聞いてくれれば上出来」などと言われます。どちらにせよ結構ストレスフルです。

で、このストレスフルな構図を、家に帰ってまで繰り返してしまうわけです。外で我慢しているぶんだけ、家では思うままにしたい。そうやって、外と同じストレスフルな世界を家の中でも構築してしまうわけです。ストレスから解放されたいのなら、違う論理で動かないといけません。とりあえず僕も修行中であります。

さて、僕の参加しているAAミーティングでは「平安の祈り」でミーティングを締めくくっています。この短い祈りをデフォルトの祈りにしているメンバーもたくさんいます。

自分自身を振り返って、この祈りを(言葉に出して|心の中で)唱えながら、本当に祈っていたのかどうか。

最初に「神様、私にお与えください」とありますが、これが枕詞になってしまい、残りの3行が重要であると思ってしまっていたわけです。

「変えられないものを受け入れる落ち着き」「変えられるものは変えていく勇気」「この二つを見分ける賢さ」

落ち着きと勇気と賢さ。「俺はこの三つを獲得するぜ〜」という決意表明になってしまっていて、神さまはどっかに行ってしまっていたわけです。この三つが、神さまが与えてくれるものではなく、それぐらい自分でも出来る、になっていました。決意表明と祈りは違います。なかなか無力を認めきれないものですね。

もちろん、何かを獲得するのに努力が不要だとは言いませんが、自分の努力を信仰していると、「こんなにがんばっているのに、どうして妻は言うことを聞いてくれないのか」という理屈に陥りがちですな。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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