心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年01月04日(日) 新聞を読む

夜/カップうどん

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・チーズ
昼/ランチ(海鮮丼・うどん・数の子・サラダ・グレープフルーツ・ブラッディオレンジジュース)
夕/ラーメン
夜/海鮮おかき
53.3Kg, 10.7%

朝/コーヒー・カレーパン・チーズ

予定通りのことはこなせたものの、予定以上の活躍は出来なかった冬休みでした。それで十分なんですけど。一週間でミーティングが2回、それに病院メッセージも行けたから、良い冬休みだったことにしましょう。

実家で新聞を読みました。
人が新聞を読んでいるというのに、何度も話しかけてくる母の悪癖はともかくとして、社会面のコラムがなかなか読解できませんでした。
コラムの趣旨はうろ覚えですが、昨今の犯罪がテロル的になってきている(無差別暴力による主張)→近年の映画も社会の閉塞感に対する暴発を描いたものが多い→一方「デスノート」のようなピカレスクも流行した→正義を実現するためなら逸脱もかまわないとする風潮が生まれつつある→団塊世代には努力すれば良くなると言う大きな文脈があったが、彼らが収穫を持ち去った後、若い世代には閉塞的虚無感だけが残された→ロスジェネ(失われた世代)は自らロスト(喪失)したのではなく収奪されたという主張が目立ってきた→しかし奪った相手が誰か見えにくくなっている→結果として無差別的な犯罪による自己主張が増えているのではないか。と言う感じか。
面倒であっても、収奪した相手を見つけ出し異議申し立てをすることが必要ではないか、という結びでした。

若い人が新聞を読まなくなり、年寄りのためのメディアになりました。
そして年寄りのために字が大きくなり、ページ数は増やせないので、字数が減りました。結果として、表現に必要な字数が足りなくなっているのではないか・・・と思いました。
でも、思い返してみると、コラムの論理展開そのものがショートカット的なので理解しにくかっただけなのかも。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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