心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年12月17日(水) どの伝統も等しく重要

朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・野菜サラダ
昼/明太子パスタ・チーズパン(コンビニ)
夕/豚トロ角煮丼・みそ汁・サラダ(すき家)
夜/ミックスナッツ少々・栄養ドリンク
54.2Kg, 13.8%

朝/コーヒー・普通のトースト・ヨーグルト・チーズ

うーむ、浮腫みました。

以下は某所に送ったメールで、個人的なことは伏せて書き換えてあります。これを元に雑記に形を整え直そうと思ったのですが、面倒なので、そのまま使います。

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「現状では」あくまでも「現状では」という但し書き付きで、彼には去ってもらって良かったと思っています。

それは伝統3の「私たちの共同体は、アルコホリズムに苦しむ人すべてを含むべきであり、回復したいと願っている人はどんな人であっても拒んではならない」に反するのではないか、という意見も当然あるでしょう。

しかし、僕は伝統3が、他の11個の伝統に対して飛び抜けて優先されるべきだとは思っていません。伝統1の「私たちの全体の福利がまず優先される。しかし個人の福利がすぐそのあとに続く」ということも、同じように大事であると思っています。

あるグループでは、ニューカマーの3ヶ月以内のスリップはグループの責任、1年以内スリップはスポンサーの責任、それ以降は本人の責任と言っているそうです。スリップに限らず、グループとして責任というものも考えていった方が良いでしょう。

回復も共同体あってこそ、自分が回復したければ、全体の福利を尊重してもらわなければならない。それが出来ない人にはお引き取り願わねばならないと思っています。その厳しさをふまえた上での伝統3だと思います。
バランスが必要で、参加する権利だけが偏重されるのは伝統の精神にそぐわないと、考えています。

一連のトラブルで彼だけを責めるわけにはいかないと思います。こうしたトラブルは、どちらか一方が加害者で、他方が被害者ということはあり得ない。誰もが「自分は被害者だ」と言っているように聞こえますけどね。ともかく彼だけを責めるわけにはいかない。

しかし、やはり複数のトラブルの真ん中に彼がいて、それを改めることができないのなら、伝統1と3の間で難しい判断をしなければならない。その難しい判断から逃げないのが、責任ではないかと思います。

神さまならぬ人間の判断はいつも間違える危険がありますが、それでも判断から逃げるべきではないと思います。伝統は常に僕たちに厳しい選択を強いているように感じます。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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