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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年12月16日(火) 順調に製造中 夜/レンジでチンする高菜チャーハン
朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・バナナ・野菜サラダ
昼/ミニ明太高菜ごはん・おにぎり×1(コンビニ)
夕/牛丼並・野菜サラダ(吉野屋)
夜/エビせんべい×5
53.4Kg, 12.0%
つくづく、生きることとは食べることであると思います。
はたして、生きる意味とは何でありましょうか。
人間は、何の目的があってこの世に生まれてくるのでしょうか。
毎日うんこを製造することでしょうか。
(食事中の方、すみません)
結果的にはそうなるかも知れません。
「無力」とは、それについて私の出来ることが「何もない」ということでしょう。
「アルコールに対して無力」とは、再飲酒に対して私が出来ることは「何もない」ということです。
いや、そんなことはない、できることがある。とおっしゃるかも知れません。抗酒剤を飲んだり、酒のある場所を避けたり、自助グループに通ったり・・・。
それは確かに断酒の確率を上げてくれます。
でも、抗酒剤を飲んでもまた飲んでしまう人も、自助グループに通いながらまた病院に戻る人もいます。それは、その人が「だらしがない」からでしょうか?
それも病気のうちなんですよ。
つまり人間のすることで、100%の断酒成功を保証してくれることなんてないのです。しっかり目を見開いて歩いているつもりでも、落とし穴に落ちる危険は一生続きます。
無力は幸せな状態ではありません。ウンザリするような嫌なことが続き、不安からずっと解放されないということです。無力は「心の落ち着き」とか平安を与えてはくれません。だから人は、まだ自分がコントロールできる程度の「無力」を認めて済ませようとします。でもそれは認めたことにはなりません。
では深く無力を認めていくとどうなるか。誰かに助けてもらいたくなるでしょう。しかし他の人に頼ってみても、相手も無力なので救われません。そこで、有限な人間ではなく、人間以上の無限の存在を信じてみたくなります。何でも100%できる存在に、自分の断酒のこともお願いできれば、不安から解放されるわけです。
人はいろんなことに無力です。
例えば僕は、会社との雇用関係が安定していません。良い方向に向かって進んでいると信じたいのですが、この経済情勢では不安になってしまいます。雇用関係には会社という「相手」があり、その相手には「気持ち」があります。相手の気持ちは、僕にはコントロールできません。である以上、僕の雇用を100%保証するすべはありません。
ここでも無力であり、「大きな力」に任せるしかありません。
とはいえ、何もしないで「おまかせ」と言っているわけにもいきません。今夜もAA会場に行かねばならないし、それまでは働かないといけません。AAに行かないとソーバーが危ないし、働かないとクビになります。
人生の意味についても、僕は無力です。考えても何もわかりません。でも、何もしないわけにもいきませんから、とりあえず今日の食料を確保しなくてはね。
ジョージ秋山氏の描く浮浪雲のせりふ、「おねえちゃん、いいうんこしてますか?」は含蓄のある言葉に思えます。
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