心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2008年12月08日(月) 悩め悩め〜

朝/コーヒー・トースト・生野菜サラダ・ヨーグルト・チーズ
昼/サバみそ弁当・野菜ジュース
夕/マグロのたたき丼・けんちん汁(すかいらーく)
夜/カップうどん
53.9Kg, 10.4%

朝/コーヒー・生野菜サラダ・ヨーグルト・バナナ・チーズ
昼/中華丼(コンビニ)

腸内の滞留量が増えているみたい(要は便秘)。

県外のAAメンバーが、こんな話をしてくれたことがありました。

酒がなかなかやめられない。せっかく施設に行って酒をやめても、帰ってくるとまた飲んでしまう。嫌になって家を逃げ出し、隣県の知り合いを訪ねようとしたものの、飲んでいるせいで自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
さまよい歩くうちに、何の偶然かたまたまたどり着いた家の主が神父さんだった。
その神父さん相手に「自分の人生は、こんなんで、あんなんで、とても苦しい」という涙の訴えをした。すると、神父さんはこう答えたそうです。

「良かったですねぇ。あなた、もうすぐ神さま見つかりますよ」

苦しみの果てに神さまが見つかったのかどうか、そのメンバーは話してくれませんでしたけどね。

夜明け前が一番暗いのです。実際明るさがどうであれ、精神的に暗く感じるのです。

神さまを見つけるのに、必ず苦しみを経ねばならないのかどうか。それは僕は知りません。でも、僕の知る限りハイヤー・パワーを見つけた人たちは「なんで俺はこんな人生を生きているのだろう」とか「私の辛い人生に何の意味があるのか」と悩む時代を経ているようです。

ビル・Wも

「夜が明ける前は何と暗いことか」 (A.A. p.12)

と書いています。エビーが福音を持って訪れる前のビル自身の精神状態の描写です。

悩むべき時には、徹底的に悩まねばならないのだと思います。悩みを脇にそらしたり、飛び越えてしまったりしては悩むことが出来なくなってしまいます。

悩むのは「この問題をなんとか自力で解決できないだろうか(解決したい)」「自分の望む方に事態を持って行きたい」と思うからこそです。要は無力になりたくない、無力を認めたくない。

じゃあ無力を認めれば楽になれるのか。なれないでしょうね。余計情けなくなるだけです。情けないのは嫌だから、また「自分は事態をコントロールできるはずだ」という幻想に舞い戻りたくなります。せっかく認めかけた無力もどこへやら。こうしてステップ1が抜けていきます。

徹底的に悩んで、徹底的に無力を認め、徹底的に惨めになってこそ、この問題を解決してくれる「自分より大きな力」ってやつが、「いて欲しい」「いてくんなきゃヤダ、困るよ」「絶対いてくれ〜」と思えるようになれるわけです。

ステップ1だけは100%できてないと・・と言われますが、ステップ1だけが出来ている状態なんてあり得ないわけで、1がちゃんと出来ていればステップ2に進まないと惨めでたまりません。だから2以降に進んでいる状態か、1の無力すら抜けてステップ0の段階に戻っている状態か、どちらかになります。

悩むときは徹底的に悩むといいんであって、周りは気晴らしの手段とか提供せずに、じっくり惨めに悩める環境を提供してあげてほしいものです。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加