心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年11月19日(水) 言葉の定義と文脈の理解

夕/サバの塩焼き・海藻サラダ・オクラの和え物・おみそ汁・ごはん(小)
夜/カップ天ぷらそば
53.1Kg, 10.1%

朝/コーヒー・バナナ・ヨーグルト
昼/冷やし天おろしそば
夕/バースディミーティングのケーキ・帰宅後インスタントラーメン
夜/オーザック半袋
53.3Kg, 11.3%

いろいろ苛つくことがありまして、憂さ晴らしにミーティング前にモスバーガーでちょっと贅沢に食べて行こうかともくろみました。でも、ミーティングは仲間の2年のバースデイでしたから、なにかプレゼントを持参したいと思いました。

しかし、うつ気味の頭ではプレゼントのアイデアも浮かびません。だいたい男性用のプレゼントに雑貨屋ブルドッグに寄ったのが間違いだったのでしょう。あきらめて本屋に寄り、加藤諦三の本を2冊買いました。一冊はこの日の仲間のため、もう一冊は前日に2年を迎えた仲間のためです。加藤諦三の本はどれを取っても「金太郎飴のように同じ」と評されるぐらい同じである安心感と、今時文庫本が500円しないというメリットもあります。

この人の考え方の基本は「心に植え付けられた<親の考え方>を聞くことをやめ、より奥深い自分の希求に従って<自分の考え方>を得ていけば自由になれる」とでも表現できるでしょうか。

AAでよく「自分の考えを使わない」と言い、また「祈りや黙想によって神の意志を知る」とステップにあります。ここで、「自分の考え」を心に植え付けられた<親の考え方>に、「ハイヤー・パワーの意志」を<最奥の自分の望み>と言葉を置き換えてみれば、加藤先生もAAも同じことを言っているのだと分かります。

このように「自分の考え方」という言葉も、その原点によって正反対の意味を取るわけで、前後の文脈を無視して言葉だけに反応してしまうと、とんちんかんな議論が始まってしまったりします。

あるコミュニティ(例えばAA)には、そこで使われる単語の定義だとか、話の流れ(文脈)などが生まれ受け継がれていきます。コミュニティを理解することは、そこで使われる定義や文脈を理解することでもあります(それに賛成するかどうかは別)。コミュニティの継続は、これらの考え方を次の人に伝達していくことでもあります。

例えば「無力ってのはこういう意味」だとか、「自分の考え方が病んでいるからこそ、祈りと黙想によって正常な自分の考えを知る必要がある」とか。

本屋を出たら、目の前の道がえらく混んでいました。先の方で軽トラが故障していたのが原因です。ミーティングに遅刻しそうだったのでモスは諦め、帰りに寄ろうと決めました。こういう時に限ってバースディご本人が遅刻だったりするのです。

ミーティングでは「(わたしが|あなたが)助かったのは、つまるところ運が良かったからである」という話をしました。AAにいろんな人がやってきますが、誰が助かるかは僕にはまるでわかりません。それは神様が決めることです。助かったのは神様に選んでもらえたからで、その人の努力は実は小さな違いしか作り出していないものでしょう。

ここで「神様に選ばれた」というのはAA流の表現です。一般には「運が良かった」という表現でいいと思います。運が良くて酒が止まったからこそ、また飲んだ時に次もやめられるとは限らないのです。だからこそ今回のソブラエティを大切にしなければならないわけで、そのために努力しましょうということです。

空きっ腹にバースディのケーキをいただいたら、食欲が失せてしまって結局モスには寄りませんでした。帰宅後インスタントラーメン。とほほ。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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