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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年11月03日(月) 怒りや吐き気による否認 夜/カップワカメそば・ウィルキンソンのジンジャーエール
朝/コーヒー・ヨーグルト・バナナ
昼/五目チャーハン
夕/焼きそばパン・五目焼きそば
夜/ケーキ一切れ
「だからといって、今さら年老いた両親に育てなおしてもらうわけにも、いかないじゃないですか!」
とスポンシーが気色ばんだとき、僕は内心手を叩いて祝福しようかと思いました。実際パチパチと手を叩いてもよかったのですが、嫌味にしかならないのでやめておきました。
「親に育てなおしてもらうこともできないし、いったいどうすればいいのか」
という悩み方は、親に充分育てられてこなかった、という自己認識が生まれたからです。いままでそういう自己像を持っていなかったものが、酒が抜けて素面になって、いろいろ気づく(aware)ようになってきたわけで、回復の一つの段階です。スポンサーとして進歩を喜ばないわけにはいきません。
実をいうと僕も、ソブラエティの最初の何年間かは、自分は親に充分愛されて育って、そんなに出来は悪くない大人になった、という自己像にしがみついていました。大人になったあとで、自分でひねくれてアル中になってしまった、という解釈の方が「楽」でよかったのです。しかし、自分の実像は元来が出来の悪い大人です。両親なりに子育てしてくれた結果なのですが、いろいろ足りなかったのは確かです。
しかし「親が悪い」と言うと、気分を悪くする人が(世の中にもAAの中にも)いっぱいいます。他人の親が子供をどう育てようと、子供が親をどう責めようと、他の人には関係ないはずなのですが、なぜか「親が悪い」話を聞くと気を悪くする人がいます。
おおむねそういう人は、「自分の親は悪くない」という理屈にしがみついている人です。「悪くない親に育てられた自分も、そう悪くないはず」という展開で、自分を守っているのです。でも、本心ではそう思っていません。親への恨みや、生きづらさの原因に気づいているはずです。それが、「親が悪い」話を聞くと、抑圧していた本心が刺激されて落ち着かないのです。
そこで「親のせいにしているやつは回復しない」などと言って、「親が悪い」話をする人を責めたりします。抑圧を取り、徹底的に自分に正直にならないと、回復しないプログラムなのにね。要は気分が悪くなる方が回復していないのです。
前のAAホームグループは、完全オープンで、アル中さん本人だけでなく家族の人もほぼ毎回ミーティングに混じっていました。それだけでなく、順番を回して話してもらっていました。
当然のことながら、家族の人の話には(意識的に・無意識的に)アル中本人から「いかに傷つけられたか」という話が混じります。別に目の前にいるアル中さんを責めているわけじゃないのですが、その話を聞いてまるで自分が責められているように感じ、居心地の悪くなるひともいました。
要するに、自分がいかに家族を傷つけてきたか、から目を背けている人は、被害者の立場の人から話を聞くと、抑圧に成功していた?罪悪感がぶり返して苦しくなるのです。
こちらも、気分が悪くなる方が回復していないのです。
酒や薬の影響が脳から抜けるには3〜5年かかります。自分のしたことに向き合えるようになるのも、それぐらいはかかるでしょう。それまでずっとミーティング場が「針のむしろ」状態でも辛くなってしまうでしょう。ということで、グループは方針を変えて、クローズドは本人だけというAA本来の姿に立ち返ることになりました。家族の人は家族のグループに通われています。
AさんがBさんの話をしているのに、なぜか自分の気分が悪くなったり、腹立たしい気分になるのは、たいていは自分の恨みや罪悪感を抑圧していたのが、刺激されて表に出てくるからです。それは否認の態度の一つ。自分の問題なのです。
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