心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年10月08日(水) そう思わないとやってられない

お風呂は僕の毎日の楽しみです。
しかし、さすがに今日は遅くなったので、シャワーにとどめました。
それでも毎日自宅のお風呂に入れるって素晴らしい。とゆうか毎日自宅に帰れる仕事って素敵。これで自宅で誰かが待っていてくれたら、とか言い出すと、途端にグチっぽくなるので、それはおいといて。

シャワーを浴びながら、今日あった一つひとつのことを思いだし、はたして「その出来事に意味があったか」と考えてしまいます。有意義なことをしたのか、無為に過ごしたのか、あるいは害になっただけか。いろいろ考えても結論は「分からん」です。

無駄な時間を使ったようでいても、意味があったのかも知れません。
人の役に立ったと思っていても、実は足を引っ張っていただけかも知れません。
そう思うと、自分の行動、自分の毎日、自分の人生に、意味があるのかどうか、それすらも疑わしくなってしまいます。

でもたぶん、ずっと上の方から、大所高所から見渡して、いろいろと考えて意味を与えてくれる存在があるのでしょう。だから自分で意味が分からなくても、神さまが考えてくれるから大丈夫。てゆーか、そう思わないとやってられません。

自分でもっと努力すれば意味が分かるかも知れない、と頑張ってみることもできたわけですが、もうそれに疲れていたわけです。酒をやめたかったと言うより、飲むことに疲れていた。だから酒をやめたというのに似ています。

「AAはそれを必要とする人のためにあるのではない、AAを求める人のためにあるのだ」という言葉がありました。

○○はそれを必要とする人のためにあるのではない、それを求める人のためにあるのだ。

○○にテキトーな言葉を入れてみると、なんとなくそれっぽい警句になりますな。

信仰とか、

お金とか、

おっぱいとか。

最後は下世話かつ意味不明になってしまいました。きっと僕は疲れているに違いありません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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