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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年10月07日(火) アル中になって アル中になって良かったか悪かったか、という話をしました。
そりゃまあ、アル中になって職も金も人間関係も失ったし、知らぬ間に若さも失ったし、精神病院にも入院しましたから、アル中になったことは損でした。
でもその一方で、それなりの恩恵もいただいているのは確かで、それは他に代え難いものです。
良かったか悪かったかと言われれば、「アル中でない人生は生きてみたことがないので比較のしようがない」としか答えようがありません。あのままアル中にならなかったら、今頃ボストンあたりに住んでパツキンの妻との間に可愛いハーフの子供をもうけていたかも知れません。あるいは、地元に残って中学校の先生になり、妙に若い奥さんをもらっていたかも知れません(なんだか奥さんにこだわるな)。
それに比べて今の生活が惨めというわけでもないし。なんとなく、いろいろと愛されているという実感はあります。妄想と現実を比較して、自分を自分で惨めにする必要もないのです。
良かったか悪かったかは分からないのですが、この世の中に自分はたった一人である以上、アル中でない自分は存在しません。アル中である自分しかいません。つまり「アル中である」ということは、自分と分かちがたい一つの個性であり、それがなくなってしまったら僕が僕ではなくなってしまいます。それは「片目が見えない」とか、「遷延性うつ病」とか、「血液型AB型」と同じ、僕の大事な特質です。
はてさて話は変わって、神さまは(ハイヤー・パワーは)、その人の回復のステージに見合ったものを与えてくれます。回復の度合いに見合った仕事とか、人間関係とか。見合わないものは、例え間違って与えられても、いずれ失うことになっています。
異性についても同じで、その人の回復のステージに見合った異性しか与えてもらえないのです。ろくでなしの相手を嘆いてみたところで、その相手を選んだのは(というか与えられたのは)、自分の回復がそこまでしか進んでいなかったからです。要するに釣り合いが取れているわけですよ。
と言う話は、現在進行形のカップルにはなかなか言えないものです。破局が訪れた後で、その片割れに「あなたがきちんとステップをやって、もっと回復すれば、あれよりずっと良い相手が与えられるよ」と言って励ましてあげるのがせいぜいでしょうね。
要するに、自分が満足できていれば、それでいいって話ですよ。
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