心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年08月18日(金) 養生

お昼まで寝ていたので、午後も遅くなってから眼科へでかけました。
緑内障がみつかったのは、ほんの偶然からでした。メガネを作り直しても、なかなかよく見えるようにならない時期がありました。視力の検査(レンズの選定)は、それまでメガネ屋でやってもらっていたのですが、そういう所で測っても不正確なんじゃないかと疑って、眼科で測ってもらうことにしたのでした。
検査だけしてもらって、メガネの処方箋をもらって帰るつもりだったのですが、診察室に呼ばれ、眼圧が高いから緑内障の疑いがあるから、視野検査を予約するように言われました。
視野検査をしてみると、視野の中に「見えない」部分があることがわかりました。完全に緑内障になっていたのです。それまで「見えない」ことすら気付いていなくて、ただなんとなく見えにくいのが加齢のせいだったら嫌だなと、思っていたくらいでした。

東京のアパートで連続飲酒をしている頃、いくら目をこすっても、部屋のカーテンの模様がぼやけてはっきり見えないことがありました。虫の行列が見えたり、ピンクの象が見えたりすることはなかったものの、物が変な風に見えることは珍しくなかったので、ぼやけたとしてもそれほど気になりませんでした。
思えばその頃、緑内障が進行していたのでしょう。アルコールの症状が激しかったので、それも異常だとは思わなかっただけの話です。

診断をもらってからは、2ヶ月に一回眼科に行って、眼圧を測り、目薬をもらって朝晩差しています。半年にいっぺん視野検査をして、病気が進行していないか確認しています。

緑内障も、他の多くの病気と同じように、元に戻す(治癒する)ことはできません。ただ、進行を食い止めることができるだけです。

はたして自分が受けている治療が、本当に意味があるのかどうかも分かりません。目薬を差すのをサボって、眼圧が高くなってくると、頭が痛くなったり、肩が凝ったりします。しかし、例え眼圧が低くても、頭痛や肩こりと無縁なわけじゃありません。

僕の緑内障が、飲んでいた頃から着々と進行して今の状態になったのか、それともあの頃に急速に進行して、その後はあまり進まずに来たのか、それも分かりません。もし後者だとすると、今の治療にはそれほど意味はないのかも知れません。
放っておいても、それほど進行しないというケースもあると聞きます。

しかし、治療を中断して確かめてみようとは思いませんね。運が悪ければ目が見えなくなります。治療に意味があるのかどうか、失明という代償を支払ってまで、確かめなくてはならないとは思いません。

「病気になって知る健康のありがたみ」という話は多くの人から聞きます。
失明してから目の見えるありがたみを知っても、後悔するばかりでしょう。
同じように再飲酒してからAAのありがたみを知る、ってことにはなりたくないです。人生の終わりに、「AAのために使った時間を、もっと他に使えば良かった」と後悔するかも知れません。しかし、精神病院の保護室で、「もっとAAに時間を使っていれば、ここにいなくて済んだのに」と後悔するのは、二度としたくないというだけのことです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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