心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年07月07日(金) こねこねこのこ

我が家のトイレの掃除をするようになって3ヶ月が過ぎました。
春頃我が家のトイレは「これはちょっとどうかな」と思うぐらい大変なことになっていました。ところが妻にいくら言っても掃除してくれません。僕も汚れがひどい時は、軽く掃除をしたりするのですが、家のトイレの掃除は妻の仕事という考えがあるので、本格的な掃除には手を出さずにいました。
でも、娘たちが汚れたトイレに慣れてしまうのも具合が悪いような気がして、手を出したわけです。

家のトイレは自分の仕事だとは思っていませんが、職場では定期的にトイレ掃除の順番が回ってきます。定期的に掃除されているトイレは、それほど汚くはなりません。誰が買ってきているのか知りませんが、洗剤は「トイレのルック」、ぞうきんの代わりに「トイレクイックル」が用意されています。なぜかどちらも花王の製品だったりします。

仕事帰りに夜食を買って帰るついでに、このふたつを買って帰りました。我が家のトイレだって掃除をすれば、いい匂いがするではないか、と思いました。そして、妻が「ありがとう、これからは私がちゃんとするわ」と言ってくれると想像したのであります。

が、妻は感謝の言葉の後に、当然のように「これからもよろしくね」と、トイレ掃除の責任と実権が僕の手に渡ったことを高らかに宣言したのでありました。

僕の心の中には「こだわり」があります。行動しながら、結果を自分で拘束しています。AAミーティングでも、何か話をしながら、みんなの反応がこうあるべきだと勝手に決めています。仕事でなにか成し遂げれば、すぐに給料に反映されるべきだと思ってしまいます。トイレを掃除すれば、妻が改心(?)すると期待しているわけです。
そして、結果が思い通りにならなくて、やる気を失っているのが自分の姿です。

「おまかせ」と言いながら結果を自分で拘束して、思い通りにならないと苦しんでいる。まるでスポンシーが言うことを聞かないと嘆いているAAスポンサーのようです。
結果をコントロールしたいという願望が、自分を酒に追いやったもののひとつであることは、すっかり忘れてしまっているわけです。

クイックルは使えば無くなってしまいます。掃除一回あたり数十円は消費しているでしょうか。妻はそれはもったいないと言うのですが、僕は「トイレの床をぞうきんで掃除して、そのぞうきんをまた洗っておけってんなら、俺は掃除自体をやんねーぞ」と言うのであります。これも「こだわり」でしょうか。

一回か二回掃除をしただけで満足するほどキレイにはなりません(タイルの目地とか)。でも続けてきたので、少しずつマシになってきました。いつの間にか、風呂や流しの掃除までやっている自分がいます。でもゴミ出しはこの1年一回も行っていませんし、空のペットボトルは流しの下に放り出しておくだけです。
やりたいことを、やりたいようにしかできない。自分がそうだし、自分以外の人もたぶんそうなんですかね。

妻が猫を飼いたいという話をしていて、ついに大家(妻の父母)の説得に成功したようです。「部屋がこんなに散らかっていたんじゃ、猫の歩くところがないし」という条件が出たので、さきほどからどたばた片づけをしている音が聞こえてきます。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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