心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年07月06日(木) プロアナにアンチ・フェミニズムを感じる

プロアナ(pro anorexia)に関する話が出ていたので、ちょっとだけ見回ってみました。
プロアナを簡単に説明すると、拒食症を病気としてとらえず、痩せるライフスタイルを選択しているんだと解釈して、積極的に支持していこうというコンセプトです。最大の利点は、拒食症の人の自己肯定感(self-esteem)を向上させることにあるんだとか。

アルコール依存の経験しかないので、他の依存症も同じかどうか断言はできませんけれど、たぶん同じだと思うのですが、この病気には「罪悪感」がつきまとうのであります。
アディクションにはまりながら、こんなことを続けていては自分の将来がダメになってしまうし、人にも迷惑をかける、だからやめなくてはと思うものの、思うだけでやめられるのだったら依存症ではないわけです。思ってもやめられない、やめてもまた戻ってしまう。そんなことを繰り返しているうちに、自分は意志の弱いダメ人間だとしか思えなくなってしまいます。

そうやって自己肯定感を失っていくと、自尊心を失っていきます。言い換えると「投げやり」になります。人に迷惑をかけても良心の呵責を感じられなくなる一方で、自分を否定する気持ちばかりに始終支配され続けることになります。

それが苦しいから、自己肯定感だけ補充してやるなんてことが、はたしてできるのか大いに疑問であります。仮にできたとしても、そんなものは対症療法にすぎないでしょう。歯が痛いから鎮痛剤を飲んでごまかしているのと変わらないのです。効果が切れれば前よりもっと痛くなるのは必定です。

苦しいアディクトは心の中では救いを求めています。self-help group がそこにつけ込むところがカルト的だってのなら、プロアナだって同じようにカルト的であります。「ほうら、私ってこんなに痩せてモデルみたいにキレイでしょ」という写真が掲げてあるページを見ると、単なるアンチ・フェミニズムなんじゃないのという気がしてなりません。

「酒をいくら飲んでもいいじゃないですか。好きなんだから。飲むのも自己実現ですよ。飲まなくなったらあなたじゃなくなっちゃいますよ」

もちろん、相手の言って欲しい言葉を言ってあげることが優しさではありません。
え? 酒と過食拒食はちがうって? じゃそういうことにしときますか。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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