心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2006年07月01日(土) 無力+α(しめくくり)

穴のないドーナッツもありますが、穴のあるドーナッツを思い浮かべてください。
ドーナッツの穴は空虚であります。
穴にも意味がありますが、少なくとも空腹を満たす役には立ちません。おまけに、ドーナッツの穴は、穴だけ存在するというわけにはいきません。ドーナッツがあって初めて穴になれて、ドーナッツが朽ちれば穴もなくなります。

無力を認めるのは、結局自分がドーナッツの穴であることを認めることだと思っています。
もう一度、ドーナッツの穴は空虚であります。
その穴が、「俺は空虚だ、空虚だ。生きていくってなんて虚しいことだろう。ドーナッツがなくなれば穴があったことすら、皆忘れてしまう、ああ空しい」

そのくせ穴は、穴になにかを入れられることには我慢がなりません。何かが入ったら、穴が穴でなくなっちゃうじゃないかと。

それでも空虚なままにしておかずに、なにかを入れてみるということでしょう。あんことかクリームが無難でいいです。たくあんが好きならたくあんでもいいですけど、僕には勧めないでください。あまり変なものは入れない方がいいです。ドーナッツが食べられなくなっては元も子もありません。お酒もダメです。

そのあんこが「神様」なのだと思います。あんこは静かに空隙を満たして、不安や不満を耐えられるものに変えてくれます。

神様が何を考えているか、僕には分かりません。人間という限界ある殻に閉じこめられた身には、理解できないことはたくさんあるでしょう。ときどき分かるような気がするときもありますが、たいていは(これが正しいという)僕の思いこみでしょう。
ドーナッツの穴にも意味があるように、僕の人生にも意味が与えられました。この世の中に意味のないことは起こらないのだから、自分の人生にだって意味がないはずはありません。じゃあ、どんな意味がと言われても、自分にそれが完全に理解できる日は来ないだろうし、他の人にも同様だろうと思います。

不安も不満もゼロになりはしませんし、いきなり聖人になれるはずもありません。最低限の物質的充足がなければ、幸せは難しいだろうとも思います。それでも、世界が理想とほど遠くても、自分が不平不満のない聖人になれなくても、要するに酒を止める前と止めた後で根本的に何も変わらなくても、生きていけるようになったのは、あんこを受け入れたからということでしょうか。

AAメンバーがあんこを求めて歩いた道は無数にあります。僕もそのひとつを通ってあんこにたどり着きました。けれどこのあんこは僕のあんこであって、あなたのあんこではありません。だから、僕のあんここそが真正のあんこだと言えば、僕は嘘つきになってしまいます。
あなたが僕と同じようなドーナッツの穴であるならば、あなたを満たすあんこが見つかるよう願っています。

(この項おしまい)


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加