心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月28日(水) 無力+α(続き)

僕は自分のことを不幸だと思っていました。だって生きていくのがこんなに辛いのですから。

そりゃもちろん、世の中には僕より不幸な(だと僕が見なす)人々がいます。だが、そういう人たちと自分を比べて、自分はまだこれだけのものを持っていると考えることは、ゆがんだ満足を与えてはくれます。しかしそれは諸刃の剣であって、世の中には僕より幸福な(だと僕が見なす)人々もたくさんいて、自分が持っていないものの多さを感じさせるのであります。

ステップ7の文章にあるように、感情のトラブルの原因は「今持っているものを失う不安」と「欲しいと思っているものを得られない不満」なのだと思います。
自分の力に頼って生きていた僕にとって、自分で獲得したものの多さだけが、安心と満足のわき出る泉であり、幸せを計る物差しでありました。他人の幸福も同じ物差しで計っていました。
持っているものは失いたくない、欲しいものはすべて手に入れたい。物や金だけでなく、他の人からの信頼や尊敬や親切といった無形の物まで含めて、もっともっと欲しいと思った原因は、失うこと・得られないことで不幸になりたくなかったからでした。

人生の目的は幸福の追求にあるのだと信じていました。
身の程知らずの望みを持つのは愚か者だと思っていましたが、もしチャンスが与えられたなら、当然のように手を出したでしょう。ストイックな生き方にも魅力はあるかもしれないけれど、修行僧のような生活の中に僕の幸せは待っていないだろうと思っていました。

そういう幸福追求の人生を歩いてきた自分にとって、依存症になって精神病院に放り込まれるというのは、最悪な災いでした。家族も仕事もまだあったのですが、手に入れた物の大半を吐き出してしまった気分でした。自業自得かも知れませんが。

もう一度やり直そうと思っても、時計の針を元に戻すわけにはいきません。失った物をもう一度手に入れている間に、人生の時計はもっと先に進んでしまいます。それでは自分は幸せになれっこないと思いました。かといって、しゃかりきになればなるほど、もう一度病院に戻ってくる確率が上がるだけだということも分かりました。

また飲むのは嫌だったので、ともかく飲まないで生きてはいましたが、「こんなやり方では、またいつか飲んでしまうのではないか」という悪い予感を抱えながらでありました。

今でも、人は幸福を目指すべきだと思っていますし、物質的・肉体的に満たされることを否定するつもりもありません。かといって「私は今ある物だけで満足ですよ。ありがたいと思っています」などと言いながら、実は必死でやせ我慢をする生き方とも違うと思います。

(続く・・でしょうね、たぶん)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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