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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月27日(火) 無力++ 「酒が好きだから飲んでいた」というのは嘘ではないですが、正確ではありません。
飲む目的は酔っぱらうことです。フォーマルな場でかしこまって酒を飲んでいても、ちっとも楽しくありませんでした。酔っぱらえないからです。逆に言えば酔えれば何でも良かったのです。アルコールを選んだのは、たまたまそれが合法的な薬物だったからで、もし酒が非合法で大麻が合法だったら、きっと僕はヤク中になっていたでしょう。
酒を止めた後も、酔っぱらいたいという願望は消えてなくなりませんでした。
酔いの中に幸せがあるという感覚はいつまでも残って、辛いこと、しんどいことがあると、酒を飲んで心や体の疲れを取りたい欲望が強くなりました。
酒を止めて9ヶ月ぐらいで、僕は必死で「神様」を探していました。自分の「神様」を持っているAAメンバーは楽そうにしていたからです。僕も自分の神様を見つければ楽になれるだろうと思ったのです。けれど、いくら探しても神様は見つかりませんでした。
今から思うと、ぼくが信仰を求めたのは、信仰に酔いたかったというのが動機です。
金の悩み、対人関係の悩み、体のしんどさ、そういうものから自由になって、幸せにのほほんと生きていきたかったのです。酒を飲んだのも、酒の中にそれを求めていたのでした。しらふになって酔えるものがなくなって、今度は信仰の中に酔いの幸せを求めたかったに過ぎません。
もちろん僕の希望どおりに幸せで満たしてくれる信仰は、どこにも見つかりませんでした。
僕の主治医の言葉で「飲んでいた頃は毎日がお祭り騒ぎだったわけですから」というのがあります。
それに対して自分は静かに飲んでいたと反抗するのは簡単ですが、つきつめて考えてみると、毎日がお祭りの日のように、陽気で、笑いにあふれ、悩みを忘れ、人と和気あいあいと過ごしていける、本当にそんな日ばかりが毎日続いていって欲しいと願っていたのです。
そして酒を止めた後も、どこかにそういう幸せがあるはずだと探して回ることは止めませんでした。
お祭りのはれの日のほかは、穢の日常が続く、その当たり前のことが、僕には受容できなかったのです。
(続く・・・かな)
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