心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月13日(火) 聖人? 俗人?

頼まれてアメリカのメンバーの短い分かち合いを日本語に訳しています。
下手な日本語ですが、まあともかく日本語であれば読むことはできるわけなので、質は二の次と予防線を張ってやらせてもらっています。
感じることは「自信に満ちあふれているなぁ」というものです。私は回復しているよ、ハイヤー・パワーと一緒だよ、これなら安心だよというメッセージが伝わってきます。読んでいて元気づけられるというのか、毎回読むのが楽しみであります。

でも、もしその方に直接会うことがあったとしたら、回復者であるとか人格者であるとか感じずに、おそらくは「ふつうの人」であると感じるのではないかと思っています。日本のAAでも経験の長いメンバーが感じさせるような「俗人」ではないか。それでいて親しくつきあってみれば、実は人生の苦難にありながら、生きることを楽しんでいる人であることがわかる・・・のじゃないかと勝手に想像しています。

回復というのは現状に甘えずにパーフェクトを目指すことです。が、完璧になれるのは神様だけであって、人間は決してそこへはたどり着けません。だから回復とは「乾いたぞうきんをさらに絞って水を出す」というものじゃなくて、「バケツ満杯の水を耳かきで掻き出す」というようなものであろうと思っています。
いつまで経っても性格的欠点はなくならないし、減ったようにも見えないし、かといって掻き出すのをサボっているといつの間にか増えているし・・・。でもまあ、悪い方にしか進まなかった人間が、現状維持できるだけでも変化だし、良い方に変わっていることがあれば、それこそ恵みであります。

日本のAAで「俺は回復しているぜ」なんて言うと、(ああいう事を言っている間は回復していない証拠だ)などと陰口を叩かれかねない部分があります。いつまで経っても回復しないと嘆く自己憐憫が謙虚さであるかのような勘違いがあり、自尊心を回復した人間の足を引っ張る横並び意識があるような気がしてなりません。
完璧な聖人にはなれないと書かれていて、毎回それを読んでいるのに、人にも自分にも聖人であることを求めてしまうのが日本人気質なのか、日本のAA気質なのか。

ビッグブックには回復すればお金持ちになれるとも、素晴らしいパートナーと結婚できるとも書いてなくて、ただ世界が自分の理想とかけ離れていても生きていけることが担保されているだけだと思うのであります。そういう自分もミーティングに行けば「いつまで経っても回復しない」と嘆くことは忘れないのでありますが。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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