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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月07日(水) ルール まああれだ、AAに熱心な人はたいてい「AAは規律によって正しく保たれねばならない」という理想を持つ時期があるのは、仕方のないことだと思いますよ。
人間の集団を維持していくためには、なにかルールを決める必要があるというのは、僕らが小学生の頃から学んできた経験則ですから、使い慣れたナイフを使いたくなるのが人間であります。
が、AAが規律によって維持されている団体だと思ってしまうのは、経験不足を露呈しているわけでしょう。
個人はおおよそ「12のステップ」に従っていかないと飲んでしまう。(どんな大きさであれ)グループはおおよそ「12の伝統」に従っていかないと壊れてしまう。でもステップも伝統も「鉄の規律」ではないから、そこから一歩でもはずれたら破滅が待っているというわけでもないのです。ステップから一歩でもはずれたら破滅だなんて言うなら、僕なんかとっくに破滅ですよ。
大切なのは、ステップや伝統に従っていきたいかどうか、それは僕らの気持ち次第なのです。伝統もviolation(違反)じゃなくて、break(破り)と言われるのです。
ブルーカードというのがあるでしょう、オープンミーティングはどうこう、クローズドはどうこうと書いてあるやつです。ああいうカードがあると、書いてあるとおりにやらないといけないと思ってしまうわけですな。
が、あのカードを使うも使わないも、それはまったく「グループの自由」です。ほかのアディクションの人間がミーティングに混じっていたって、それでかまわないとそのグループが決めたなら、評議会であろうが、理事会であろうが、ニューヨークのGSOだろうが、その決めごとをひっくり返すことはできないのです。
そういう統治機構はAAには存在しないのです。
「あんなのAAじゃないよ」と言う人間のほうが、言われる方より病気が深いのです。より深くコントロールしたがるのが僕らの病気ですからね。私流のAAに「伝統」というハクをつけて押しつけたがるわけです。
AAは、AAをこの先も維持していきたいという願いが維持させているんですよ。ルールじゃないんですよ。口角泡を飛ばして議論している人たちも、いずれ分かるはずです。そして自分の了見が狭かったことを恥じるわけです。経験者が言っているんだから間違いありません。
原理原則は曲げない。でも現実への適用はアダプティブに。長くやっている人を見ればわかるでしょう。
まあ、議論は悪いことではないですよ。少なくとも関心を持っていますから。いちばん悪いのは無関心ですからね。
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