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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年06月03日(土) コーヒー 自分の話ではなく、AAスポンサーの話を書くのはプライバシーの点から問題があるかな。まあ、もう時効にしてもらいましょう。
まだ僕がスポンサーと一緒にAAミーティングをやっていた頃でした。
アルコホーリクの奥さんだという人がミーティングにやって来ました。まだ長野にアラノンのない頃でした。医者からの紹介だったのか、保健所からの紹介だったのか、まあ珍しいことでした。
僕らはクローズドミーティングを急遽オープンに切り替えて(といっても、メンバーは3人しかいなかったので、それは暗黙の了解でしたが)、「かつてどのようであり、何が起きて、いまどうであるか」なるべくシンプルに話すことにしました。
ひとしきり分かち合いがあったあとで、話は雑談に切り替わっていました。
本人を連れてくるなら、できるだけ酒を切ってきて欲しいという話をしましたが、それはどうも望み薄でした。自力で酒が切れないのなら、やはり入院してもらうしかないのではないか。入院するんだったら、あの病院に3ヶ月くらい。自分も入院したことはあって、入院費は社保でこれぐらい・・・などという話をしました。
「お子さんはいるのですか?」という質問に対する答えは、小学校低学年の子供がいるという話でした。
ともかく奥さんだけでもここに通って、この病気がどんなものか知ってみたらどうでしょうか。というような締めくくりで、ミーティングは散会になりました。
スポンサーは自分で飲もうと思って持ってきた缶コーヒーを手にしていました。まだ口を開けていませんでした。そしてそれを、「これをお子さんにあげてください」とご婦人(奥さん)に手渡そうとしました。なにぶんにも田舎のことで、何かを手渡すことで好意を示すのは、ある意味当然のことでもありました。
が、ご婦人は困って僕のほうを見ました。
「○○○さん、子供は缶コーヒーを飲みませんよ」
そう言ったのですが、それでもコーヒーを渡そうとしています。一度おみやげに渡そうと決めたものは、相手が固辞しても簡単に諦めてはいけないのであります。
「小学生はコーヒーを飲みませんよ」
やっとその言葉が通じて、スポンサーも「あ、そうなのか、残念だな」とコーヒーを引っ込めました。
話はこれで終わりであります。
スポンサーにも子供はいるのであります。が、残念なことに一緒に暮らすことはできずにいるのでした。もし一緒に暮らせていたら、小学生が缶コーヒーを飲まないことを知らないわけはないでしょう。が、病気によって人生が大きく狂ってしまった・・それで当然知っているべきことを知らないできたのでしょう。
そうした経験と知識の欠落は、ふつうの社会だったらくすくす笑われる対象になるのかもしれません。が、僕らは(くすくす笑わないと言ったら嘘になるけど)、そうした欠落を笑いものにはせず、「うん、わかるわかる」と受け止めるのであります。
なぜなら、僕らの人生も病気によって多かれ少なかれ狂ってしまったのであり、その過程で当然積んでいるべき経験や、当然学んでいるべき知識を、身につけずにこの年になってしまったのだからです。
ミーティングで話すことだけじゃなくて、こうした前後の交流が、「経験と力と希望」を分かち合いにもなっていたと、今では思っています。
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