心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年05月31日(水) 我慢比べ?

最初のころ、グループに人が集まらなくて、ミーティングが開けるか、開けてもちゃんと分かち合いに入れるかどうか微妙な状態が続いていたときは、心細いので「誰でもいいからウェルカム」という気分でありました。

たまたまミーティングをやっていた部屋の隣で「日本語教室」をやっていました。先生役は地元のカトリック教会の神父さんだと聞いていました。生徒は東南アジアや中南米の人が多かったのですが、もちろん中国の人もアメリカの人も東欧の人もいました。
そういう人が時々AAの会場の部屋に迷い込んできました。コーカソイド(白人)の夫妻が自信満々(という雰囲気)で入ってきたりすると、「すわ、こりゃ本場からメンバーが来たか」と思うのですが、すべて勘違いでありました。
外人でもいいから来てくれよ、という感じであります。

ところがしばらくして、メンバーが増えてくると、心に微妙(?)な変化が訪れます。
つまり、メンバーの中には僕とそりが合わない人も現れるわけです。まあ、しらふでは人と一緒に仲良くやっていくことができないのがアル中であり、そんな人たちが無理やりにでも顔をつき合わせて、ごりごり自我を削るのが自助グループでありましょう。
話がそれました。

まあ、「そりが合わない」というのはお上品な表現で、心の奥底では「気にくわねーヤツ、AAから出て行ってくれねーかな。それとも飲まねーかな」と思っているのが本当であります。
そうは言ってもたたき出すわけには行きません。そんなことをすれば自分のほうがたたき出される羽目になるでしょうし、酒の海に浮かんでいる救命ボートを揉め事でひっくり返すのは狂気の沙汰であります。しかたないので我慢するしかありません。

そのうち気に入らない相手が来なくなってしまうと、内心「勝った」とか思ったりなんかしまして。AAは来なくなった人をしつこく追い回したりしてはいけない、と教えられているの幸いに、「来なくなるのは本人の選択だものね」で記憶の片隅に片付けてしまうわけです。

ところが、すごい気に入らないと思っていた相手への評価が3年もたつとすっかり変わっている自分に気がつくことがあります。「くそ生意気だったくせに、いつの間にか信頼して任せられるやつになりやがって」と思うのであります。

優等生的にAAに取り組んでいる人であっても、義務的にAAに顔を出しているだけの人でも、どっちにしろ3年続くという人は少ないのであります。僕が誰かを好ましいと思っても、逆に好ましくないと思っても、どちらでも去っていく人は去っていきます。生き残った相手は、「信じて委ねて」を行動で示したからこそ、残ったのでありましょう。

最近では「気に入らない」と思う人に会うことは少なくなった(ゼロになったわけではない)のですが、そういうときには

「よし、こいつより先にAAから去ってたまるか」

と思うようにしています。
それは、正しい動機ではないのかもしれませんが、自分が長くAAにかかわっていける方向ですし、もし相手も長く居残ってくれるならば、何年か後には信頼を寄せる仲間がまた増えるはずであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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