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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年05月16日(火) 携帯電話 僕が最後に精神病院に入院していた4月。僕の住む街でPHSのサービスが始まりました。
当時は個人で携帯電話を持つなんて完全に贅沢でした。
同僚で営業をやっていた人が(趣味で)ドコモの携帯を持っていたぐらいでした。201とかいう時代です。
そのうちに、技術職の同僚も携帯を買ったのですが、基本料金節約のために「ドニーチョ」という料金プランを選びました。土日は24時間使えるけれど、平日は夜7時〜朝8時までしか使えないプランです。土日と夜だけだからドニーチョ。
いざ彼に連絡を取ろうと思っても、夕方7時になるまで待たないといけません。使えねー。
秋になると僕の通っていたふたつのAAミーティング会場はPHSのサービスエリアになりました。そこでPHSを買わせてもらいました。月々2,700円だったら払えるからです。
その後2年半ぐらいの間に、3回ぐらい番号を変えました。機種変更するよりも、当時投げ売りだったPHSを新規契約した方が安かったからです。そのたびに、番号を書いた名刺カードを配りました。すると「また女(のトラブル)か」と仲間にからかわれたのでありました。当時女性トラブルから電話番号を変えた仲間が複数いたので、なかなかシャレにならない冗談でありました。
最初はPHSでメールなんて女子高生みたいなことやってられるかよ、やっぱメールはインターネットだぜ、と気取っていたのですが、そのうちPHSでメールにはまりました。いや、メールにはまったのではなく、メールでつながっている相手にはまったわけですが、それは別の話。
当時のPHSのメールは一通10円でカタカナ20文字でした。一通じゃ足りないから何通も送るので、一ヶ月のメール代金だけで4桁になりました。
(これはやっていられない)と思って、節約の方法を考えました。やっと携帯電話の通話料も我慢できるぐらいに値下がりしてきてました。IDO(現au)のメールは一通5円で100文字。さっそく契約してPHSとはお別れしました。が、今度はメールを送る相手がいなくなってしまいました。得てしてそういうものかも知れません。
1年後、新しい携帯電話を買って、古いのを解約しました。cdmaOneを使ってみたかったのです。その後は機種変更だけで、番号は変えていません。まあ、プリペイド携帯を買ったり、PHSをまた契約したりといろいろしていますが、メインの携帯は変わらずです。
ソフトバンクに買収されたvodafoneのあたしいブランド名が決まったそうです。その名も「Softbank」。
秋にはナンバーポータビリティ(携帯電話会社を移っても番号が変わらない)が始まります。
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