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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年04月28日(金) 空と君のあいだに(その5) 眠れなくて、彼女のいたグループのメンバーに電話をしました。彼は少しは詳しいことを知っていました。
原因は処方薬の飲み過ぎ。自殺するような原因は家族に思い当たらないので、事故ではないかということ。死に顔は安らかだったそうで、お母さんが「あの子は十分苦しんできました。もうこれ以上苦しむこともないのでしょう」と言っていたこと。
それぐらいを教えてもらいました。
「僕の責任です」
電話の向こうで、そのメンバーは自分を責めていました。
そんなことはないはずだ。そんなことはあり得ない。でも、僕はその理由を聞くのをためらいました。そうだあんたが悪い。僕が悪いんじゃない。僕のせいじゃない。だから、あんたが悪くないかも知れない理由は聞きたくない。僕は電話を切りました。
10年経ったら、その人がなぜ自分が悪いと思っているか聞いてみよう。そんなことを考えました。
春が来ても、彼女はミーティング場には現れません。
そうしてようやく、彼女がこの世の中からいなくなってしまったことを実感しました。
(なんで死んじゃうんだ。生きていて良かったって言ったばかりじゃないか)
君のくれたものは一生忘れない。君のことも一生忘れない。時々はミーティングでも話す。そう自分に誓いました。僕が君を忘れなければ、君は本当にはいなくならない。だから線香を上げに行く理由はないはずだ。
自分した約束どおり、僕は彼女のことをたまにミーティングで話しました。でも、次第にその間隔が延びていって・・・、いつしか彼女がいたことすら忘れてしまいました。
電話の向こうのメンバーは、事情があって長野を去りました。
10年は経っていませんでしたが、9年後、長野で開かれたオープン・スピーカーズ・ミーティングの壇上で彼が話をしてくれました。その中には、彼女にまつわる話もありました。
思い出しました。
彼女のことを。10年後に聞こうと思ったことも。
逆に言えば、それまですっかり彼女のことは忘れて暮らしていたのです。
彼女がやってくるのが、あと何年か遅かったら、結果は違っていたのかも知れない。考えても仕方ないと思いながらも、そんなことを思います。
生きていて欲しかった。
僕のことは嫌いになってくれても何でも構わないから、生きていて欲しかった。
だって、死んでしまった人間のことは、どうしても忘れて生きていってしまうから、だから生きていて欲しかった。
それだけです。
翌年のスキーの集いには、子供をジジババに預けて、妻と一緒に出かけていきました。
妻は、「こんなに楽しいのは生まれて初めて」とも「生きていて良かった」とも言いませんでした。
それ以来、スキーの集いには行っていません。
なぜ行かないのかすら、忘れていたのですから。
(この項おわり)
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