心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2006年04月25日(火) 空と君のあいだに(その2)

僕は彼女がやってくる会場に行くのが楽しくなりました。彼女がやってくればその晩はとても楽しいのでありました。やってこなくて空振りに終った晩は、次はきっと来るよと自分を元気づけていました。

不安定だった彼女のソーバーも、ミーティングを重ねるごとに安定していきました。それが自分のことのようにうれしかったです。

「毎晩ミーティングに通う日が続いていて、昔の自分にはこんな生活考えられないことだし、友達にも打ち明けられないんです。でも何か新しい自分が始まっている気がして」

そんな彼女の話に「うんうん、よかったよかった」とうなずいたりしていました。
実のところ彼女のAAの関わりには少々ムラがあって、毎日ミーティングに熱心に通う日々が続いたかと思うと、みんなが心配になるぐらい顔を見せないときもありました。

やがて冬がやってきました。雪が降るようになると、峠を越えてミーティングに通う人は減ってしまいます。今より確かに道は悪かったのです。「酒を飲んで(スリップして)死ぬヤツはいても、ミーティングの行き帰りでスリップ事故を起こして死ぬヤツはいない。神様が守ってくれる」。そんなことを言いましたが、現実には冬場には交流が減り、暖かい時期に増えたメンバーも減るのでした。そういう僕も、AAのビジネスミーティングでしか峠を越えませんでした。
最後に彼女の顔を見たのはいつだったっけ、はたして元気でいるだろうか、そんなことを思うぐらい顔を合わせませんでした。

僕の妻が第一子を出産し、なにかとあわただしくお正月が過ぎていきました。

どういう理由で始まったのか忘れたのですが、AAメンバーで集まってスキーをやろうという話になっていました。僕はといえば、妻と交際を始めてスキー場に初めて連れて行ってもらい、ゲレンデの上からどんと背中を押されてスキーを覚えて2シーズン目でした。初心者だけれども、どんどんスキーがやりたくてしかたない時期でした。菅平高原で一泊二日と決まり、チラシを作って仲間が広報しました。
スキーのできる、スキーのやりたいAAメンバーは限られているし、新潟でも金沢でもスキーの企画はやっていましたから、それほど大きなイベントにはなりませんでしたが、二十数人集まったでしょうか。

初めての子供が生まれたばかりだったし、低体重児だったし、心配事はつきなかったですが、そんな事情はみんな振り切って僕は出かけていきました。お金はもう払っちゃってあるんだから、行かなければ損だという理屈であります。実のところ、久しぶりに彼女の顔を見られるのが楽しみで楽しみで、参加を取りやめるなんて考えもしませんでした。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加