ヒビワレ。
 
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2005年04月12日(火)  母 よ
この間ですね、ゴスロリシリーズのモモちゃんをゲトーしたですよ。

え?「コモモじゃないの?」って?

そうなんですよ。コモモ取れなかったんですよ。
絶対取ってやるぜー的な意気込みでゲーセンで格闘してたんですけど、なにせこんな贅沢な作りをしているせいなのか、「そうカンタンには渡さないぜ!」的な企画製作元の気持ちさえ感じられるくらい、ゲーセンの機械のアームがめちゃくちゃ緩い設定になっておりましてですね。これ、どういうことかというと、つかめないのはもちろん、押しても滑るしひっかかっても滑るしで、もう箸にも棒にもかからない状態なわけです。
しかしわたくしにもコモモゲッターのプライドがありますから、もう小金注ぎ込んで延々挑戦し続けていたんですけどね。自分でもうすうす感づいていたんですけど、もうこれ絶対ムリなわけですよ。
で、そんな私からヘンなオーラでも出ていたのか、近くに居たお兄さんがそんな私の一部始終を見ていたようで、「この設定ヒドイですよねー」みたいな感じで話したりしてまして。
んで、もう●000円くらい使って、いいかげんあきらめようかしら…でも次のチャレンジで来るかもしれないし、とパチンコ屋のおっさんみたいなことを考えていたところ、件のお兄さんが「1回俺にやらせてくれる?」と。どーぞどーぞと台を明渡したところ、「取れたらあげますよ」とな。まあその時点ではお兄さんもムリだと思ってたと予想されるんですが、

取れちゃったんですよ。

ただし取れたのは↑のモモちゃんだったんですけど。
しかもこれ、穴の近くに置いてあったものではなく、内壁にかざってあったモモちゃんでして、アームがぶつかって、ディスプレイからはずれて穴の中に転がり落ちてきたという。まさに棚からボタもち。
お兄さんは快く公言通り「あげますよ〜」とおっしゃってくださり、まさか「集めてるのはコモモなんです!」とも言えず(爆)、お兄さんのありがたいお申し出を受け、遠慮するお兄さんにムリヤリ渡した缶コーヒーと引き換えにモモちゃんは我が家の子になったのでありました。
(てかこれ1回200円なんで、缶コーヒーのほうが安いんだよね…
 お兄さん、申し訳ない)


で、家に連れて帰ってきたわけなのですが、モモちゃんをうちのお母様に見せたところ、

母「あら、モモちゃんパンツはいてないじゃないの」
る「あ、ほんとだ」
母「なんかパンツはかせてあげないと」
る「こんなドレスだからフリフリのスコートのとかがいいねえ」
母「違うわよ、Tバックよ」
る「えぇ?!何言ってんの、服と全然違うじゃん!」
母「そこがいいんじゃないの、パンツは色っぽくて」


母よ… orz


2005年04月11日(月)  ワイルドゼロ
私の友人であるウーハンさんが、先日某所にてギターウルフのビリー氏を追悼する文章を書かれたのですが、私はとてもその文章にギターウルフへの思いを感じ、響くものがあったので、ひとりでも多くの人の目に触れ、読んでもらえればと思い、ウーハンさんの了解を得てここに全文掲載させて頂きたいと思います。
ウーハンさん、突然の申し出にも快く了解してくれて、ありがとう。


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ギターウルフのベーシスト。ベースウルフことビリーが3/31に心不全で亡くなった。38歳だった。

1番最初に見たのはエレカシと出たファクトリーのライブ(今調べたら99年7月21日だ)だったか。エレカシは1番最初でギターウルフはトリだった。雨が降ったり風が吹いたりの最悪な天候の中観たギターウルフ。それまでアルバムでしか聴けなかったので一気に持っていかれた。そして1番最後に見たのは1年半くらい前のクアトロ。DMBQなどとのタイバンでのトリがギターウルフだった。最前列でDMBQを観て。ぐったりして後ろに下がって。でもギターウルフが始まったのが遅かったので客も減り。もともと客の入りがあまりなかったこともあり。モッシュのちっちゃいこと。フロアの後ろなんて全然いなかった。例の柱くらいまであるかないかのモッシュでみんなおしくらまんじゅうのぶつかり稽古みたいなライブだった。客の入りに関係なく。ギターウルフはギターウルフであった。が。なんだかオトナシウルフに感じてしまったことと。私が激烈にギターウルフにはまっていた頃の客層が変わってしまったこともあり。それから少し離れてしまった。ただダイブしたいだけ・暴れたいだけのバカガキばかりになってしまったように思ったのだ。少し前なら。バカガキも腐るほどいたが。それでも。ギターウルフのライブをそれぞれが好きなように楽しんでいるファンはもっと沢山いて。それが心地良かったのだ。じっと聴いている奴。踊り狂う奴。一緒に歌う奴。フルボトルのワイン片手に酔っ払う奴。殴り合う奴。寝てる奴。様々だった。オレは「ギターウルフは寅さんである。」と。昔ゴミに書いた。「仁義なき戦い」が流れ。ウルフサインを出しながら遠吠えや共鳴ををするファンの前に3人がグラリと現れ。セイジがビヤーを一気に飲み干しその缶をフロアに投げ込むとライブが始まる。爆音のギターが耳を劈き。「あとはジェットでゴーゴーゴー!」なのだ。毎回同じ。全部同じ曲に聴こえると言う人がいるだろう。しかし。そういう人々は本当にギターウルフのライブに行ったことがあるんだろうか。ライブじゃないと体感できない音がギターウルフにはある。逆にアルバムじゃ絶対伝わらない音だ。爆音でジェットでスペーシーで馬鹿で激烈で真っ当なロックンロールである。ギターウルフのライブに行くのは殆ど一人だった。一人で行ってロッカーに荷物を入れようとしてると全然知らない人が「一緒に入れようよ!」とお金を入れてくれ「鍵は持ってて!終わったらここで!」とモッシュに走っていくファンもいた。あまりにも盛り上がったライブでは「いやー!よかったねー!」と全然知らない人が酒を奢ってくれたこともあった。ポスターを買おうとしたら販促用のポスターしか残ってなかったらいきなりそれを剥がして「金はいらねえ。持ってきな!」と差し出すスタッフがいた。ピンクの皮のアルバム「ロックンロールエアチケット R.R.E.T」を「買えー!」と叫びながら追っかけてくるスタッフがいた。「アイラビューオゲー!」とアンコールで独り出てきたセイジが歌詞を忘れて隣で一緒に歌うローディがいた。いつかのライブ会場でビリーはファンとビヤーを浴びるほど飲んで喋っていていて。「ダァーハッハッハッハ」と酔っ払っており。えらく上機嫌だった。「おっしゃ!これからライブ行ってくるぜー!」と見送られているのを観た。ライブ中。セイジが客にダイブするとビリーの前はいつもがら空きになるので。いつもそこに入り込んでビリーを眺めるのも好きだった。セイジが揉みくちゃにされ。ファンを一人ステージに上げピックを大事そうに渡す。そして無茶苦茶なギターを弾かせる。その間もビリーとトオルはリズムをイキに刻んでいく。あの感覚。あのライブでの感覚はギターウルフにしかない。何も考えないでただ音に塗れることの喜び。ライブの楽しみ方の根本。それしかない。この心地良さ。ビリーは皮パンの後ろのポッケから櫛を取り出し。ガムをクチャクチャ噛みながらリーゼントを直す。これが激烈にカッコ良く。ヘヤースタイルがビシッと決まるとまた激烈ベースを弾くのだった。時折。腰をぐいーっと押しながら。痛そうに顔を歪めることもあった。でも。またニタと笑いながら。シブいベースを奏でるのであった。セットリストをじーっと観ながらベースを奏でるビリーも好きだった。「アイノットテール!」と「ワイルドゼロ」歌うビリー。「サティスファクション」をめんどくさそうに歌うビリー。「サマタイムブルース」を歌うビリー。口角を斜めに上げ。何とも言えないあの顔でベースを弾くビリー。

最近。ライブに行かなくなり。今年はソロは行こうと思っていた矢先だった。どうしようか迷ったが。結局なにか引っ掛かりがあり。弔問に行った。バタバタ慌てながら臨海斎場に着いたのは夜8時に近かった。ポツポツとファンが集まっていた。いつものギターウルフのライブでは考えられないような静かな集まりだった。会場は本当に静かでそして沢山の人たちの愛が溢れていた。観たことのあるスタッフが沢山いた。みんな「分身」と書かれた半被を着ていた。焼香をするため。中に入った。爆音ではなかったがギターウルフの曲が流れていた。ビリーの写真はオフィシャルのHPにも載っているボトル片手にポーズを決めるいつものビリーであった。片側には何枚も写真が飾られていた。ベースもあった。会場の隅の椅子にセイジとトオルだけが座っており。ビリーの遺影を2人でぼんやりと眺めていた。その時は私だけしかおらず。焼香が済んでもビリーに何か言おうと立ち竦んでしまった。でも言葉がまとまらない。結局「先にそちらで待っててください。行ったらライブ行きます」とココロで思ったように思う。済ませた後セイジとトオルにペコと頭を下げた。2人に何か言いたかった。でも何も言えなかった。「どもね」とセイジが言った。「サンキュー!」とトオルが言った。この言葉を聴いた時「嗚呼!大丈夫だ!きっとこの2人はギターウルフを止めないな」と勝手に思った。それを聴いた時。胸がぐーっと熱くなり。急にビリーの死がリアルに響き。あんだけ理解できなかったのにすんなり納得したように思う。会場を出る時。もう一度振り返った。ビリーはいつものようにあのスマイルを浮かべていた。「ビリー!オレもう行くよ!またあとで!」とココロの中でビリーに叫んだ。ビリーも「オウ!あとでな!」と言ってくれた。帰りがけにビリーのサイン入りの封筒を渡された。駅までの道で中を観ると3枚のビリーの写真のポストカードが入っていた。例の写真もあり。それを観ながら「はははビリーお茶目さんだなあ」なんて笑いながら呟いてしまった。大きな橋を渡った。遠くに東京のビルの光が左右に大きく揺らいだ。

ビリーのためにどうしても飲みたくなり。途中下車して酒を煽った。死に様こそが生き様。まさしくビリーはすごい生き様だった。ビリーまたあとで。

 


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