ヒビワレ。
 
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2004年10月24日(日)  クライマックスはまだだよ 海へたどり着くまでは
■いやはや怒涛の週末でした… すごい日記の書き甲斐ある感じの。

■本来、この週末は待ちに待ったモーサム遠征で、
土曜日:仙台、一旦家に帰って、日曜:新潟、というスケジュールでした。
仙台では牛タン、ああでも塩釜のあなご丼も捨てがたい、
でも新潟ではお寿司だし〜といそいそとお店を調べたり。
土日きっぷを使うので途中下車も可能、
じゃあ新潟限定お米どーもくんを探しに、あるという噂の越後湯沢で途中下車して、
しかもなんか紅葉もきれいだという話だわ!ちょっとお散歩してから新潟へ、でもいいわね。
なんて考えていたのでした。


■さて土曜日、新幹線での旅のため、のんびり家を出発。
夏に18きっぷを使った時は6時間とかかかったけど、
新幹線だと1時間半もかからないよ〜早いな〜って感じであっという間に仙台着。
マサムネ像前で先に着いていたCタソと合流、
駅構内にある牛タン屋「利久」へ。
夏のエゾの時、フェリーに乗る前に寄ったお店なんだけど、
駅の中のせいか昼の中休みが無いし、
しかも夏に行った時他の人が食べてたタンシチューがすごく美味しそうだったので
2ヶ月のインターバルでまた来店(笑)
もちろんシチューを!と思ったのですが、メニューに
「チーズ入りのクリームタンシチュー」というのがあり、そちらに決定。
Cタソはタンシチューを頼み、待つこと暫し。
しかし、この選択は失敗だったのだ…

■いえ、シテューはんまかったのですよ。テールスープもやっぱり最高だし。
(テールスープを飲むとRちゃんを思い出しました・笑)
何が失敗だったかというと、
私とCタソが案内された席はカウンター席、
目の前で牛タンが網の上でジュウジュウ焼かれているのです。
見てるうちに食べたくなり「焼きタンにすればよかった… _| ̄|○」と激しく後悔。
ていうか!1枚でいいからくれ!と言いたい気分に。
Cタソも全く同じことを考えていたらしく、
カウンターと焼き網の間を仕切る、油避け・熱避けと思われる透明の板が無ければ
きっと思わず手が伸びてしまったに違いない、という結論に(爆)
次は焼きタンにします(固い決意)

■で、まだ時間がかなり余ってたのですがひとまず会場のMACANAに行っておくかと街中へ。
一番街をフラフラ歩くとまあ誘惑が多くて、
MACANA発見後はパトロールと称してフォーラスへ。
SWIMMERの雑貨にほえまくり、(水玉の長靴は本気で欲しい)
そして立ち寄ったアースミュージック&エコロジーで
ジャケット買ってしまいました!
だって安くてかわいくて軽くて暖かくてサイズ合ってたんだもん!!(←最後特に重要)
さらにはノベルティーでルームウエアのスェット上下も頂き、
特大の紙袋にどっさり。
とても遠征に来てる&これからライブを見る人のいでたちではない(苦笑)
かわいくていい人だった販売のおねえさんに別れを告げてお店を後にする。
しかしなんで遠征に行くと私は服を買ってしまうのでしょう…

■そしてまだ時間はあったのでMACANA近くのカフェ「カフェ食堂SORA」でお茶。
この時でした、あの地震があったのが。
地下にいたのに、結構な横揺れ。お店の照明が揺れてた。
以前宮城県沖で大きな地震あったよなあ…こわいなあ、と不安がよぎり。
まあ、その後あったらしい地震の揺れは気付かなかったのですが。

■そしてMACANAに行き…のつもりがなぜかCタソがゲーセンでリラックマを取ってみたり
またもやアースミュージックに舞い戻ってみたり(笑)、
満喫しすぎてますます何をしにきたのかわからなくなったわ〜とか言いながら
開場15分くらい後にようやくMACANAへ。
2、3日前にチケを買ったので、ゆったり後ろで見ることに。

■ライブの感想はモサムBBSにのちほど。
ひとこと書くなら、まさかの予想外のあの曲を!!
仙台に行った甲斐あった!!!!!!!!!
ちなみに、仙台のお客さん評は「暴れんぼう」と「またーり」で意見が分かれるのだが
後ろから見て納得、暴れ度がすごいのは前のほう一部のみでした。
後ろはかなりゆったりな感じ。非常に見やすかったです。

■で、ここからが長かったのだ…

■仙台から東京方面の最終新幹線は21:39というものだったのですが、
ライブが終わったのが20:45くらいで考えていたより早かったので
その前の21:24の「はやて」に乗れる!と考え、
「はやて」なら大宮まで一気だし、うまくいけば23時半には家につくわ、
と、Cタソ(と、まだライブハウス内に居た皆様に心の中で)に別れを告げ、仙台駅へ。
みどりの窓口で指定席の発券をしてもらい、いざ駅ホームへ向かおうとした時。

■後から考えたらここでなんか様子がおかしかったんだよなー。
みどりの窓口のお姉さんは何も言ってなかったのですが、
駅の改札前に不自然に人がたくさんたまってたのだ。
お出迎えにしては雰囲気が違ったし、なんだろ?とは思っていたのですが、
さほど気にせず改札を通過し、ホームへ。
そこで響き渡る構内アナウンス。

「21:24発予定のはやて・こまち30号は、秋田新幹線の車両故障により30分遅れて一関駅を出発しております…」

え ?

30分遅れ?えー!!
じゃあ皆さんにゆっくり挨拶して帰るくらいの時間はあったなあ…
急がなければよかったよ〜。
(しかしここで早めについてはやての指定を取っておいて大正解だったのだ)
まあ、おなかもすいたし、何かお弁当でも買っておこう〜。と売店へ。
自分内駅弁ランキングでかなり上位の「牛タン弁当」を購入(笑)、
その直後に、地下に居た間に受信できていなかったメールが次々と届き出したのですが、
その中に、信州に旅行中の母親(&父)からのメールが。
また酔っ払ってなんかメールでも書いたのかしら、と思い開封すると

「地震震度5母そっとう!」(原文のまま)

えええええ?!

なにそれ!さっきの地震?? てか震源どこなの? そんな大きい地震だったの?!
慌てふためいていると今度はうちのモサムサイトのフリー掲示板の書き込みお知らせメールが。
(掲示板に書き込みがあると携帯に通知があるような設定になっているのです)
そこには常連のジーナさんからの書き込みで、新潟に地震があって、
TVがみんな特番を組んでるということが書いてあり。
って、一斉に特番ってそれ結構な地震なんじゃ!?
ひとまず親に電話をするも、「地震のためつながりにくくなっております」のガイダンス。ええ!!
なななななにそれ!?と慌てふためく私。
そして、まだ会場にいるモサムファンの友人にもその辺り在住の人が何人かいたため
Cタソに連絡をすると、皆知ったばかりとのことで、でも外に居るため情報が入らず…とのこと。
そしてその後にまた何度か親の携帯に電話をしても電話が全然つながらない。
私も携帯だけじゃ詳しいことがなにもわからない。
でもホームに居ても、新幹線の遅れについてアナウンスしているだけで全くわからず。
東北新幹線の遅れと地震が関連がないのはわかった、
でも親に連絡つかないし、新幹線にも果たして乗れるのか、
乗っても家に帰れるのかよくわからん〜!
うわー俺はどうしたらいいんですかーーーー!

■と、慌てて軽くパニックになったので、落ちつこうと思い、
ひとまず携帯でセットリストを掲示板に送信しました(爆)

■いや、本当に慌ててて、どうしたらいいかわかんなくて、
親に連絡が取れないとわかった時点で何も出来ることない。
ならば落ちつかないと、と思ったんだけど、オロオロしちゃって、
何かやることがあれば…と、セットリストを書き込みし始めたのですよ。
自分でも何やってるんだーとは思ったけど。

■昔、54-71とモサムがツアーをやった最終日、モサムが壮絶な「echo」を最後にやって
その怖さにパニックになったYきこさんが、
ライブが終わるなりものすごい形相で駆け寄ってきて、
「姉さま、とりあえず、“ざびえる”下さい!今はこれを食べるべきだと思うんです!」
と言いながらガツガツざびえるを食い出したのを思い出しました(笑)
人間、慌てた時は落ちつくためにまったく関係のない行動を取るものなのですな。
(ざびえる…大分銘菓。直前に九州で会ったともに貰ったおみやげをこの日皆に配っていた)

■で、そのうちにメールで親には連絡がつき、
まだ余震が続いているも無事だということがわかり
ほっと一安心したところに30分遅れくらいで新幹線も到着。
一路東京方面へと向かったのでした。
新幹線に乗ったところでセットリスト送信完了、
そしてじきに携帯の電池が切れ。
あとは大宮に到着するのを待つばかり。

■そして予定より30分遅れで大宮に無事到着。
まだ埼京線もある時間だよ…良かった。
と、一安心して新幹線の改札を出たところ、
妙に多い多い駅員の数が目に入る。
ふと、電光掲示板を見ると、案内板に電車の出発時間が入っていない。

「埼京線は地震のため遅れが生じております〜…」

まじっすか!?

まあ、遅れが出てるぶんにはまだなんとかなる。乗れば帰れるのだし〜
と楽観していた自分が甘かった。

■待てど暮らせど電車は来ない。
ようやく来た電車に乗るも、動いては止まり、止まっては動き。
そのうち気付く、逆方面から来る電車が全然来ない。
ってことは、どこかで電車が詰まってるってことよね…
と思ったとたんに完全に電車がストップ。

「只今赤信号です。しばらく停止します」
「只今前に電車がつかえております。しばらくこの電車は出発する見込みがありません

えええええ?!?!(涙)




長かった…
携帯の電池も切れてるから全然外の情報も得られないし、時間もつぶせず。
結局、通常の3倍以上の時間をかけて最寄駅着。
家に着いたのは日付が変わって12:45でした。
ひとまず、最終の新幹線に乗ってたらいつ帰れてたかわかったもんじゃなかった…

■親に電話をしたほうがいいかしら、と思ったけれど、
ひとまず無事はわかったし、無事ならとっくに寝てるはずなので
(うちの両親はヘタすると22時には寝てます)
明朝連絡することにして、
仙台に残っている友人達に連絡をし。
普段ならライブ後は美味しいお酒を呑んでる頃だけれど、
さすがに皆早めに宿に引き上げてTVを見ているとのこと。
そしてAさこさんと話していたのですが、そこでAさこさんのひとこと。

『いや〜、本当にこのツアー、アドベンチャーですよ〜』
(注:アルバム及びツアータイトルが『The Stories of Adventure』なため)

青森から始まったこのツアー、序盤は台風に追いかけられ、
飛行機が飛ばない危機や、フェリーで移動したメンバーは猛烈な船酔いに見まわれたり
(考えただけで恐ろしい…)
しかも今回は大きな地震…
一日ずれたのが不幸中の幸いだったけれど、
もし地震の日が新潟でのライブだったら帰れなかったねえということに。



ってこれから鹿児島とかあるのに
桜島がコワイですよ!(泣)
浜松だってあるんですよ!!
(富士山近い)




■まああんなライブやられたら暴れたくなるのはわかるけど、
おとなしくしててくださいよ日本列島…



■翌朝目が覚めると、結局上越新幹線の復旧のめどがたたず、
越後湯沢から先に行けないため、新潟行きは泣く泣く断念。
(まあ交通手段があったとしても諦めていましたが)
そして、ようやく両親と電話が通じ。

「あ〜ようやく電話つながったよ〜」
『あら、電話全然ダメだった?』
「ダメだったよ、メールに書いたじゃん。地震のためつながらない、ってアナウンスが」
『そうだったの〜。』
「だから心配したのよー」
『あらごめんごめん〜、でもこっちは大丈夫だったのよー。ていうかね、
おかあさん気付かなかったのよね、
アハハハハ〜」




なんですと?



(電話の向こうから父の声)「震度5もあったのに全然知らねえってんだよー」
「そうなのよ、温泉入ってきて歩いてた頃なのよね、
そっとうしたってウソだからー(笑)
アハハハハ〜」




母よ… 

呑んでたな…




■おかげで?なんかグッタリ疲れて、
一瞬「行けるじゃん!」と思ったヴィンセントアトミクス@UNITに行く気力が失せました。
結局なんか体調崩して一日寝てましたよ… ガッデム。


■しかし何が悔しいっていろいろあるけど、
「お米どーもくん」探索ができなかったのが相当悔しいあるよ(涙)
土日きっぷ有効活用したかった…


2004年10月22日(金)  逆らえない重力に引きとめられて
■もう10月も後半なのですね。早い。
あと1週間とかで11月ですって。11月!早い!
あっという間にコートとか着る季節じゃないですか!
ついこの間までノースリーブ着てて夏だと思ってたのになあ…
はっ!気付けばもう次のフジロックまであと9ヶ月じゃないですか!
てことはフジロックが正月だとすると今は春ですね。
ひとつの季節がすぎたってことか… 早いのう。

■しかし秋冬物のお洋服ってつまんない。
コート未満パーカー以上なジャケットを探しに出かけたのだが
これっていうものが全然ない。
ブーツも欲しいんだけどピンとくるものがない。
春夏ものはあんなに欲しいのがたくさんあってわくわくするのになあ。
基本的にカワイイもの好きなので、
春夏に使われるモチーフのほうが好みのものが多いのだ。
結局何も買わずに帰宅。
まあむだづかいなどできない身なのでこれでよいのか。

■昨日仕事の帰り際、同僚のSくんがクレーム客につかまっていたので
どうなったのか今日改めて聞いたら、
Sくんは“待ってました!聞いてくださいよ!(涙)”とばかりに語りだし。
というのもそのお客さんは相当なつわもので、
うちのセンターに電話をしてきたのがなんと14時だというのだ。
私が帰った時が18時
4時間かよ… と唖然としていたら、Sくん曰く
「自分が帰ったのは20時でした。」
へ?!6時間かよ!?
「いや、あくまでも俺が帰ったのが20時で。
 Sさん(←上司)が代わってくれて、最後まで見届けてないんで」
じゃあもっと遅くまでやってたってことですか!
そこでSくんが対応記録を確認すると…
Sさんの対応終了時間欄には「22時」と記録されていた。

は?!
14時入電 22時終了?

8 時 間 ?!

何がすごいって、その間ずっと喋り続けていたというお客さんが一番すごい(爆)
トイレにも行かず、ごはんも食べず、
しかもそのクレームの内容ってのが実はうちと全く関係ない件らしい(猛爆)
しゃべりつづけるのもしんどいし、
受話器を持ち続けるのも結構修行だよねー。と一同感心しきり(違)

■松浦亜弥さんの「渡良瀬橋」があまりに素敵で頭の中の住人達が歌いまくってパー!ティー!な感じ。

■Bさんの日記で知ったけど、
BAND AIDがまた企画されてるんだってさ
20年前かあ… もうそんな前なのね。
私は小学6年生?でして、リアルタイムでLIVE AIDとかを見てました。
その頃我が家はTVを見ない運動が開催されていたので、
そのせいでラジオばかりを聴いていたため、
洋楽のヒットチャート番組とかを毎週欠かさずチェックしてる子供でした。
(間違いなく私の人生で一番洋楽を聞いていたのはこの頃)
で、なんかチャリティーらしいとかいうことはわかってるんだけど、
まだあの頃の小学生は英語の勉強なんてしないから、
歌詞の意味とかは全然わからないわけで。
それでもって、翌年中学校にあがって初めて英語をやるわけですよ。
そしてじきに疑問文とかを教わってそこではじめて!
「Do They Know It's Christmas?」というタイトルの意味を知ったんですねー。
Doから始まる文章を習ったその瞬間に、頭の中を流れ、はー!そーかあ!!と。
ささいなことなんだけど、勉強ってこういう瞬間に面白いって思うよね。
まあその後おかげさまで目覚めて3年間は英語がんばりましたよ。
高校生になったとたん10点台しか取れなくなったけど(100点満点で)
というわけでBAND AIDというと私は連鎖反応式に中学1年の英語を思い出します。
この次はあれか、「We are the world」のリメイクなのかしら。
ちなみにこれはタイトルを直訳してしまいしばらく悩みました。

■「毎日更新されてうれしい」とか書かれると妙に嬉しくなっちゃって
わー今日もパパ書いちゃうよ!(違)とか思ってしまう私は基本的にお調子者。

■明日はサクッと仙台行ってきます。
寿司か牛タンで悩んだが牛タンにケテーイ。
今回はシテューにしようかしら。むふ。


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