Viva! イタリア芸術 - 2011年10月15日(土) 先日から、オペラでもないのに珍しくイタリア関係のコンサートが続きました。 アントニオ・パッパーノ指揮ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団と イ・ムジチ合奏団。 後者はなんといっても、あのヴィヴァルディ「四季」で有名な合奏団。 「四季」は彼らによって世界でも最も有名な名曲になったわけです。 ちょっとピッチが甘かったり、適当感があるのだけど(適度に・・・です)、 「音楽力」とでも言うのかな、雰囲気でいつのまにか自分が持ってかれてしまいます。 前者は凄いです。 イタリアのオケ、っていうと、ファンはなんとなくドイツを中心にヨーロッパ系重視で、「オペラならともかくシンフォニー・コンサートはどうなの?」 と言われそうだけど、 このサンタ・チェチーリア管弦楽団はまじ凄い。 強靭なカンタービレの美しさとか、明るく美しい音色、 各人相当な腕利きソリスト集団という感じで 猛烈に自発的で、「オレがオレが」とどんなに自由奔放にやってもフレージングや音楽のかたちが崩れず、ものすごい手応え充分の合奏。 パリ管弦楽団とかロンドン交響楽団とほとんど同じレベルにあります。 リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」があんなに夢のように、同時にドラマティックな大がかりな曲に感じられたのは初めてでした。 考えてみると、大学時代は「イタリアもの」というと ドラマティックだけど、大げさで精神性のない、 そりゃメロディはきれいで抒情的だけど、騒々しい音楽だと 随分軽視していた気がします。 でも今はかなり・・・というかほとんど180度変わりました。 サンタ・チェチーリア管弦楽団でもイ・ムジチ合奏団でも 共通して優れているのは、 カンタービレの美しさはもちろんなのですが、 それが積み重なり連続することで生まれる、全体の造形美。 これはやっぱりああいう圧倒的な彫刻や建築を生んだ国の血が成せる業だということを痛感します。 それともう少し音楽史観を広げれば、 17世紀のバッハ、18世紀のモーツァルト以降、ベートーヴェンくらいからドイツ・オーストリアが19世紀になって音楽の勢力(?)を広げるようになる前は、なんといっても音楽はイタリアの天下で、 映画「アマデウス」を観てもわかる通り、あのモーツァルトでさえサリエリらイタリア人の壁に阻まれて、ついにウィーンの宮廷楽長にはなれなかったくらいの音楽情勢だったわけだし。 そうやってイタリア人が音楽界で尊敬を集めていたのも、故なしとしない。 J.S.バッハだって、ヴィヴァルディの協奏曲から多くを学び、 パレストリーナの対位法を学び、 イタリアやフランスの舞曲を勉強して自分の音楽を確立していった、 ということを考えると、 イタリアを軽視するなんて、まったくかつての自分の目の浅薄さに辟易します。 イタリア・・・以前にローマに限って考えてみたって、 古代ローマ帝国からずっと、ヨーロッパの中心都市であったわけですしね。 この先日から聴いた2つの音楽家たちからは、 その歴史の厚みや凄みをまざまざと感じることができました。 ... 対(つい) - 2009年11月14日(土) お久しぶりです・・・って覚えてくれている方はいるのだろうか? 忙しくて何かを書いているどころではない日々だったので すっかりほっぽりぱなしでしたが、 他の方のものは折に触れて読んでおりました。 たくさんの方々の様々な日記はいつも刺激になります。 相変わらず、仕事の合間、忙しいとは言いながら この秋も色々なコンサートを聴いていますが、 印象深いのは、 クリストファー・ホグウッド指揮のN響定期での 前半:プロコフィエフ「古典交響曲」とストラヴィンスキー「プルチネルラ」という、いわゆる「古典に帰る」をスローガンとして書かれた、近代音楽でありながら古典的な装いをもつ曲と 後半:モールァルト「フリーメーソンのための葬送曲」とハイドン「交響曲第104番・ロンドン」という、これは古典中の古典の最高傑作たち。 この「古典」をキーにしたコンセプトもさることながら、 このコンセプトを、完全に音楽の「違い」として聴かせてくれた演奏者たちは本当に素晴らしかった。 練りに練った徹底した演奏。 そう、この秋はこうした「対」・・・それはコントラストであったり、共通したものがあったり、とそんな聴き方が続いて楽しかった秋。 これは個人的な興味の「対」でしかないけど、 新音楽監督アラン・ギルバートが指揮したニューヨーク・フィル公演で演奏された、このオーケストラの委嘱新作である、 マグヌス・リンドベルイ作曲の「EXPO」と 現代最高のピアニストの一人、ピエール=ロラン・エマールがリサイタルで弾いた、ジョージ・ベンジャミン作曲の「ピアノ・フィギュアズ」。 今現在活躍している作曲家の中で、最も評価も人気も高い2人の作品が 10月に日本で初演されたのが(もちろん偶然です)、 私にはすごく面白くて、 そして2つとも素晴らしい作品だったし、この2人は全然個性が違うけど、 それでも共通しているのは、簡単に言ってすごく「鮮やか」であること。 濁りなく、もってまわった晦渋さがなく、あえて言えば「わかりやすい」。 でも内容が薄いわけでもない、という流石なものだった。 続いてブラームスのヴァイオリン協奏曲。 先ほどと同じニューヨーク・フィルの公演で 現代ヴァイオリン界名手中の名手、フランク・ペーター・ツィンマーマンと、 つい先日の、トゥガン・ソヒエフ(若手きっての有望株の待望の来日でしたが、これは疑いようのない天才を見せつけた、鮮烈な日本デビューでした)が指揮したトゥールーズ・キャピトル管弦楽団の公演で わが国が誇る名手、諏訪内晶子が 相次いで名演を披露してくれた。 トータルでいえば、なんというか、もう「これは全てブラームス以外なにものでもない安定した」圧倒的な演奏でツィンマーマンに軍配が上がるだろうけど、 諏訪内さんも、音色、技術ともに完璧といっていいくらいで、 凛とした気品をもって、世界第一級といって全然おかしくない、素晴らしい演奏だった。(感謝) そして、その諏訪内さんがソヒエフ&トゥールーズ管とのもう1公演で共演したのは、彼女得意のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。 思わぬことで招待してもらって、2日とも聴けることになってしまったのだが、 実はこのブラームスとチャイコフスキーの協奏曲、同じ年(1878年)に作曲されたって知ってました? 考えてみれば2人とも19世紀ロマン派の大作曲家だし、叙情的なものを大事にする2人だけど、ドイツとロシアって違いはもとより、 この色々な意味で対照的な、そしてヴァイオリン協奏曲の王者2つが同じ年に書かれていたとは正直驚いた。 音楽に関わるものとして知らなかったのは恥ずかしいケド・・・。 でもこれって感動的だ。 ...
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