久々です - 2007年02月14日(水) あの天然親父ネタ。 この連休に久々私ら兄弟が実家に集まり、 両親とマイハニーと大勢で夕食。 その折、親父が 「あのさ、最近すごく目立つ看板で“ビゲチョ”というのがよく見るんだけど、 あれは何だろね?」 と言う。 「ビゲチョ??何だそりゃ?聞いたことないぞ。 どこにあるの?」 「いや〜、大きめの街に行くとどこでも見るぞ」 「カタカナかい?」 「いや、横文字だ。“BIGECHO”ってでっかく書いてある。」 「おい、ちょっと待て。 それってもしやBIG ECHO?(もちろんカラオケの)」 相変わらず恐るべきボケパワー。 長年のつきあいで慣れてるハズなのに どうしてこうも毎回新鮮なんだ。 ... 美しきアンスネス - 2007年02月10日(土) ノルウェーの名ピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスのリサイタルを聴いてきました。 この、世界でも重要な存在となりつつある若手ピアニストは 結構しょっちゅう来日しているけど リサイタルは5年ぶり。 私もその5年前のリサイタル(トッパンホール)を聴きに行っているんだけど あまり多くを覚えていない。 以前から評判の人だったし、 それより遡ること数年前に、マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルの演奏会でベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」をアンスネスが弾き、 それが素晴らしかったので次の機会にはリサイタルを、と行ったわけだった。 でもそのリサイタル、感心はしたものの、 あまり心には残っていない。ナゼだったか? で、今回の来日。東京オペラシティでのリサイタル。 曲はグリーグの「ノルウェー民謡による変奏曲形式のバラード」 シューマン「4つのピアノ曲op.32」 ベートーヴェン「ピアノソナタ第32番」 ムソルグスキー「展覧会の絵」 というもの。 とにかく美しかった。 そして彼が音楽の「中」を、「底」を、 じっくり目をこらしながら音にしようとしている真摯さ、誠実さが すごく伝わってくる。 それに彼の出すピアノの音の美しさたるや、 涼やかで清々しい、極上の風鈴(?)のような。 ポリーニやキーシン、シフたちとも まったく違った種類の清潔な美しさ。 あのひんやりとした、でも心のあたたかみを感じさせる音は やっぱり北欧という場所柄を感じさせずにはおかない、という感じ。 前に行った時の記憶をうっすらと辿れば、 今回の方が音も音楽もずっと自由に、そして奥行きを確保している気がする。 グリーグにしてもシューマンにしてもそういう音で弾かれると ほのかなロマンの香りがたちのぼり、 えもいわれぬ美しさ。 また彼は微妙な和声の綾を、ドビュッシー・・・?いやちょっと違うが印象派の音楽も顔負けの、微妙でデリケートな色彩で弾くのだ。 また彼のフォルテは強くあっても、猛然としたところがあったにしても何か優しい風情を残す。人柄だろうか。 (それが若干、ある種の曲にとっては限界になるのではないか、と思ったりもするのだが) だがこう音的にも音楽としても美しく弾かれると、なんだか 「あなたの美しさの前では私の耳なぞもったいない」 と思ってしまうくらいだ。 ベートーヴェンは物足りなかった。 でもこれは自分でもはっきりわかっているが 先日ポゴレリッチで同じ曲を聴いたせいだ。 あれは切実とダイナミックと高貴な精神の交じり合った凄い演奏だった。 人間臭さと同時に厳粛さの支配する、つまりは晩年のベートーヴェンそのものだった。 (「普通」される演奏と比べれば、表面的には実に変わった演奏ではあったが・・・) アンスネスの演奏は、そこらの演奏家では実現できるはずもない高い次元のものであったけど、 私はそれを強く感じるものの、ポゴレリッチが私の中に残したものをどけてまで入ってくるまでには至らなかったのだ。仕方ない。 で、私は実は後半の「展覧会の絵」にはあまり期待をしてない、 というかアンスネスのこの感じで行くと 清潔でスマートなムソルグスキーになってしまうのではないか、 それだけでは汲みきれないムソルグスキーの不気味なくらい底知れない真実な力が 発露しにくいのではないか、彼の緻密でデリケートな美しい音楽からいけば・・・ と思っていたのだが、これは違ったかたちで裏切られた。 ああいう「展覧会の絵」があるとは思わなかった。 あの音楽がこういう新鮮な感覚で響くとは本当に思わなかった。 もっともアンスネスは何か変わったことをしようとか思っていたわけではないと思うのだが、 ひとつひとつ実に丁寧に工夫が凝らされていて(特に音色的な面で) 結果、あの見事なオーケストレーションを施したラヴェルのものとも違う、 かつてのウゴルスキのような色彩的氾濫とも違う、 もちろん土俗的なものとも違う、 かといってデジタル的精密とも違う、 ・ ・・うーむ何と言っていいかわからない・・・・ とにかく想像してみたこともない、変化に富む、透明な光にあふれた「展覧会の絵」が出現した。 そう、うっかり書き落とすところだったが、 その工夫には、楽譜に書いていない音を随所に加える、というのもあって、 オクターブ下の音、上の音を同時に響かすことから始まって 時には内声部にまったくちがった旋律が入れられたり、 あと、ところどころあの巨匠ホロヴィッツが編曲したものに近い音が加わっていたりして 最後の「キエフの大きな門」など、一瞬「やはりホロヴィッツ編か?」とも思ったが 結局は違った。 あれはそういう版があるのだろうか? それともアンスネスの独創?(多分そうだと思う) しかし実に面白かったし、感心し、心地良かった。 本当に素晴らしいピアニストだ。 感動することと、今まで知らなかった新しい世界を発見させてくれることが 両方ある時ほど嬉しいことはない。 ナマのコンサートの醍醐味。 私はかつて、ノルウェーのアンスネスとウィーンのシュテファン・ヴラダーが、 キーシンは別格としてこの世代の双璧だと思っていたけど、 随分両者には差がついてしまった。 私はもう片方にもぜひ頑張ってもらいたいのだけど。 ...
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