ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

ポゴレリッチ、再び! - 2007年01月13日(土)




異能の天才、完全復活です。


1年少し前、聴いた誰もの許容範囲を超えてしまい、
多くの戸惑いと謎を残して一大センセーションを巻き起こした
ある種拷問のようなポゴレリッチの久々のピアノ・リサイタルでしたが
(私も日記に大いなる戸惑いを書きました)


今回は素晴らしかった!本当に素晴らしかった。


昔からの如く、大いに個性的で普通じゃない変わった演奏なものの、
前回のように一体全体音楽が何処へ向かっているのかさっぱりわからない、
ということはありませんでした。


まったくもって「変わった」演奏だけど、彼独自のベートーヴェンやグラナドスやリストが絶対的な世界を形づくり、誇らかに響いていました。



今日は遅いし眠いのでここらへんまでにしますが、また書きますね。



それにしても、年末も年始も何も挨拶もしないで
出し抜けにポゴレリッチのリサイタルのことなんか書いて
本当にスミマセン。

改めまして、今年もどうぞよろしくお願いします。
相変わらずこんなラフな日記ですが。









...

優しさの「メサイア」 - 2006年12月21日(木)




今年ももうすぐ終わり。

そしてその前にクリスマス。(あたりまえだ)

今年はクリスマス・イブが日曜日、そしてその次の日曜が大晦日、
ということで何だか慌しい気がしませんか?

そしてクリスマス・イブといえば、私は恒例の聖歌隊。

今年も張り切って歌うよっ!!



もっとも今年歌う曲は去年とまったく同じ。
まあ、そこが若干物足りないのだけど、
ここ数年ほぼ同じレパートリーを歌い続けてきたせいか、
私自身含め、聖歌隊のメンバー一同、非常にハーモニーの質が向上してきている。

そういう中で歌うのは本当に気持ちいいし、歌の中の「祈り」により没頭できるのです。



ところで我々が歌う曲にヘンデルの「メサイア」のナンバーが何曲かあります。
(今年は有名な「ハレルヤ・コーラス」だけだけど)


「メサイア」といえば、
この秋、26年ぶりに、音楽ファンが一日千秋の思いで待っていた
巨匠指揮者ニコラウス・アーノンクールの来日公演がありました。
そして私は、アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏する「メサイア」を聴いてきたのでした。


なぜ今頃書くんだ?こんな大事なことを。


いや、何でかな?
単に忙しかったり、書く機を逸していただけか。
こないだようやくロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のことを書いたくらいですから。。。


でも、実はアーノンクールの「メサイア」のコンサート、
私にとってはこの秋最高・・・というよりここ数年で最大の体験でした。
(ルツェルン・フェスティバルやコンセルトヘボウ管弦楽団などを聴いたにもかかわらず)


もちろん21世紀に入ってからも色々な素晴らしい経験をコンサートでしてきましたが、こういうのは久しぶり。

20年近く前だと私なんかには、
クーベリックが指揮するチェコ・フィルのコンサートを筆頭に、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルだとか、カルロス・クライバーの2度の来日、またフィッシャー=ディースカウの歌だとか、リヒテルのピアノ・・・
そういう、尋常ではない「普通の」体験を超えた、「コンサート」という範疇も超えた
言ってしまえば「音楽」をも超えた体験を、数年に一度はできたものでした。
(う〜ん、こうしてみると日本ってすごいトコだ)


でもナカナカ最近そこまでのものは。。。
10月にアバドが指揮したルツェルン祝祭管弦楽団のマーラーがかなりそういった次元だったけども。


また話が膨らみすぎそうだ。
アーノンクールの「メサイア」。


最初のシンフォニアから、この音楽の核に一気に触れさせられた感じでしたが、
私が何といっても最初に感動させられたのは、第1部の中盤あたり、
私たちもよく歌うナンバー、「For unto us a child is born(ひとりのみどりごが私たちのために生まれる)」という合唱。

オーケストラの序奏がまず、他の「メサイア」の演奏(CDだったらガーディナーやミンコフスキの指揮など)なんかを聴いた耳にはすごく遅くて「あれ?」と思っていたら、
その後すぐ出てくる合唱のなんというやわらかくて優しい歌い出し!
それこそ赤ちゃんをそーっと、柔らかい羽毛のような毛布で包んであげるような感じ。
ひそやかな喜びが声高にではなく底流して。

そうだ、だってイエスという救い主が私たちのために生まれたんだもの、
私たちがそういう大いなるものに対して喜ぶときは
大きな声で騒いだり歓声をあげるんじゃなくて、
こうして静かに微笑みながら喜びをかみしめるものなんじゃないか。

ましてや、イエスは満室の宿屋の馬小屋で生まれ、
その顔を見て祝ったのは
マリアとヨセフ、そして数人の羊飼いと東方の三博士だけだったのだ。


自分の体の中に突然光が満ちた瞬間でした。
不意に涙がこみあげてきました。

なんという優しさと慈しみ。
これがアーノンクールとオーケストラと合唱団(アーノルト・シェーンベルク合唱団)が数十年の長きにわたって音楽と対峙してきた末に辿り着いた世界なのか。

この合唱がこういう音楽だった・・・歌詞の意味を考えてみればこの上なく当たり前のことだと、彼らの演奏を聴いた後には思えるのに、全然気付かないどころかそういう響きを想像もしていなかった。
私たちの聖歌隊も、今までこの合唱はひたすら元気に高らかに歌い上げていたし、
それは私たち下手っぴ合唱団どころか、超一流の人たちだってそうだ。

私は今まで何を見ていたのだろう。


アーノンクールに感謝です。


後になってでてくる(第2部の終わり)、「ハレルヤ・コーラス」でも同様でした。
あんな遅めで、ひそやかに始まる「ハレルヤ」は聴いたことがない。

これは主要新聞や音楽雑誌の批評でも皆さんが、異口同音に書いていました。

あの「ハレルヤ」を聴いて、クリスマスの本当の喜びというのは
世間一般で見られるこんな賑々しい、派手なお祭りではなく、
この世の真の喜びを心の中でひそやかにかみしめ祝うものだということを
アーノンクールは教えてくれたのではないか、と。
(もちろん理屈としてそうしたワケでなく)


私もまったく同感です。


大体、アーノンクールの、例えばモーツァルトのオペラなんかの今までの演奏―― とても優雅典麗から遠いナマナマしく過激で挑発的な響きのもの ―― からしたら、
本当にこの「メサイア」は驚きでした。


優しさ。。。いつくしみ。。。


この2つのナンバーだけでなく、最初から終わりまで、実際に鳴っている音以上に音楽の始める直前・直後の静けさが、この指揮者の到達した境地を強く感じさせていたと思うし、
音楽の力はこれほどまでに強い、
ということを改めて私に確信させてくれました。

大きく聴き手を包み込む、純粋な結晶のように美しい音楽。


プログラムを見ると、彼らが持ってきたのは3つのプログラムで、
このヘンデル「メサイア」のほかは
モーツァルト「ヴェスペレ」「レクイエム」と
バッハの「管弦楽組曲」ほか、のプロ。

モーツァルトの「レクイエム」も聴けるものなら聴きたかったですね。
(さすがに時間もお金もなかった・・・。)
来週あたりNHKのテレビでやるらしいので、すごく楽しみです。




...




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