ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

連日オーケストラ - 2006年06月12日(月)




先週はオーケストラ2連投。

大植英次指揮ハノーファー北ドイツ放送フィルのワーグナー・プログラムと
翌日は準・メルクル指揮N響の定期公演でシューマン・プログラム。


一昨年も確か大植/ハノーファーを聴きに行った翌日にN響定期があり、
N響って上手いんだな、って改めて思ったものでしたが
今回も同じ。
やっぱN響の方が「上手い」。


ただちょっと、ひとつの次元では比較できないな、と思ったのは
ハノーファーのオーケストラの鳴らすワーグナーの音。

やっぱりこういう地の底からわき上がる、
チェロやベース、特にティンパニの深々と大地に食い込むような音は、
ドイツのオーケストラが「身につけてる」「板についてる」もので
これは単にオケが上手い、下手だ、って話じゃないな、と実感。


大植さんは、皆さんもご存知の通り、去年ワーグナーの聖地バイロイト音楽祭に日本人で初めて出演した指揮者。
賛否両論を巻き起こして、残念ながら今年は出演できなかったけど
やっぱりそういうところで、「ワーグナー命」たちが集まるオーケストラを集中して指揮した人が演奏するワーグナーは一味違う。(決して思い込みじゃない)

そして歌手がハンパじゃない。

特にジークムントを歌った・・・
あ、やった曲は「リエンチ」序曲、ジークフリート牧歌、そして4夜かかる超大作「ニーベルングの指環」の中の2番目「ワルキューレ」の第1幕を演奏会のスタイルで。

… テノールのロバート・ディーン・スミスは凄かった。
この役では、多分現在ベスト3の一人。

ワーグナーの主役を歌うテノ−ル、ってのはまさに「選ばれし者」で
生半可なノドじゃ絶対歌えない。
ケタ外れに強い声帯を持っていないと無理。

まずそういう肉体的なハードルがあって、
私も今まで、絶叫して頑張ってるのに、ちゃんとした発声、ちゃんとした言葉にならず、
ただただ叫んでいるのみ、ってテノールに何人も出くわしてきた。

そんな中に「選ばれし」ノドを持ったワーグナー・テノール(ヘルデン(英雄)テノールと呼ばれる)が本当に数少ないが、いる。
前に書いたルネ・コロ、クリスティアン・フランツなどがそう。

スミスもその一人。
こういう声を聴けるだけで、「ああ、この声の持ち主がいた」と感激。
もっとも私はスミスを、あの例の新国立劇場の「ワルキューレ」でも同じ役で聴いているのだけど、あの時よりもっと感動した。


ただし。


父親の名を呼ぶ、中盤のクライマックス、
モノローグの中で「ヴェルゼ!ヴェルゼ!」と最強音で叫ぶ部分があるのだけど、
これを
「ヴェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ルゼ」と
15秒も20秒も長々伸ばしていてくれたのには、感動どころか、興ざめ。
「オマエ、バカ??」


それでも素晴らしい「ワルキューレ」の上演でしたが。


素晴らしい、といいながら、大植さんがバイロイトで賛否両論だったというのもわかる気がしました。

というのは、上手く言えないんだけど、やっぱりオペラを振りなれてないあたりからくるのか、
人の声の生理とオーケストラとが、絡み合いとけあって音楽がふくらんでいく、熱を帯びていくオペラ的な特性と、オーケストラの音を正確に組み上げていくシンフォニーを指揮するときの感覚の両方がうまく融合しないというか。

テンポが不自然に変わる部分、ワーグナー特有の「誰々のモティーフ」みたいのが唐突に響いたり、展開に自然さがやや欠ける感じ。
ああ、ワーグナー・オペラに関してはまだまだ第1歩、第2歩って感じ。


もっともたった1回のバイロイト体験でここまで来る指揮者だから、
きっと今度聴く時は・・・
って期待は十分だけど。







...

焦りと鏡 - 2006年06月07日(水)




うぉ〜、いよいよコンサート本番まで時間がない。
どうしよう!どうする?


…練習あるのみ。それ以外できることは何もない。


という境地に至った今日この頃。
ひたすら黙々と練習に励んでおります。

まだちゃんと音になってない部分が何箇所かあり、
止まらないで通して弾ける確立50%ほど。
そのパーセンテージ、次第に上がってはいるけど。


サマンサの一言じゃないけど、まったく「無謀」な曲を選んだもんだ。



ところで、そうしてひとつの曲と立ち向かい、
練習しているとあることに気づきます。

先日、ある程度の地点まできたと思ったので
録音してみました。
学生時代のように先生のところにレッスンに通えないから
(単に時間とお金がないだけ)
とりあえずは自分でダメ出しをしなければならないのだ。
昔から発表会前には数回、必ずやってきたことなのだけど
考えてみたら、ここ数年、それをやっていなかった。


よく皆さんも自分の声を録音で聴いてギョッとすることがあると思いますが、
それは自分のピアノを聴いても同じ。昔から、そう。


そして、今回・・・

悪くはない。あれだけ「ダメだダメだ、こんな曲は弾けない」と思いながらやってきた割には、決して悪くはない。
かなりつたない感じはするし(テンポがまだ遅すぎる)、実際音はボロボロこぼれてるし、弾けてないとこもいっぱいあるけど、音楽の感じとしてはそんなに悪いものではない。
想像していたよりはかなりマシだ。

…とこんな風に書くと「随分甘いんだな」と思われそうだけど
とりあえず自分的には正直なところ。


そう、私がいつも自分のピアノを聴いてギョッとして気持ち悪くなるのが
この「甘さ」だ。

他の人が私の演奏録音を聴いたらどう思うのか興味深いのだけど
私がいつも「客観的に」一聴して感じるのが
ここにはなんだか、人の良さ「そうな」、柔和・温和「そうな」、優し「そうな」、そして甘ったるい人間がいる、という感触。
(ちなみにマイハニーはやっぱりそう感じたようだ。)

もっと厳しさとか辛口なところや、ダイナミックな躍動はでないのか、
というフラストレーション。


ある意味、これだけ弾いている人間の感じが濃厚にでているというのもスゴイことだな、
と他人事のように思ってしまうが、
ベートーヴェンを弾いている限り、自分よりベートーヴェンの音楽が表にでていないと困るのだ。
そうじゃないと、私はなんのために必死で練習しているのやら。


学生時代から私のピアノが、特に音色が「甘美な感じ」とか言われて、
それは褒め言葉なのだろうけど、皮肉にも聞こえるな、
なんて複雑な思いでそういう言葉を受け止めてきました。

でも、やっぱり録音を聴くと、
「実際はそれほど甘ったるい人間ではない」と思いながらも
やっぱり私の根っこはこんなものなのだろうか、
と愕然としてしまうのでした。






...




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