モーツァルトへの目覚め - 2006年05月23日(火) NHK-BSでやっている「毎日モーツァルト」、 その名の通り、私も毎日見ていますが なかなかよくできてます。 映像もきれいだし、演奏者(CD)もよく考えてセレクトされてるし、 うっとり聴きほれ、たくさんのことを考える10分間。 10分なので、録画して夜寝る前に見るには丁度いいし、 私なんかには、自分が今までモーツァルトについて勉強してきたことのおさらいにもなる。 たまに「へぇ〜」というような知らなかった話もでてくる。 私はNHKのマワシモノではないですけどね、オススメの番組。 私、前に今年はモーツァルトのこといっぱい書きますね、 なんて書いたのに、それ以来何にも書いていない。イカンです。 振り返ってみると、「モーツァルトって何て素敵なんだ!」と感じるようになったのは そんなに昔でもないことに気づきます。 少なくとも高校生の時、部活でオーケストラをやってる時には まったく魅力を感じなかった。それどころか「いかにもクラシックぽくてヤだ」 なんて思ってさえいた。 いつからかな〜? 好きになったのは。 今、思い出すのはとりあえず2つ。 大学2年の時に、声楽のクラスで「フィガロの結婚」の重唱をやることになって (ソプラノの先輩と第1幕の第1場を日本語でやった。〜タンタタンタン、「さんじゃく♪ よんしゃく♪ ごしゃく♪ いっけん♪ 〜あーとちょっと♪」なんておかしな訳詩だった。) それを勉強しようと図書館でレコードを聴いた時。 うわ〜、なんかワクワクする、面白いじゃないか、交響曲やなんかより音楽も生き生きしてカラフルだぞ、 と思った。 もうひとつは、1986年?87年? ピアノの内田光子さんとジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団が サントリーホールでモーツァルトのピアノ協奏曲全曲公演をやったのだが、 その最終日の公演がテレビ放映された時のこと。 曲はピアノ協奏曲第27番と交響曲第41番「ジュピター」。 なんだろうなあ、きれいな音の連なりにしか今まで感じられなかったところに 「情緒」「感情」とは違う、ある透明な、これは楽しいの?悲しいの? 清冽な小川のように心にしみてくるものがあった。 ヘレン・ケラーがサリバン先生によって「水」を理解したように 私も「ああ、これがモーツァルトの音楽なんだ」と感得できた瞬間でした。 小林秀雄が(でしたっけ?)「青く澄んだ空に、1羽の鳥が飛んでいるのを見たらふと悲しくなった。」と言ったという、そんな感じか。 そんな頃でしょうかね〜、モーツァルトっていいな、素晴らしいな、って思うようになったのは。 どの曲も同じように聴こえる、なんて感じていた自分から解き放たれたのは。 ... 苦闘 - 2006年05月20日(土) こんなにピアノ練習するの、何年ぶりだろうな。 ていっても毎日1時間程度、日によっては30分くらいだったりするけど。 そうなんです、今年の仲間との発表会に選んだ曲が 難しすぎた。(><) ベートーヴェンの「ピアノソナタ第28番」。 それはそれは素晴らしい曲なんだけど、 すごく構造が複雑。特にフィナーレ。 フーガ(風)で、短いフレーズがこれでもかこれでもかと絡み、お互いに呼応し、 メロディーがいっぺんに4つくらい鳴ってたりする。(ぎょえー) 練習入る前に、結構じっくり譜読みはして、 そういう音たちの絡み、構造は整理して頭には入ってるんだけど いかんせん、全く指がついていかない。 そして最近ちょっと腱鞘炎気味な感じで指も痛いし。 日頃サボッてたのに、突如やる気を出したもんだから 体が悲鳴をあげてるらしい。。。 しかし、この曲の大変さは 超絶技巧の曲を弾く、とかいう難しさとは(そんなの弾けないけど) また別種の難しさ。 「あれ?あっちだっけ、いやこっちの音だった?え、今度はどっちさ?」 右往左往。 高度なパズルのような、知的な難しさ。 ああ、指にも脳がほしい。理路整然と音を捌いていける指。 私、結構バッハなんかは得意で こういうメロディーが同時にいくつも並列している、ポリフォニー(対位法)音楽はそんな苦でもなかったんだけど、これはケタ違いに難しい。 ちょっと後悔… いや、でもこれちゃんと仕上がったら超ウレシイ。 それこそ高度なパズルをスルスルッと解く快感だろうな。 おおワクワク。 しかし…しかし間に合うのか? うぉ〜〜〜!(必死の形相) ...
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