ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

さすらい人幻想曲 - 2006年02月23日(木)



今日、アクセス検索見てたら、この日記
多数の方から「シューベルト」と「トリビア」で検索されていて
とても申し訳ない気持ちです。


これ昨日、トリビアでオンエアされていた
「シューベルトは自分の書いた曲が弾けなくてキレたことがある。」
ってやつのせい…だと思う。(間違いないっす)


私も昨日それを見てて、
でも日記にはその件は書いてはいなくて、
でもシューベルトのことは過去何度も書いただろうし
トリビアネタもそれとは別に何度も書いただろうから
それがひとつのサイトの中で両方存在している、ってことで
検索にひっかかっちゃう…ってことですよね。(ふぅ)


すみません…。



しかし、昨日テレビ見てて、
実は私もシューベルトがキレた、なんてことは知らなかった。

「こんな曲、悪魔にでもくれてしまえ!」と言った
というエピソードは知っていたけど。


ところでその曲は「さすらい人幻想曲」というヤツなんだけど
(自作の歌「さすらい人」をテーマに発展させた曲なので、こういうタイトルなのだ)
確かに初めて聴く人にとって、
そして他のシューベルトのピアノ曲を聴きなれている人にとっては
「これ、シューベルトの曲なの?」ってくらい
壮大で、バリバリ技巧的で難しそうで
相当の一流ピアニストでないと弾けないだろうな、
と思うことウケアイ。


逆に言えば、シューベルトはいつも内向的で繊細なピアノ曲ばかり書いていました。
(ただし強調しておきたいのは、外見的にはそうにもかかわらず、彼の音楽は聴いていて怖くなるくらい、哀しみ?喪失感?の深淵まで流されていく、ある悪魔的な力がある。彼の音楽の美しさはどうしても「楽しさ」ではなく、「悲しみ」に通じて行く。
「シューベルトを弾き続けていると自殺したくなる」と大ピアニストのフリードリヒ・グルダは言っていたし、シューベルト本人は「私は楽しい音楽など聞いたことがないし、想像したこともない」と言っていた。)


そんなちょっとシューベルトとしては異色の「さすらい人幻想曲」を
昨晩、20世紀ピアノ史でも最高の巨人、スビャトスラフ・リヒテルのCDで
改めて聴きました。


…夜に聴くんじゃなかった。


恐るべき演奏。



その悲しみの深遠をのぞくような深みといい、
凄まじい超絶技巧といい、
恐ろしくみなぎる精神の力の強さといい、
常軌を逸した、というか
この世の人間が弾いているとは思えない巨大さ。



こんな音楽を、こんな風に演奏する人間が
この先現われるとは到底考えられない…
と寒気がしました。











...

書き損ねたコンサート2題 - 2006年02月20日(月)




前々回の日記で
マンフレード・ホーネック&読売日本交響楽団の演奏会の感想を後回しにして…
と書いて、ほったらかしだったことに今気付きました。


その間、もうひとつコンサートを聴きました。
大植英次指揮の大阪フィル東京公演。

こっちもほったらかしになってた!
イカンイカン。



ホーネックは前々から大層な評判を聞いていて
人によっては「カルロス・クライバーのような凄い音楽をする人だぞ」と言う話だったので、すごく気になる指揮者でした。

ナカナカ聴く機会がなかったのですが、やっと聴けました。

曲はブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」と
(ヴァイオリンはライナー・ホーネック。マンフレードの弟で、ウィーン・フィルの現コンサートマスター)
ドヴォルザークの「交響曲第8番」。
素晴らしい組み合わせ。オケ好きにはこたえられないでしょうね。
私も大好き、こういう組み合わせ。


かくして確かに凄い指揮者でした。ホーネック。

指揮棒を動かした瞬間から、オケからただならぬ神秘的な音が立ち昇り、
音楽の激しい部分では、生命感溢れる音の奔流で聴いてる私は押し流されそう。

力ずくではない、あくまでも自然な流れ。自然の勢い。


確かにこういった部分、オケから作り出す音色も含めて
クライバーに似てる、と思いました。


とまあ、ここまではよかったのですが、どうも演奏が終わると後に残る手応えがない…とは言わないまでも
希薄。

なぜだろう?


わからないのですが、2曲ともそうでした。

繰り返すけど、スゴイ指揮者ですよ・・・でも。


久々に聴いた読響(「黄泉響」にあらず)は、
あ〜、「眠れる獅子」がかなり起きているものの(起こされているものの?)、
100%本気だしているのかな〜?といった印象を受けてしまいました。

このオケのスゴイ時はN響にもヒケはとらないことを知っているだけに
(N響とはまた違った、独特な透明感があります。管楽器にも確実にN響より上手いと思われる人が何人かいる。)
なんか、惜しい。


そしてヴァイオリンのホーネック弟は、う〜ん、やっぱり何だかなあ。
先日テツラフの最高級のヴァイオリンで同じ曲を聴いたせいなのかなあ、
随分落ちる。

同じウィーン・フィルのコンマスでいえば、やっぱりキュッヒルは凄いのだな、
(あの方の音程は時々ビックリするくらい悪かったりもするけど)
と改めて思いました。




そして大植英次&大阪フィル。


彼らのブルックナー「第7交響曲」、素晴らしかった。


大阪フィルのブルックナーといえばなんといっても故・朝比奈隆さんを思い出します。
朝比奈さん&大阪フィルで何度も(そんな何度もでもないか)
聴きました。


だから、というのは安易かもしれませんが
聴けば聴くほど、彼らの演奏するブルックナーにはその当時培われた響きがまだまだ残ってる気がする。

粘りのある、重く、厚みある響き。

大植さんはその響きを前提に、
楽譜の中から謙虚に読み取った音楽を
(本当に謙虚に、って姿勢をすごく強く感じました)
丁寧に紡いでいっていました。感動的。
「ああ、これこそブルックナーの音楽だ」と。

コクがたっぷりだけど濁らず明快。
たっぷりとした祈りもあって。

他の(日本の)オケじゃこうはいかなかったでしょうね。


でも、でも、なんです。
特にあの恍惚とした法悦境にいるような第2楽章とかで、
時々管楽器が「スカッ」と音をひっくり返すんですよ。


その度に私、椅子の上でズッコケてました。。。
まったく…。



大植さん、ところで随分太ってました。。。特にお腹。

そしてあのダイナミックな指揮ぶりが随分小さくなった。
(音楽が小さくなったわけではないけど。あくまで視覚的に)


バイロイト音楽祭での苦い経験がそうさせたのだろうか?(杞憂?)





...




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