ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

テレビで見た(?)新年のクラシック - 2006年01月17日(火)




新年があけてもう1月も中頃。

なのに私はまだ年末年始に録画したクラシック音楽番組を見ていないっ!


大晦日のベルリン・フィル「ジルベスター(大晦日)・コンサート」。
元旦のウィーン・フィル「ニューイヤー・コンサート」。
3日のNHKニューイヤー・オペラ・コンサート。


これは何を隠そう、前に書いたように三谷さんのドラマばっかり見てたからなんだけど。
それにしても随分たってしまった…。
1年の24分の1がもう過ぎ去った。。。


実は全く見てないわけじゃなくて、
ベルリン・フィルの方に関しては
最初のモーツァルト「フィガロの結婚」序曲と「ピアノ協奏曲第9番・ジュノム」を聴き、
音楽監督サイモン・ラトルのキビキビした指揮もさることながら
エマニュエル・アックスのピアノが美しい!!

私は前からアックスが好きなのだけど、さらに惚れ直した。
(私の周囲では未だに彼を、チェロのヨーヨー・マの伴奏者、としか思っていない人間が多い。そんな程度のピアニストがベルリン・フィルのジルベスターなんて大舞台にオファーされるものか!)


そしてウィーン・フィルも、途中の何だったかのワルツとポルカ、
そして毎年恒例のアンコール、ヨハン・シュトラウスⅡ世「美しき青きドナウ」と
「ラデツキー行進曲」だけ聴いた。


ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。これは毎年のお正月の楽しみ。
優雅で粋で。
お酒に弱い私でもちょっと飲みながら聴きたい類の音楽。

そしてそんな私を気持ちよく酔わせてくれるウィーン・フィルの素晴らしさ。
(…という割にはまだちょっとしか見てないんだけど)


今年の指揮は、去年バイエルン放送交響楽団とともに最高の演奏を聴かせてくれた、
今欧米でひっぱりだこの巨匠マリス・ヤンソンス。
ウィーン・フィル・ニューイヤー初登場。

さすがヤンソンス、ウィーン・フィルを乗せに乗せていい演奏をしてた。


でも私、ちょっと実は「あれっ?」とつまづいてしまった。
音楽として素晴らしいし、響きも申し分ないんだけど、シュトラウスのワルツやポルカにしちゃ、随分豪放でなんか「優雅」って感じがいまいちだな、と。


よくも悪くも「剛」のヤンソンス。

なんとなく酔えないな、あの「美しき青きドナウ」を弾く時のウィーン・フィルのトロリとしたカスタード・クリームみたいな味わいがもうちょっとあればなあ、と。


まあ、何度も書くようにまだちょっとしか見てないし
ウィーン・フィルのニューイヤー、そしてヨハン・シュトラウスのワルツやポルカとなるとどうしても自分の好みが立ちはだかってしまって。

ヤンソンスは大好きなのに、どうも今回はつまずいてしまった次第です。


話は変わりますが、考えてみると彼も色んな機会に日本に来てますよね。

私が初めて聴いて感動したのは、まさしく彼の初来日。
1986年、かのレニングラード・フィルが世紀の巨匠ムラヴィンスキーとのコンビで最後の来日!って時に巨匠がキャンセルとなり、代役で指揮をしたのがヤンソンスだった。
オケもまだ当時、ムラヴィンスキーに鍛えに鍛えられた超絶的な凄みをまだ十分に持っていて(その凄みのある上手さたるや、同じ頃聴いたウィーン・フィルをはるかに凌いでいた。)
、それを若いヤンソンスが巧みにリードして彫りの深いショスタコーヴィチを聴かせてくれ、それですっかり好きになった。


その後も彼が手塩にかけて育てたオスロ・フィルとの来日や
(その折、今や名手として知られるピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスとのベートーヴェン「第4協奏曲」が絶品だった)
私は実演では聴けなかったが、テレビで見たベルリン・フィルとの来日。
(この時演奏したショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲」のソリストがあのヒラリー・ハーンで、双方のあまりの集中力にテレビに釘付けになった)


でも決定的だったのは、
かつて日記に書いた、彼が首席指揮者をつとめる2つの最高のオケ、
一昨年のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と
昨年のバイエルン放送交響楽団との来日。


すばらしい巨匠の力。
ヤンソンスからとてつもなく力強いエネルギーとともに
すごく純粋なオーラがほとばしっていて
それが完全にオーケストラの音となってでてくるのがはっきりわかる。

それは音楽への信頼とか尊敬、ひいては全人的な愛だ。

もちろんコンセルトヘボウやバイエルンという唯一無二の名オーケストラあってのことだ、
ということは忘れてはならないけど。
(しかし指揮者って本当に不思議だ。自分で音を出していないのにどうしてその人の精神があそこまで、自分以外の人間が奏するオーケストラの音に現れてくるのだろう?未だにそう思う。)



と、ヤンソンス讃を長々書きながら、やっぱり今回のウィーン・フィル・ニューイヤーはつまづいてしまったのだなあ。
真面目な指揮者ゆえにそうだったのかもしれないけど。
(譜面を見て指揮するニューイヤーコンサートも初めて見たような気がする)



ところでここ数年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。
皆さんは誰が指揮した時のものが印象に残っていますか?


私は、カラヤンやカルロス・クライバーが指揮した以降では
リッカルド・ムーティの時かな?


まあ、近年はムーティ、ロリン・マゼール、ズービン・メータの繰り返しで、
中に小澤征爾さんやニコラウス・アーノンクールが1回ずつ出てきただけだから
毎年そう変わり映えはしないわけだけど。


小澤さんの時は、オケが新鮮な活力を発揮してるのはっきり伝わってきて
良いには良かったけど、
やっぱどこか私にはしっくりこなかったし
アーノンクールの時はつまらなかった。
メータは大味な感じだし。
アバドはすっきりしすぎ。

マゼールは好きな指揮者でないけど、こういうコンサートの時は勝手知ったるなんとやら、
というか結構いい感じでこってりと。



やっぱりカラヤンとクライバーの時がよかったなあ、ニューイヤーは。
思い出すにつけ懐かしい。









...

果報は寝て待て?? - 2006年01月11日(水)




先日、調べものをするためにネットを開いたら
「最近の若者は、寝すぎたことを“もったいない”と思う。(「時」に関するセイコーのアンケートの結果)」
という記事を見てほぉ~と思いました。

ちょっとビックリした。


まあ、多少わからないではないのだけど。

休みの日だというのに目覚めたら昼だった!
となれば「あと数時間しか遊べないな~。どこどこ行きたかったんだけどな~。」
というのは私にもよくあるし。


でもいっぱい寝ることは基本的に好きだし、
それを「もったいない」と一般的に考えるまでにはいかないな。


体が疲れてて休むのには寝るのが一番だ~
なんて話ではなく。

寝てる時間は楽しいし、充実してると思うけどね。
起きて活動してる時間より寝てる時間が劣ってるなんて
私は考えないけどな。
(そういう話ではないのか?)



私、職場にいるとよく思うのだけど、
みんな「生きて活動してるってことは、何かしなきゃいけない。」
って脅迫(強迫?)観念に囚われてるんじゃないだろうかね。



おかしいでしょうかね?私の感じ方。




...




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