ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

週末の紫陽花 - 2005年06月20日(月)




久々に鎌倉に行ってきました。
マイハニーと彼女の叔母さんと3人です。

例によって紫陽花の季節だから鎌倉なのですが
いやーすごい人の数だった。

あじさい寺として名高い明月院、
あそこはJRの線路沿いの道から100メートルほど入ったところにあるわけですが
その曲がり角まで行列ができてた。

警備のおじさんも「45分待ちで〜す」と言ってたけど
ディズニーランドかよ。


実際は15分ほどで入れましたが。


紫陽花なんて子供の頃は実家の庭に普通に咲いてたし、
なんだかカリフラワーかブロッコリーみたいで
昔は情緒なんか何も感じなかったけど
いつからこんな、梅雨時ならではの
雨に濡れる紫陽花に心を動かされるようになったものですかね〜。


でも今年は雨はそこそこ降っても
まだあまり暑くなってないせいか、この時期でまだ満開にならず。


それより明月院での収穫は、
(私全然知らなかったのだが)一番奥の寺社の後ろに広がる
山に囲まれた一面の花菖蒲。

これは綺麗でした〜。夢のようでした。


特別公開だったのですが(有料で)
またその三方が緑の山に囲まれながら、のどかに花畑が広がっているその感じ。

色々な濃さの紫で一面に咲く花菖蒲のまわりには小川があって
そこにはオタマジャクシや、タニシなどもいる。


牧歌気分で一杯の私。
すっかり仕事を忘れてリフレッシュ。



ところで一緒にいったマイハニーの叔母さん、
とっても愉快で気持ちのいい人で
(結婚式で初めて会った時からそう思ってた)

建長寺の休憩所だったかな?
ちょっと低くなってる天井の角に頭をぶつけて「痛〜〜い(><)」と顔をしかめてる女の子に
「お〜〜、大丈夫?大丈夫?」といいながら
「痛かったね〜。」とぶつけた天井の方を撫でて「あ、違った」と
ナカナカのツッコミ?ボケ?を見せてくれた。
(そういうノリ、大好きっす)


先週から続く夫婦の疲れはまだイマイチとれないのですが
それでも楽しい週末でした。




...

「やる」と「聴く」 - 2005年06月16日(木)




音大目指してピアノを習っているとある高校生の女の子と、
ピアノ教師の会話。


生徒:「先生!この曲苦労の甲斐あってこんなに弾けるようになりました!
聴いてください!」

先生:「どれどれ。おー、よく弾けるようになったな〜。こんな難曲をここまで弾けるようになるとは驚いた。素晴らしいよ。よーしよし。」

生徒:「いえ〜い♪ ところで先生、この曲、誰の曲ですか?」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

こういう会話が冗談ではなく、日常どこにでもある会話だと知ったら
皆さん、どう思います?

これがクラシック音楽界の現実。

実は音大でもこの状況はそれほど変わらない。
「いくらなんでも…」と思われるでしょうけど
こういう人、かなりいる。


また不思議な事だが、(クラシック)音楽の世界は
音楽を「やる」人と「聴く」人がかなりの分かれ方をしている。


「やる人」は「やる」だけでコンサートには来ない。
「聴く人」は「聴く」だけで楽器を演奏したりしない。
もちろんそこまで極端ではないのだけど
かなりの部分でそうであることを
この仕事をするようになってから知った。


もっぱら「聴く」人が自分で音楽をやらないのはまだ良い、
というか「音楽鑑賞」という趣味が普通に存在するわけだし
それはむしろ自然なことなのかもしれないけれど、

「やる」人がコンサートに全然行こうとしないのはどういうわけなのか、私にはさっぱりわからない。
理解に苦しむ。


しかし一部の友人を見ているとやっぱりそうなのだ。
そいつらはコンサートに誘っても全然来ない。


そうしてその連中は、
例えば「ピアノの発表会をやろう!」といった場合でも
参加することに対してのノリは良いが
「自分は何を弾いたらいいのかなあ?特にやりたい曲ないし。」
といった具合。


じゃあ、オマエは何で音大にまで行って勉強してたんだ?
ハンパじゃなくお金もかかるのに。

いつもこう言いたくなる。


私は「音楽する」から聴きたい、
「聴く」からもっとより良い音楽をしたくなる、
そのエンドレスな連鎖の中にいる。



そうしてそこに私の人生の重要な柱があるわけだし。






...




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