緑を植えろ!? - 2005年05月26日(木) 今年の夏は猛暑にはならないそうですね。 よかった。。。 うだるような猛烈な暑さがなければないで, これはさみしいものだけど 去年はマイッタ。 しかし最近は5月も終わりというのに暑くなったり肌寒くなったり 気温が安定しない。 毎日テレビの天気予報の天気図を見ていると なるほど…北海道の北にあるオホーツク海気団という高気圧が 今年は強そうだ。 そして梅雨前線は随分南にある…これは6月になると南海上の太平洋高気圧が強くなってくると北に押し出されてくるんだけど オホーツク海気団が強いと簡単には北上できない。 すると梅雨らしくない6月となり、 大陸生まれのオホーツク海気団は海生まれの熱帯性と違うから 夏は乾き気味で冷夏になる可能性が強くなる。 …すみません、急にお天気お兄さんになっていまいました。 (前にも書きましたが、私は気象関係が好きだもので…(^^)) 地球温暖化、ってのは進む時間の程度こそあれもう避けられないワケだけど 猛暑の翌年が冷夏(まだ可能性ですけど)、っていう状態を見ていると 地球が自分で自己コントロールをしているような気がしてならないです。 この星も自分を守るのに必死、って感じ。 私、思うのですが、 京都議定書の温暖化抑止のための色んな規制はもちろん、 日本でも一軒家の屋根、アパート、マンション、ビル 要するに建物のてっぺんには必ず何平方メートル以上の面積に植物を植える、 というのを法律で決めたらいいんじゃないですかね? マンションやアパートに住んでいる人間は バルコニーや窓に必ず植物を置かなければいけない、とか。 こないだから東京タワーやら横浜ランドマークタワーの展望台から下を見るにつけ、 この緑のなさ、これはヤバイだろう!とつくづく思いました。 これじゃ、空気の清浄化という点もともかく、 陸地はあったまっていくばっかりだ。 このひとつひとつの建物に確実に緑があったら 効果が全然違うんじゃないか? こう思ったわけ。 緑は絶対いいと思う。 それに精神衛生上もいいだろうし。 あと夏に都心で打ち水作戦とかやってましたよね。 あれもゴミの分別なんかと一緒で(全然違うけど) 義務化したらどうですかね。 まあ、専門家から言わせたら こんなのは戯言なんでしょうけど。 ... フィラデルフィア管弦楽団のマーラー - 2005年05月24日(火) 昨日、2年ぶりにマーラーの「交響曲第9番」を聴きました。(実演で) クリストフ・エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団の公演。 ちなみに2年前に聴いたのは札幌コンサートホールKitaraでの ベルナルト・ハイティンク指揮PMFオーケストラの演奏。 この時のハイティンクの的確な、そして気品ある抑制された指揮から (各セクションのトップにはウィーン・フィルの団員がいたとしても) 学生をいくらもでない若い演奏家たちが素晴らしい演奏をしていましたね。 この曲に「素晴らしい」という言い方が適当なのかわからないですが、 マーラーが医者から死を宣告され、 この世との告別、死を眼前にしての葛藤、そして精神の浄化、 こういったものが痛いほど伝わってくる、 そして美しい演奏でした。 考えてみれば他にも私はこの曲を実演で何度も聴いている。 サイモン・ラトル/バーミンガム市交響楽団、 ケント・ナガノ/ハレ管弦楽団、 クルト・マズア/ニューヨーク・フィル、 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ、 若杉弘/ミュンヘン・フィル、N響 井上道義/新日本フィル、 など。(あれ?そんなもんか) しかし昨日のフィラデルフィア管弦楽団のコンサート、 残念ながらPMFの時のようにはならなかった。 超一流の指揮者と超一流のオーケストラが組めば必ずしも名演奏が生まれるわけではない、という、人間=ナマモノ?ならではの事実を目の当たりにしてしまいました。 最初のチェロとホルンがピアニッシモでかけあう小さなひそやかなテーマが エッシェンバッハの超遅い指揮にうまく乗れず、 なんだか頼りなく、そしてかつ大味に鳴り出したときからイヤな予感がしました。 細かいことはヌキにしますが、 エッシェンバッハ、一人相撲とはいわないまでも 一人で熱くなりすぎて、曲に没入しすぎて (なおかつ彼の指揮ぶりはお世辞にも見やすいとはいえないもので) オーケストラは見る見る引いていく感じで、 コミュニケーションがどんどんチグハグになっていくのがわかりました。 結果、あの(プログラムにも見出しになっていましたが)有名な “華麗なるフィラデルフィア・サウンド”どころではなく、 力量がありすぎるくらいあるオーケストラだけに、逆にそれがアダとなって ものすごく騒々しい音楽になってしまいました。 後半、第3楽章の華々しく諧謔的なブルレスケから、 ようやく指揮者の熱さとは別のところでオーケストラのとんでもない上手さが顔を出し始め、次々と繰り出される管楽器や弦の首席のソロ部分は素晴らしい鮮やかさ。 第4楽章の悲痛なアダージョから最後の、 “青い空に雲が溶けていくように”(大指揮者ブルーノ・ワルターの言葉) 消えていく最後の音までの弦楽の素晴らしい厚みは 世界に冠たるヴィルトゥオーゾ・オーケストラの片鱗を見せてくれました。 しかし、こういう演奏になろうとは。。。 激烈・濃厚“すぎ”な表現、 独りよがりな指揮になりかかり、 逆にオケは殺伐と鳴る演奏にすっかり疲れてしまいました。 辟易…。 というか、こういう熱すぎるくらい熱い熱演にいったん乗れてしまえば 最後まで感動で胸をいっぱいにできるハズなのですが 逆にいったん引いてしまうと、もう気持ちが冷めてしまって 「早く終わらないかな」と苦痛でいっぱいになる。 昨日のお客も盛大な拍手と歓声が飛びかっていたものの 乗った人と引いた人が半々だったでしょうね。 私は残念ながら途中で落ちた部類。 誤解してほしくないのですが、エッシェンバッハじゃ私にとってすごく好きな音楽家なのですよ。 しかし今回は…。 残念…。 (この名門オケの久々の来日だから、楽しみに大枚はたいたのに・・・) フィラデルフィア管弦楽団の他の日の公演でやった 同じくマーラーの「第1」「第5」はどうだったんだろう? たまたま先日、NHK「トップランナー」で若手女優の蒼井優ちゃんが 「色々な舞台や映画にでて最近わかってきたんですけど あんまり役にのめりこんで熱演してしまうとお客が引くんですよね。かといってあんまり客観的にとらえた役作りだと表面的になっちゃうし、そのへんのバランスって難しいんですよね。」 と言っていたが、まさに昨日のエッシェンバッハはのめりこみすぎたことが裏目にでてしまった、という感じか。 もっとも私は彼が何年前? 北ドイツ放送交響楽団を指揮したマーラー「第5交響曲」を聴いたのですが、これは素晴らしかった。 やっぱり熱くて(苦笑。いや、熱いことが悪いわけじゃない。昔はバーンスタインをはじめ、マーラーは血の気の多い、熱いロマンティックな演奏が多かった。しかし最近はナゼか比較的低血圧な、曲を客観的に描こうとする演奏が多いのだ)、最近のマーラー演奏では珍しいな、と思いましたが、 でもその熱さがオーケストラに乗り移って、私も胸を熱くして感動したのをよく覚えています。 だからこれは相性、それもその時の状態だけなのかもしれないし、 難しいものです。 しかし、私はマーラーに限って時々こうした「上手く行かない」演奏に出会うことが多い。 かつて聴いたマイケル・ティルソン=トーマス指揮ロンドン交響楽団の「第6交響曲」、 アシュケナージ指揮チェコ・フィルの「第7交響曲」はかなり耳が痛かったです。 でもT=トーマスがサンフランシスコ交響楽団を指揮したマーラーのCDなんか、実に素晴らしい、ということはファンの皆さんはみな知っていますよね。 ホント、不思議なものです。。。 ...
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