京都の旅 - 2005年03月11日(金) もうそろそろ私の仕事も忙しくなるし、 音楽業界もバタバタしだす頃なので ちょっと休暇をとってマイハニーと昨日まで京都に行ってきました。 私は京都大好き。 基本的に旅行好きな私で、 特に国内が好きでかなりあれこれ今まで一人旅をしてきましたが 数年前に初めて京都を訪れてから すっかり京都は特別。 やっぱり別格ですね。 旅行といえば京都、 多くの人が四季折々に京都を訪れるのはよくわかる。 寺、神社、歴史の宝庫、自然、町並み… どれをとっても「ああ、日本に生まれてよかったな」と思う。 気持ちが平安を取り戻す。 ところで今回行ったところは 初日… 三十三間堂、清水寺、三年坂、二年坂を通ってて高台寺、哲学の道を通って銀閣寺。 2日め… 壬生かいわい(新撰組のゆかりの地)、広隆寺、仁和寺、竜安寺、金閣寺 3日め… 祇園かいわい、ちょっと足を伸ばして奈良へ、また京都に戻り西本願寺 という感じで、 な〜んだえらい当たり前の、どこの旅行ガイドにも載ってるようなコースでないの、 と言われそうですが、 マイハニーが京都10年ぶりだし、2人で行くの初めてだし、 当たり前、といっても何度もいきたいような所ばかり。 すっかり満喫してきました。 個々の感想はさておき、 今回、私が新鮮だったのは スバリ買い物。 一人旅だと、それも男の一人旅だと どうしても「何かを見る」とか「何を食べる」という目的を果たすのに一生懸命で ぶらぶら気の向くままにそのへんの店に入る、ということがない。 そのへん、マイハニーは典型的な「女性」。 (悪い意味で言ってるんじゃないよ。決して) あちこちで「あ、あれいいな〜」「ちょっと待った」 と小さな店に入る。 お土産屋からお茶屋、和菓子屋、ちりめんの店、和紙の店、様々に。 そしてマイハニーは私が言うのも何ですが とっても情の厚い女性なので、 私の両親や、自分の親、姉妹、職場の先輩、友達のために 「あの人は前、あんなものをくれたんだからな〜、お世話になってるしな〜」と 「この人にはどんなものがいいだろう?これが良いだろうか?」と ある時は通りすがりの店にぶらっと入り、 またあるときは、和紙とか石鹸とかその筋では最高の店を探し、私にそこへ連れて行け、と命じる(?)。 そして選ぶ目は超真剣。 気に入るものがあるまで探し続ける。 おかげですっかり私も目が肥えました(?)。 でもそれが楽しかった。 こういう楽しみは一人旅じゃ味わえなかったし、 そして京都の人々、そこでものを作る人々の美意識、 街の古き良き伝統として脈々と流れる美意識をすっかり堪能しました。 しかし妥協なきマイハニーには、改めて驚かされた〜(@@) ... バッハの平均律 - 2005年03月07日(月) 週末は寒かったですね〜(;;) まだまだマフラーが首からはなせない今日この頃。 マフラーを巻いていると(巻き方のせいか?) アゴの横の方の肉が上によっていき、 そして頬の下の方の肉も上がっていくので ちょっと顔がむくんだように見える。 それをマイハニーに 「冬ごもり前のリスのようだ。」 と言われました(><) 話は全く変わりますが、 私はピアノに向かう時、 (もっとも昔のように毎日は弾けなくなりましたが) 必ずバッハの曲を一曲弾きます。 バッハの「平均律クラヴィーア曲集」から何か一つを選んで。 これはバッハの「平均率クラヴィーア曲集」が音楽における旧約聖書、 ベートーヴェンの32曲のピアノソナタが新約聖書と呼ばれていることに関係して、 確かバックハウスだったと思いますが 「バッハの『平均律』を毎日のパンとせよ」ということを言っているのを聞いて、 私もそうすることにしたのです。 昨日NHKの「芸術劇場」で 現代の代表的名ピアニストで名指揮者ダニエル・バレンボイムが そのことをやっぱり自分に課している、と言っているのを聞いてすごく嬉しかったです。 もちろん片や現代の最先端をいく大演奏家の言うことと私の言うことなんて 雲泥、月とスッポン、次元の違いすぎる話ですが それでもやっぱりバッハを弾く、というのはそういうことだと思うのです。 彼も言っていましたが、技術的には 対位法的音楽 −混声合唱をピアノで弾く、と考えてください−を扱う時、いっぺんにいくつものメロディーを弾く時の指の独立性を養う、という点、 そしてバッハには人間の喜怒哀楽からはじまって 音楽のアルファからオメガまですべてがある。 すべてを包括した巨大で高くそびえたつ音楽をたくさん書きました。 それを毎日弾く、ってのはやっぱり 音楽をやる人間にとってはゴハンを食べるようなもの、 なのかな? またそういう曲をグールドやグルダ、リヒテルのCDで聴く喜びは格別ですよ。 ...
|
|