スイス旅行記 その5 - 2004年07月14日(水) 私が外国旅行をしたのは 実はまだ2回目。 あとの3回はみんな仕事による出張。 (あ、バイロイトにワーグナーの「指環」を聴きにいけた奇跡的な旅があるけど、これはほんとににバイロイトで「指環」だけ(しかも「ジークフリート」と「神々のたそがれ」だけ聴いて5日で帰ってきた。) で、最初の旅が去年日記に書いた一人旅だったから 誰かと、しかもマイハニーと旅行をしたのはこれが初めてだったのです。 感激。。。 そしてさらに、パッケージツアーに参加したのは初めて。 成田空港に集合する、ということで さて自分達と同じような新婚はいるのかな? 女子大生なんかのグループはいないかな?(←不埒) なんてドキドキしていたら 新婚は…いた。 ひと組だけ。 2人とも30歳くらいかな。 であとはみんな60歳以上の熟年夫婦でした〜〜。 見事にね。 スイスは若者なんか行かないらしい… あとで添乗員さんに聞けば、スイスなんてそれはもう圧倒的に熟年ツアーで 他のありとあらゆる外国を廻ってきた方々が 「じゃ、スイスでも」となるらしい。 私たち夫婦の感覚って…(><) しかしこの60代、異様なパワーである。 特に奥様たちのほうがね。 まず空港から特に目立っていたSさん。 ダンナさんも元気で楽しい人だったが、 この奥さんはケタ違い。 白髪チリチリパーマに 前髪だけ赤く染め、 体型は「めぞん一刻」の一ノ瀬さんのおばさん 行動パターンも一ノ瀬さん(笑) だって「氷河特急」乗ってても いつも「わっはっはー!」という吹き出しでもつけたくなるような笑い声が 車両中に響き 彼女が「あ、また絶景ポイントだよー!!」と掛け声をかけるたびに ツアーのみんながカメラをもって窓に殺到、 そんな中でも彼女は動物的嗅覚で 「あ、こっちに滝だよー!」と反対側に行く。 すると他のみんなもバタバタバタと反対側の窓に殺到する。 まさにマンガ。 終始Sさんはツアーの中心にいた。 50回は海外旅行をしているというツワモノだということだった。 またおっとりとしたNちゃんとKちゃんのコンビ。 この人たちは「氷河特急」で前の席(クロスシートなので)に座っていたので 色々話して仲良くなった。 ところで私は自分で言うのもなんだが、昔から、ホント学生の時分からオバサン・キラー(?)で、いっつも50以上の女性からかわいがられる。なんとか同世代からモテないもんかなぁ〜とよく悩んでいたものだ…(苦笑) で、Nちゃん&Kちゃんは話していると 「NHKホールなんかによく行くのよ〜。オペラなんか最高ね。」 などと言う。 ただ趣向はかなりのミーハー。 でもクラシック業界はこういう人たちが楽しんでくれることで 支えられてるんだなー、と実感しつつ あまり色々な使命感を持ってもかえってイカンのかなー と考えたりもする。 で、彼女らはやはりしょっちゅう海外ツアーに2人で行っているそうで、 オペラはいっつも一流どころをS席だそうだし 金持ちー!! 最終日のチューリヒでの買い物タイムも 彼女たちはエルメスのパンパンの袋をかかえていた。 そして私たちはCoopの袋。 この違いは一体… でもイヤミは全然ない、っていうか可愛い性格のコンビで また、マイペースすぎるくらいマイペース。 そして絶対勉強しない。 というのは、お金の換算をちっとも覚えようとせず いつも食事の席で (飲み物だけはその場での個人会計となるのだ。) 全部のコインをジャラジャラ手のひらにだして 「わかんなーい。これからとってって。」という感じでウェイターと接する。 また添乗員さんにはいっつも 「ここに行くのはどうしたらいいの? 連れてってぇ」とせがみ 彼はいつもきちんとそれに従っていたが あきらかに嫌がっていた。。。 (もう初期のころから彼女らをマークしていることが手に取るようにわかった。) そしてルツェルンでは Kちゃんは期せずして迷子になり、 バスの出発が30分近く遅れたのであった。 添乗員さんは「ついにやりやがったか!」という顔をしていた。 オバサンたちは色々やってくれますよ。 そして元気! 海外でもまったく臆せずガンガン行くのは、本当に天晴れ。 日本人は控えめで…なんてのは今や誰も信じないかもね。 しかし偶然であるが、色々な人と話して面白かったのは Sさんの妹さんが、私と同じ音大の声楽科出身だったり 品の良いTさんも音大出だったり。 他にもいたな。 なんだか似たようなルーツを持つ人間が集まったこと。 縁ですねえ。 それにみなさん、見事に生まれが昭和16年、17年に集中していて (Sさんが食事のたびにみんなに聞きまわってリサーチした。) それは丁度私の両親の世代。 てことはみなさん、定年を迎えて羽をのばしてるってことだ。 なんかいいですよね、そういうの。 私たちもあんな風に仲良く年取って、歳とっても海外旅行いけたらいいな。 ね、マイハニー。 …あ、そうそう。 でマイハニーだが スイスでもますますマイペース。 チューリヒのホテルの庭にたわわとなるサクランボを (スイスにあんなサクランボがなる桜があるとは知らなかった。) ひょいぱく、ひょいぱくと食べ、 ちょっと気づくと「あれ、いない。」 珍しい花や、犬やネコをみつけてはとんでいく。 彼女は口数が少ないので 感情の動きが一見わかりにくいのだが 行動を見てると 「あ、テンションあがってきたな。」とすぐわかる。 そしてさっきも書いた、食事の際の飲み物の精算でも 私が大抵の場で「いくらですか?」と聞いてから払っていたのだが、 私が気づかないときは彼女、 飲んだワインのビンやジュースのビンを 黙ってウェイターの前にゆっくり並べ、 ゆっくりうなずく。 するとウェイターもゆったりと笑顔で すべて納得して会計をしてくれるのだが この静かなペースでのやりとりがマイハニーの身上である。 これって人徳ってことなのだろうか…? ... スイス旅行記 その4 - 2004年07月12日(月) 昨日はみなさん、選挙行かれましたか? 私は行きましたよ。 今までも選挙にはちゃんと行ってたけど 正直「国民の義務」だとか、「今の政治に一石を」みたいな 熱い気持ちはなかった。 でも今回は、 私だけではなく、多くの人が 一票を投じる、というせめてものかたちで 政治の行く末に自分の考えを反映させたい、 と思ったのではあるまいか? ま、その話はともかく、 「スイス旅行紀」です。 スイスの自然がいかに素晴らしくて 私たちがそれに感動しながらの毎日だったかは もう既に書きました。 しかし、私たちが旅をしながら それがスイスの国の人々にいかに大切にされているものなのか、 維持していくためのお金と労力、 つまりは愛情をかけているかを気付かされた。 それにまた感動した。 旅行2日め。 サン・モリッツからツェルマットまで 「氷河特急」で7時間半の旅。 7時間半なんて(しかも平均時速50キロ) 乗る前は「退屈するかも…」なんて思っていたが 乗ってみればとんでもない。 飽きるどころか 見る景色、見る景色、どれもが違って どれもが胸いっぱいに、気持ちがどこまでも広がっていくような 緑、緑。 雄大な谷、赤やピンクの花を飾ったかわいい民家、 牛や馬(ブタもいた)がゆったり草を食べている牧草地、 おっそろしく高いところから落ちてくる滝、 澄んだ水の湖、小川… この氷河特急はみな標高2000メートルから3000メートル近くまでの 山々の間を走る。 氷河特急は20世紀初頭からもう敷設が始まり 切り立った渓谷にかかる数々の石造りの陸橋(なんと大きくカーブする橋まである)だってその頃からもう作られていたのだ! 大きな標高差を上ったり降りたりするための 三段ループ、アプト式線路(線路の間にギザギザのもう1本の線路があり、車両の下のギザギザと噛みあわせて坂を上る。昔、軽井沢の手前の碓井峠を思い出す。) スイッチバック。 あらゆる技法を駆使して鉄道がひかれた。 スイスの人が自分たちの財産である、愛する自然の景色を 多くの人に見せたい、という一種の執念だ。 またユングフラウ・ヨッホ。 ここだって私は全然知らなかったのだが、 3500メートルの高さまで登山電車が (あ、そうそう、さっきの氷河特急といい、この登山電車といい、マッターホルンを望む展望台に行く電車といい、すべて「電車」である。ディーゼル車ではない。) 登るのだ。 3500メートルですよ!!? あとちょっとで富士山の高さだ。 そんなところまで電車が登るって!? 途中から山の中にくり抜かれたトンネルに入り、 以降、てっぺんの展望スペースに至るまですべて山の中を改造した要塞、 といった趣だ。 これがまた19世紀末にはもう構想されていたとのこと。 この壮大な山に近づきたい、 多くの人にこの素晴らしさを見てほしい、という気持ちがこういうものを実現させる。 私はひたすら圧倒された。 展望スペースといったって、 スペースなんてもんじゃなく 「駅」を降りて歩くと、周りがガラス張りで周囲の氷河がながめるコーナー お土産屋からレストラン、カフェ。 トイレはもちろん簡単な博物館まである 一大施設である。 ここからちょっと表にでることもできて ただ、天気は良いものの、かなり吹雪いていたので 出たら吹っ飛ばされそうになった。 マイハニーはやはり感動しているのか 心なしかいつもよりステップ軽く、 さっさかさっさか歩いていく。 ところが私はその時高山病でかなりフラフラして動きが鈍くなっていて ちょっと動けば気分が悪くなる。 「まってぇ〜ハニー!!」という感じであった(><) 恥ずかしい話ではあるが、ここは海抜3500メートルの地。 そういう注意もされてたから、ここはお許しくだされ。 それからマッターホルンのふもと、ツェルマットという街。 (繰り返すがホントに日本人が多かった。) ひとつ手前のテーシュというところまでは自動車でいけるが それから先は電車でないとツェルマットには入れない。 ではツェルマットでは自動車はいないのか?といえば 電気自動車のみが動いている。 (あと観光用に馬車が走ってたけど) 徹底してるのだ。 確か日本でも上高地がそんなことをしてるように思ったが、 スイスの人々の自然を大切に、誇りをもっているその有りよう、 私は本当に感銘を受けた。 私たちの旅はその熱意に支えられたものだったのだ。 ...
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