ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

スイス旅行記 その3 - 2004年07月10日(土)




今日はスイスのお国柄、というか
そんな話です。


スイスの国土は70%が山だそうで
そのへん、日本と似ている。


山々のなだらかなところや緑の濃さなど
日本と似ていない、と書いたし実際そうなのだけど
電車やバスの車窓からの自然の景色など
ドイツやフランスなんかに比べれば
ずっと日本に近い。


そしてスイス人の言語。


70%がドイツ語圏。
あとは20%がフランス語、10%がイタリア語、
あとの10%がロマンシュ語という昔から原住民語(?)だそうだ。


私たちも旅をしている間、
確かにほとんどがドイツ語、
モントルーやシャモニーでフランス語。
どこかでちらっとイタリア語。
ロマンシュ語というのは聞けなかった。


「ここはフランス語圏の街」
というところにくると
途端に表示が、それまでのドイツ語からフランス語に変わる。

驚きだった。



私はドイツ語が好きで、
というかあの語感が好きで
響きも好きだし、道路の標識だとか駅の案内のドイツ語を見ていて、
すっかり懐かしくなった。

初めてヨーロッパ旅行をした時の気分が甦ってくる。

HauptBarnhof(中央駅)
Eingang、Ausgangとか(入り口、出口です)
Danke!(ありがとう)
Bitte!とか(英語で言うPleaseのようなもの)
キップはKarten。


いいねぇ〜♪

なんだか口にひっかるような、ちょっと堅めの感じが大好き。


添乗員Kさんも言ってたが、
割と日本人はイタリア語みたいななめらかなラテン系の言葉の方が好きみたいで
(もちろん人による)
そういう人が多いようだが、
私はこういう四角い(?)ドイツ語が好き。



今までドイツ圏にいても、あまりドイツ語で話しかけたりはせず
英語ばっかりだったのだが
今回は少しチャレンジしてみた。

とは言っても挨拶やフロントやレストランでの簡単な注文くらいだけどね。

結構通じましたよ。



…だけどなんとスイス人は結構日本語で言葉を返してくるのだ。
もちろん行ったところが、日本人(だけでないが)に人気のある
観光地ばかりのせいだろうけど。
みんな結構勉強している。
(マッターホルンを見るコルノグラート展望台のカフェのおねえちゃんには
頼まれて日本の数字の数え方を教えてあげました。)


特にマッターホルンのふもとの町、ツェルマットなど
「おみやげや」とか「免税店」とかあっちこっち日本語で書いてあるし、
レストランには「日本語メニューあります」と表示されてるし
通りでは子供達が「コンニチワー!」と声をかけてくる。


ちょっと恥ずかしいような状況ではあったのだが
不思議とバカにされているような、イヤミな感覚はなかった。


現地の人も結構たのしんでいるようだ。


こういう話のついでに気がついたことを書くと
今までヨーロッパに行くと(ドイツやチェコなど)
韓国人旅行者が圧倒的に多く、中国人が次ぐ、という感じがしていたのだが
こんなに日本人が優遇(?)というか、そういう扱いをされている国は初めてだった。
(ウィーン国立オペラのインフォメーションで日本語で書かれていたのを見たことはあるけど。)

ただ不思議なことにルツェルンでは中国人のツアー客が多く、
実際街には中国語の表示が多く、ここでは日本語の案内はあまりなかった。
この場所によっての差異は、私にはとても興味深かった。



で、スイス人(特にドイツ語圏の)は概して親切であった。

とは言ってももちろん観光地を巡ってばかりなのだから
お客向け、の顔なのかもしれないが
それでも言葉の故か、ドイツ人に近い親切さを感じる。


そしてどこに行っても清潔なのが印象的だった。
レストラン、ホテル、駅、おみやげ屋…

スイスにはCoopがあり、(まったく日本と同じの)
その陳列の仕方も素晴らしく整頓されていて、
まるで日本の東急あたりのスーパーに入っているのじゃないか、と
錯覚するほど。


しかしこの国の清潔さを象徴するのはやっぱりトイレ。

どこのトイレ、公衆トイレであろうと日本と同じ自動水洗だし、
駅のトイレなど、これは日本よりずっと清潔だと思う。


これはうれしい。


一体にこうした清潔さ、というのはスイスのどこにいても
人の応対をとってみても、強く感じられたことだった。


そしてそうそう、
食べ物のこと。


食べ物にも満足。
ドイツ語圏がほとんど、というからあまり期待していなかったのだが
フランス、イタリア圏の混じる国土のせいか
パンもドイツのほど固くなく、
有名なチーズが美味しく、
ミートフォンデュなんかもとっても良かった。


私としては果物やスイート系がすんばらしく美味しかったのが
幸福だった♪

これまた有名なチョコレートをはじめ
どこのホテル、レストランでもデザートには大満足。

氷河特急の食堂車ででたティラミスの(すごく冷えてた)甘さは
一生忘れません。


これはマイハニーも同じことを何度も言ってたな。






...

スイス旅行記 その2 - 2004年07月08日(木)




いや〜暑いっす…しんどい。


爽やかなスイスが懐かしい。。。



さてスイス旅行記、
めぐったところをひとつひとつ書いていこうかと思いましたが
やっぱ、やめた。


スイスを旅していて、思うことがたくさんあったのだけど
それが時間がたつにつれて、大きないくつかにまとまってきた。



今日は、まずそのひとつ
「音楽馬鹿とスイス」。



前回、ユリア峠の信じられないような自然の姿に感動したことを書いたが
マッターホルンでもシャモニーでも、
氷河特急(という山々の中を抜けて標高1000メートルから3000メートルまで走る名物列車がある。)から見る景色でも
それぞれ違いはあっても、とにかくみな素晴らしい。


そしてそのどこにいても思ったこと。


「ここでホルンが吹きたい。」




ホント、バカである。
アルプスだからホルン?

いや、でもこれはまごうことなき、私の思い。
どこに立ってもホルンが響いていそうな気がするのだ。

アルペンホルンでもフレンチでもナチュラルでも構わない。
とにかくホルン。


かねがね私は感じずにはおれなかったのだが
ブラームスの交響曲第1番の第4楽章の、あの有名なホルンが鳴り渡るところ
(重々しく苦渋に満ちた序奏が終わり、このホルンの音によってすべてが晴れ渡る!)
とか
ウェーバーのいくつもの序曲にきまって登場する、あの夢幻的なホルンとか

きまって「ああ、これがアルプスなのだな…。」と感じてきた。


どうしてだかはわからない。
ハイジなんかを見てそういうイメージが刷り込まれたのか?
人間のもっと心の深層部分、無意識部分にそういう記憶が普遍的に組み込まれているのか?


なににしても
ヨーロッパの作曲家が、ホルンを使うイメージがアルプスにある
(…ってえらく単純な言い方ですみません)
というのを肌で確信した次第。



それから山沿いの草原に放牧されている牛たち。


この牛たちみんなカウベルをつけている。

クヮラン、クヮラン、ガシャガシャ。


日本の牛とはだいぶ違う。
どことなく優雅な感じがする。


で、カウベルといえばかなりの音楽好きなら
マーラーの交響曲のことを頭に浮かべると思う。
特に第6、第7交響曲。



これも私、どういうわけか、
マーラーがカウベルを使う箇所を初めて聴いた時から
「この音を使う時、マーラーは青々と緑の広がる、牛のたくさんいる牧場、そういう牧歌的世界を夢見て憧れているのだ。彼の育ったボヘミアの大地を懐古しているのだ。」
という思いを強く感じてきた。
そしてその音楽は私にそうしたイメージを強く喚起させた。


これもまた、こうした情景を目の当たりに見たことで
その直感は正しいのではないか、と
確信せざるをえなくなった。



もうひとつはチューリヒにあるチューリヒ・オペラ。


ここには結局行けず、何もみることができなかったのだが
私たちがスイスに滞在している間、ここはチューリヒ・オペラ祭の真っ最中だった。


このオペラ座のことも音楽ファンならよくご存知と思うが、
現在、オーストリアの素晴らしい若手指揮者、フランツ・ウェルザー=メストが音楽監督をし、
かの現代きっての鬼才・巨匠ニコラウス・アーノンクールが常連として出演している
ヨーロッパでも今、最高に元気のいいオペラ座だ。
(最近NHKでもここのライヴがよくオンエアされる。この間やっていたベルクの「ルル」など、とても素晴らしかった。)


…と音楽ファンの間ではそんな認識のはずだが
チューリヒの街を歩いていても、オペラ座の場所がよくわからず
街にも「オペラ祭」を宣伝するようなポスターや旗なども見当たらない。
レストランの入り口でやっとひとつポスターを見つけたが
要するにあまり盛り上がっていないのだ。


こういう扱い、東京の状況とあまり変わらないではないか。
もちろん、これだけの時間歩いただけで何がわかる、と怒られそうだが
ちょっとがっかりした。



今やヨーロッパといえどもクラシックは前途多難とみえる。







...




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